言葉
忘れたくない言葉を集めて行こうと思います。
- これらの出来事がスランプへと発展するかどうかは、あなた自身がそれについてどう考え、どう見るかにかかっている。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- コントロールできないことに直面したら、それが何であるかを見極め、できるだけ早く自分でコントロールできることに意識を集中させなさい。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 自己コントロール能力を取り戻すためには、他の誰でもなく、自分自身に意識を向けておく必要がある。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 誤った対象に注意を向けることが、スランプを引き起こしたり長引かせる大きな原因となる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- スランプを乗り越え、自分のもてる力を発揮するためには、練習でも試合でもパフォーマンスの瞬間、瞬間に集中し続けることを学ばなければならない。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 恐怖はスポーツにおける緊張の最大の原因である。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 恐怖に打ち勝つためには、恐怖を認識し、理解し、消しさらなければならない。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 栄養源となるネガティブな思考パターンを認識し、監視すれば、恐怖心を抹殺することができる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 競技に関連した恐怖の多くは、あなたの感情や、豊かな想像力、そしてゆがめられた知識の産物である。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 恐怖は小さなかけらに分けてから取り組む。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 恐怖は上達への入り口だ。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 試合前と試合中は、コントロールできることに集中しなさい。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- しつこい恐怖から距離を置くためには、記憶の中の視覚イメージからあなたの感情を引き離さなければならない。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 何をできると信じるかによって、あなたの技量が決まる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 再び自分を信じるようになれば、スランプサイクルは変えられる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 失敗を永遠に続くものと捉えず、よいプレーを思い出すことで「一時的」なものと捉える。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 逆境を利用して、自信と強さを味方にしなさい。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- あなたが本当だと信じたら、あなたの行動にその信念が表れるだろう。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 過去の成功は、スランプを乗り越えるためのとっておきの手段である。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- いつも失敗している自分の姿ばかり描いている限り、スランプから抜け出せない。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 心の中のイメージによって、パフォーマンスは前もって決められている。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- メンタルリハーサルによって否定的な考えは消え、不安、恐れ、迷いが取り除かれる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 練習がパーフェクトをつくるのではなく、パーフェクトな練習がパーフェクトをつくる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- ピークパフォーマンスを発揮するための準備や、スランプを克服するためには、内的イメージ法がより効果的である。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- イメージがリアルであればあるほど、パフォーマンスにより効果的な影響を与える。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 完璧なパフォーマンスを何回も思い描くことによって、スランプサイクルから抜け出すことができる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 簡単な道を行けば、あなたは決してチャンピオンにはなれない。いつか大きな壁に突き当たるだろう。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 「高い目標意識」が正しい道に導いてくれる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 今日の練習を、確実に最終目標につなげる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 期限付きの目標は、行動に優先順位をつけ、今やるべきことに集中するのに役立つ。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 小さな成功の積み重ねが、モチベーションと自信を高める。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 精神的な強さと自信は、肉体的な苦しみ、フラストレーション、落ち込み、失敗を糧として生まれる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- チャンピオンの気持ちを味わいたいのなら、たった一人でもトレーニングを始める。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 自信は、心身ともに十分な準備をすることで生まれる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- やるべきことへの集中力を保ち、適度な緊張感をもって取り組もうという気持ちを思い起こさせるような練習環境を整える。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- メンタルタフネスは内なる決意を外に向けて表すこと。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- メンタルタフネスは、選手がもつ身体的、精神的な財産の中で最も大切なものである。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 失敗の可能性を受け入れ、失敗することを忘れてしまえたときに初めて、あなたは勝つことができる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 逆境を越えるたびに、あなたはゴールに近づいている。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 失敗とは、単に成功を遅らせているだけ。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 失敗してもいつまでも落ち込まず、試合のストレスにうまく対応できるなら、スランプに陥るような状況や場面に遭遇してもダメージを受けにくくなる。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 最善のスランプ予防策は、迫りくるスランプの警告サインを早期発見すること。(アラン・ゴールドバーグ『スランプをぶっとばせ!メンタルタフネスへの10ステップ』ベースボール・マガジン社)
- 二年間にわたって一流スポーツ選手の思考習慣を調べた結果、次の二点がはっきりした。(1)正しい態度を身につけた選手が、チャンピオンになる。(2)精神的に強い選手は、正しい思考習慣を身につけている。(ジム・レーヤー『メンタル.タフネス』TBSブリタニカ)
- 思考のコントロール:(1)プレッシャーは、本人が生み出したものにほかならない。(2)勝敗は結果にすぎない。自分はプレーに集中すればいい。(3)辛く苦しい時ほど、練習は楽しい。(4)楽しむ気持ちがなければ、いいプレーは生まれない。(5)性格が弱いからあがるのではない。(6)自分のプレーには自分で責任を持つ。(7)その時々のプレーに集中する。(8)失敗したらやり直せばいい。上達するには反復練習が必要だ。(ジム・レーヤー『メンタル.タフネス』TBSブリタニカ)
- 思考のパワーアップ(1)常にベストを尽くす。(2)スポーツ選手としてのプライドを持つ。(3)プレーをしている時には徹底して楽しむ。(4)楽しむ気持ちになってこそ、プレーが安定する。(5)守勢にまわらない。常に攻撃に出る。(6)何があっても積極果敢にプレーする。(7)どのような代償を払っても、最後までやり抜く。(8)必ず成功してみせる。(ジム・レーヤー『メンタル.タフネス』TBSブリタニカ)
- ビジュアライゼーション・トレーニングの方法とポイント:(1)五感を総動員して、視覚的イメージをつくる。人物、場所、情景、出来事などを鮮明にありありと描く。(2)イメージが現実に近く、具体的になるほど効果はあがる。(3)写真、鏡、ビデオなどをフルに活用して想像力を刺激し、イメージを喚起する。(4)メンタル・リハーサルは、肉体的な技術の習得を促進する効果がある。特にむずかしい技術の習得には、肉体的な練習とあわせて行うと効果が高い。(5)試合のあらゆる局面を想定し、たとえ苦境に立っても冷静でいられるトレーニングを積む。失敗したプレーを思い出し、頭のなかでやり直す。何度も反復して行い、うまくできた時のイメージをつくりあげ、定着させる。(6)困難な状況を迎えた時の心理状態をコントロールできるようにする。ピンチに追い込まれた自分の姿を、落胆、失望、いらだちではなく、落ち着いて自信にあふれた状態として思い描く。(7)毎日トレーニングを積み重ね、否定的、悲観的なセルフ・イメージを積極的、建設的な発想につくり変えていく。(8)トレーニングの日課を決める。ビジュアライゼーション・トレーニングを行う時間は一日五分程度とする。一回の所要時間を長くするより、短い時間で何回も行うほうがトレーニングの効果は高い。(ジム・レーヤー『メンタル.タフネス』TBSブリタニカ)
- 精神的にタフになるプロセスを促進するための17の方法:(1)気持ちを変えるために思考を変える。(2)気持ちが気に入らなければイメージを変える。(3)なにをどう考えるかに全責任を負う。(4)ポジティブな思考の練習を常に行う。(5)絶対に「できない」とか「嫌い」と考えたり、言ったりしない。(6)自分に力を与えることを考える。(7)ネガティブな感情を断ち切るためにユーモアをもって考える。(8)よりエネルギッシュに考える。(9)試合中は「今、この場所」に集中し続ける能力を養う。(10)ここ一番では自分の外側の世界に注意を向ける。(11)絶えず戦術的ビジュアライゼーションを練習する。(12)ミスに対する考え方を訓練する。(13)なぜ戦うのかを試合前にはっきり再確認する。(14)より強くなるために逆境を利用する。(15)戦うことが大好きだと常に思う。(16)ネガティブに考える癖をなくすためにポジティブな意識改革を行う。(17)「今日だけは〜する/しない」と思う。(ジム・レーヤー『スポーツマンのためのメンタル.タフネス』TBSブリタニカ)
- 認知の歪みの定義:(1)全か無か思考:ものごとを白か黒かのどちらかで考える思考法。少しでもミスがあれば、完全な失敗と考えてしまう。(2)一般化のしすぎ:たった一つの良くない出来事があると、世の中すべてこれだ、と考える。(3)心のフィルター:たった一つの良くないことにこだわって、そればかりくよくよ考え、現実を見る目が暗くなってしまう。ちょうどたった一滴のインクがコップ全体の水を黒くしてしまうように。(4)マイナス化思考:なぜか良い出来事を無視してしまうので、日々の生活がすべてマイナスのものになってしまう。(5)結論の飛躍:(a)心の読みすぎ:ある人があなたに悪く反応したと早合点してしまう。(b)先読みの誤り:事態は確実に悪くなる、と決めつける。(6)拡大解釈(破滅化)と過小評価:自分の失敗を過大に考え、長所を過小評価する。逆に他人の成功を過大に評価し、他人の欠点を見逃す。双眼鏡のトリックとも言う。(7)感情的決めつけ:自分の憂うつな感情は現実をリアルに反映している、と考える。「こう感じるんだから、それは本当のことだ」。(8)すべき思考:何かをやろうとする時に「〜すべき」「〜すべきでない」と考える。あたかもそうしないと罰でも受けるかのように感じ、罪の意識をもちやすい。他人にこれを向けると怒りや葛藤を感じる。(9)レッテル貼り:極端な形の「一般化のしすぎ」である。ミスを犯した時に、どうミスを犯したかを考える代わりに自分にレッテルを貼ってしまう。「自分は落伍者だ」。他人が自分の神経を逆なでした時には「あのろくでなし!」というふうに相手にレッテルを貼ってしまう。そのレッテルは感情的で偏見に満ちている。(10)個人化:何か良くないことが起こった時に、自分に責任がないような場合にも自分のせいにしてしまう。(デビット・バーンズ『いやな気分よ さようなら』星和書店)
- 研究は楽しんでやるものです。そのかわり、どんな目にあっても自分が正しいと思ったら逃げてはだめです。/ 私が見い出した理論が国際会議で徹底的にたたかれたことがありました。国際会議で私の理論が認められなくて、牢屋に叩き込まれたような気分でした。しかし、学問にはマジョリティもマイノリティもないはずです。正しいものが勝つ。私は少数派でした。私が言い出したことを他の多くの研究者が認めてくれない、いわば四面楚歌の状況だったのです。孤立状態から脱するのに10年、20年の歳月がかかりました。ついに私たちマイノリティの勝利に終わったのは20年後のことでした。/ 一つのことを世界に認めさせようとすると10年、場合によっては20年かかることもあるのです。そのことによって食えないこともあり得ると思います。そういう苦労を克服していく忍耐力があるか。それは自分がいかに学問が好きか、研究が好きかということにかかっています。/ 誰にでもアイデアはあるはずです。問題はそのアイデアを徹底的に追及する力なのです。若い人のみならず、われわれにとっても徹底的に追及する力が必要です。アイデアを追及するためには、最新の情報をたくさん集めなければいけないと思う人がいるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。研究の本質的なところはほとんどの場合、ごくわずかな情報さえあれば結果が出せます。最近の若い研究者の不幸なところは、あまりにも情報量が多いことです。むしろ情報を切り捨てていく覚悟をこれからはしなくてはいけない。どういうものが本質的なものかと見破ることが独創性につながり、その人の研究者としての資質にもなる重要な要素のひとつです。(有馬朗人『研究者』東京図書)
- 第一線の実験的研究をするためには、重要なことが三つあります。第一は、よいテーマを見つけること。第二は、よい観測装置・実験装置をつくること。第三は、人のやらないことをやるということです。(戸塚洋二『研究者』東京図書)
- 第一線の研究者になるための必須条件は、基礎力と情熱につきます。どちらが欠けていてもだめです。たんなるスキルでけではいけません。真理に対する考え方やものの見方、人間と自然の調和、認識するとはどういうことなのかなど、ただおもしろければいいというのではなく、そういう自然に対する考え方も含めた基礎力と情熱が必要です。そもそも本人に何かを求める気持ちがあるからこそ研究者になりたいわけです。もちろん若いころは具体的には何をしたらいいのかわからない場合もあるでしょう。しかし、真理を追及したい、新しいものをつくりたいという何かがあるはずです。そういうものをだんだんと具体的なものに成長させていくのです。その原点としての情熱をもっていることがまず重要です。/ 自分がやりたいと思う研究を大きく成長させていくためには、協力してくれる人や理解者を増やしていかなけばなりません。理解者や協力者との出会いを大切にしながら研究を進めていくことになります。そのためには、まず自分の研究に対する絶対的な情熱がないことにははじまりません。日本はアイデアを大事にしないといわれますが、必ずしもそうではありません。よいアイデアと情熱があれば理解してくれたり、協力してくれたりする人が必ず現れるものです。もちろん、アイデアをわかりやすくきちんと説明することと、それができるという実績や力を示すことが必要となります。つまり、よい研究を完成させるためには、何をおいても基礎力が重要となります。アイデアがあっても基礎力がないと結局実現できないことが多いからです。/ 逆に勉強だけしていてい基礎力はあるのに研究するのが怖い人、あるいは情熱がないという人もよく見かけます。情熱はあっても、基礎力がないために空回りして、次のステップに行けない人もいます。繰り返しになりますが、基礎力と情熱の両方が大事です。若い頃に情熱をもち続けながら、基礎力をしっかりとつけておくことが肝要です。(『研究者』東京図書)
- 私は学生によくいうのですが、重要だと頭でわかっていても感覚的におもしろい、自分の知的好奇心を刺激するものでないと、長続きしないと思います。自分の知的好奇心を強く刺激するところが出発点です。それがあってこそイマジネーションが湧いてくるし、新しいものを見つけようというエネルギーも湧いてきます。「知的好奇心」それが研究の根源です。私の場合は、それは本との出会いから生まれました。世の中で注目されているからとか、たまたまある研究室にいたから、指導教授にいわれたからやりましたというのでは、第一線の研究者にはなれません。(榊佳之『研究者』東京図書)
- ダイヤモンドの原石ははじめから光っていますか?泥や岩のなかに入っているただの石ころと同じです。それをとり出してきて、さらに削ってブリリアント・カットしてはじめて美しく輝くダイヤモンドになります。研究もまったく同じで、発見した事実が新しいのか、重要なのかどうかを判断するのが大切です。どの時代でも時の研究のパラダイムは強大なものがありますから、流れに沿わない多くの発見や成果はほとんど意味がないと判定されてしまいます。そういうなかで新たな価値の発見をしていくことが大切なのです。勇気のいることですが、まずは石ころのなかに何があるか、はっきりと主張しなければいけません。ノーベル賞をもらう人は、決して最初に事実を発見した人とは限りません。多くの場合、価値を発見した人なのです。(野依良治『研究者』東京図書)
- 価値の発見をするためには、若いときに自然科学のみならず、人文社会科学あるいは世の中について広い教養と原理・原則をたたきこんでおくことが必要です。それによって触発されるわけです。結局、若いときにどれくらい本質的なことに興味をもって育ったかということです。家庭環境や友達、知識・教養、国内外の文化など、いろいろなレセプターを前もってつくっておく。そこに、いつの日にか研究結果がピタッとはまる。パスツールの「幸運は用意された心にやどる」という言葉は、まさに至言だと思います。/ 私のモットーは「研究は瑞々(みずみず)しく、単純明快に」。直線的な美しさが好きなのです。特に「瑞々しく」というのが私には重要な要素で、研究は知性だけでなく感性も必要だということです。結局、人生観の問題です。/ 科学を研究する場合には、自然と素直に対するということが大事です。まず、目的を達成しようとする強い意志が大事です。同時に広く周囲を見回して、研究過程を通じて何かを見つけるという柔軟な姿勢も必要です。気が多いばかりでも困りますが、これは両方とも大切で、成功への方程式はありません。/ こだわりも必要です。多方面に目配りをしながらやっているからいいという場合もあるし、一心不乱にやるからいいという場合もある。しかしいちばん大事なことは、つねに本質的なことをやろうという気概です。つまり研究とは何かということです。私たちは論文を欠くために研究をしているわけではありません。しっかりと研究をすれば、おのずと論文は書けるものです。(野依良治『研究者』東京図書)
- いま、大学における最大の問題は学術の細分化です。指導教授から渡されたテーマを研究して、またその一部を弟子にやらせる。それを繰り返しているうちにどんどん細分化していく。これは化学に限らずどの分野でも同じでしょう。これを修正するためには、自ら根幹の研究にもどるか、あるいは他の分野との出会いにより方向転換しなければなりません。先端的研究と称して、じつは末梢的なことをやっている。幹と末梢はどちらが大事かというと、いうまでもなく幹の方が大事です。花はたしかに梢に咲きますが、学術的にはそれはあだ花で、いちばん大事なのは根幹です。(野依良治『研究者』東京図書)
- 京大の伝統の一つに、「ナンバーワンよりオンリーワンをめざす」というのがあります。これは生物学に関してはすごく重要で、自分が何か見つけたことを継続して研究していくと、そこから世界が広がっていく。そこが私は研究者の楽しみだと思います。ある人が金鉱を掘り当てたら、わっと行くといったバンドワゴン現象の一人になるのではなく、自分が見つけたことを継続して、逆に他の研究者が寄ってくるような研究をする。/ 研究者として成功する要素は、大学院に入学するときにいい先生を選ぶということがまずは大切です。風評だけではだめで、その先生の書いた論文を読んで、自分がやりたいと思っていることに合っているのか。どんなに厳しい先生であろうと、その先生がいったい何を考えているのか。自分の一生を賭けるつもりだったら、真剣に研究に取り組んでいる先生を選ぶべきです。逆にいえば、真剣に研究をしている研究者はいい先生になるし、いい弟子を育てます。そういう先生のところに行ったほうが自分のためになります。/第二には、自分が何をしたいのか、よく考える。研究は自分が好きでなかったらできません。自分の心を打つ、エキサイトするものは何か、それをつねに意識することが大切です。そして、それを深く考える。私が最初にモデルを思いついたのは、実習などで忙しいときでした。私は忙しいと集中するという特技があるのかもしれませんが、そのモデルを思いついたのは帰りの電車のなか、夜10時ごろでした。いつも考えているということが大切なのです。/第三には、集中して考えるとともに広い視野をもつこと。生命現象は一個の分子だけで成り立っているわけではありません。自分のモデルを深く見ていっても、全体像を見失ってはいけません。そういう広い視野がどうやって養われるかというと、若いときにできるだけ多くの人と接触し、自分の幅を広げる。それが大切です。/第四には、語学です。カーネギー研究所やNIHは世界でも優秀な研究者が集まっていますから、いろんな情報交換ができます。そのためには語学が必要です。それは大学院に入ってからでは遅いのです。語学は不自由のないように勉強しておかないといけません。読む、書く、話すの全部です。これからは国際人としてやっていかないと優秀な研究者になれません。/私は若い人に「五つのC」が必要だといっています。challenge(挑戦)、courage(勇気)、concentration(集中)、continuation(継続)、confidence(自信)。その五つが成功の五大要素です。(本庶佑『研究者』東京図書)
- 科学というのは、夢に挑戦することです。夢というのは、容易に実現できないものです。しかし現在の研究者の世界は、研究成果によって研究者を評価しますから、長い年月をかけて夢に挑戦することが非常にむずかしくなっています。失敗するようなことは評価の対象から外れてしまいますから、なかなかチャレンジできないわけです。多くの研究者は、短期的に成果の期待できる研究テーマを設定し、次々とこなして論文の数を誇るような傾向が見られます。それは、いわば出来高制評価に迎合しているともいえます。論文が短期的にまとめられるというのは、それだけ研究目標の設定が低かったと恥じるべきことかもしれません。あるいは、論文が簡単に受理されたというのは、それまでの科学観のパラダイムの範囲内で検証したにすぎないと思うべきです。こういうことが、研究から夢を奪い、研究者の意欲を失わせている要因となっています。/成長しようと努力し試みたことは、どんなことでも必ずその人の宝になります。20代、30代の若い研究者は、生涯をかけて取り組むべき研究目標が見えずに苦しいでしょう。しかし、この苦境を乗り越えて得た目標を自分で確信できてこそ、創造的な研究に取り組めるし、その後の挫折にも打ち克つことができるのです。ただ、自分の生涯で目標が達成されるようであれば、目標の低さを恥じる必要があるのかもしれません。夢に挑戦しつづけることで、夢でありつづけるのでしょう。その夢を追いつづける研究者は輝いているはずです。(松本元『研究者』東京図書)
- ヤリイカの水槽内飼育に成功したとき以来、研究対象を分析して調べるという検事のような研究姿勢ではなく、研究対象に限りない思いやりをもつことが大切だと私は考えるようになりました。イカになりきると、イカがこうしてほしいといってくれるように、問題設定がどんどん出てくる。研究は沿ういうふうにやらなければ、新しい局面は出てこないということを学びました。(松本元『研究者』東京図書)
- しかし、失敗、挫折を繰り返して、もうこれ以上自分の能力はない、行き詰まって動きがとれないというところにきてはじめて、その研究のスタートラインに立てるのです。独創性のある研究をするためには、その山を越えなければいけません。そこからがんばるんだ、できるんだとサインを送れるかどうかが、マネジメントサイドの勝負の分かれ目です。(松本元『研究者』東京図書)
- 「脳のような」とは何か。脳には目的があります。それは、情報を自ら選択し、そのアルゴリズムを獲得することです。言い換えると、脳は思えばそのことをなすためのしくみをつくり出すシステムであるわけです。コンピュータは入力情報を得ると、プログラミングに従って入力情報を処理して出力することが目的ですが、脳の場合、出力は手段なのです。/ 脳とコンピュータの本質的な違いは、目的と手段がちょうど入れ替わっていることにあります。/脳の情報処理の原理はメモリベース・アーキテクチャであり、プログラムをつくることが目的で出力が手段です。コンピュータの情報原理はプロセッサベース・アーキテクチャであり、出力が目的でプログラムが手段。だから目標がないと、脳はスランプになります。目標を与えられていないと、どういう情報処理のしくみをつくっていいのかわからないからです。(松本元『研究者』東京図書)
- やはり大事なのは基礎にもどって考えることです。見かけの問題のもとは何かを考える。しかし、言うはやすしで、実際はなかなかむずかしいことです。基礎に帰れといっても、出発点にもどってしまったら肝心の問題まで届きません。うまく仕事ができる場合は、必要充分なところまでもどったときです。「この問題にとってはどこまでもどって考えるのが本質的か」と深く考える。勘だといってしまえばそれまでですが、そういうところがいちばん重要なカギを握っていると思います。(小林誠『研究者』東京図書)
- 卒論生で入ってくるときは、正直にいって「赤ん坊」と思っています。しかしそれから二年で学生たちのその分野での知識は膨大に増え、ものすごく成長する。もちろん私たちのほうがまだ広い知識はもっています。しかし、じきにある部分については学生のほうがよく考え、よくわかるようになる。そうなると彼らは譲らなくなる。主張をはじめます。私は議論しながら、その手応えを待っています。相転移を起こすという感じです。大学院に入り、だいたいマスターの二年ぐらいまでに相転移を起こす人は起こします。狭いながらもある分野について、プロとしての凄みが出てくる。つまり、いま現在、この点に関しては自分が世界で一番よく考えている、あるいは世界で一番この実験については進んだことを見ていると思うようになる。その段階に達すると彼らは一人でどんどん歩いて行く。世界のライバルたちのなかで自分がどの位置を走っているかがわかるようになる。一人前の科学者への脱皮です。/ マスター二年ぐらいまでに相転移を起こすかどうか。個々の学生に私が脱帽せざるをえないようになる。これは複雑な気持ちながらうれしい日です。(北澤宏一『研究者』東京図書)
- 研究とは、興味をもつこと、疑問をもつこと。それ以上にないように思います。問題を解こうとして意識してもしかたありませんから、興味や疑問をもったら安易に解決しないほうがいいと思います。自分の感性に何か引っかかるものがある、それが一番大切なわけです。興味や疑問をもたなかったら何もできません。それは教えられてできることではありません。こういう問題があるときはこういう見方をして対処する、ということはおしえられますが、それは最初だけです。(森重文『研究者』東京図書)
- 第一線の研究者にんつためには、やはりよい師とめぐり合うことと、自分で環境を生かすことがまず第一です。どこの研究室もそれぞれ特色があります。いいところもあれば、悪いところもある。そのいいところを積極的に取り入れて生かしていくということが、研究者にはいちばん必要です。・・・第二は、夢と志をもってほしい。理研(=理化学研究所)は「研究者の楽園」だとよくいわれるのですが、楽園にするか地獄にするかは自分しだいなのです。志があれば楽園ですが、志がなくなると不満ばかり出てきて地獄になってしまいます。競争が激しい世界ですから、他との比較をはじめると地獄です。他との比較など関係なく夢と志をもってやりたいことを一生懸命やる。そうすれば楽園になります。/ 第三は、研究発表はきちんと行う。・・・/ 第四は、第一線の研究者国際コミュニティのメンバーになることです。・・・/ 第五は、異分野の研究者と積極的に交流することです。・・・(土肥義治『研究者』東京図書)
- 研究というのは自分が何をやりたいかを突き詰めるわけですから、自分のなかに沈潜し、シャープに自分を探っていくことはもちろん必要です。私の経験では、自分のなかで深く自分を探す作業と、それをもって広いところに出て練磨する、他流試合をする、共同研究する、といった他とふれあうことが大切です。/ 深く自分のなかに潜って探してきたアイデアを他の研究者に知らせる。それに対して他の研究者が応じる。知識と知識ではなく、心と心のやりとりが化学の本質的な部分だと思うのです。「科学する心」というのは抽象的なものではなく、人間と人間の心が響き合うことです。みんなが「それおもしろいな」とか「それやってみようよ」ということが大切なのです。ドイツやアメリカの研究所では、談話会や毎日のティータイムが、研究者どうしの共鳴する場になっていました。いい研究者になるにはそういう場にも平気で参加できる、そういう場が好きなほうがいいと思います。ただ、自分から提供できる話題がないと、いつも聞き役に回るだけでつまらないですし、顔を出すからには新しいアイデアや話題を用意しなければなりませんから結構厳しいのです。(小平桂一『研究者』東京図書)
- まずは自分の「問い」をシャープにする。それで自分なりに答え探しをはじめたら、他の研究者の論文を読んで、他の研究者がどのように考え、どういう答えを出しているかに触れる。私はそういうスタイルをとっています。研究者によっては、他の研究者の問いや答えを勉強して自分の問いをつくるという人もいるでしょう。もし新しいことを発見したいという目的で他の研究者の問いや答えを見回していたら、それは山師のようなものです。金鉱をあてようと思っているのと同じで、それでは研究者にはなれません。マーケット・リサーチ的な発想をするのは、研究者ではないのです。研究者は「自分が何をやりたいのか」という問いから出発し、結果として新しい発見をするかもしれないし、そうでないかもしれない。自分のやりたいこと、知りたいことを徹底的に問いつめ、その問いに厳しく向き合うことが研究者の本質なのです(小平桂一『研究者』東京図書)
- もともとみんな研究者ですから、自分のもっている研究手法を使って、ずいぶんおもしろいこともやりました。しかし、法律や税金、職員のサラリーをどうするかといった勉強まで必要です。非常に広いように見えますが、研究とはそもそもそういうものだと思わなければいけないのです。つまり壁にぶつかったとき、自分のレパートリーを限定していたらだめです。新しい分野でも勉強して、壁を乗り越えていかなくてはいけません。/ 第一線の研究者になるには、さきほどいったように知識・教養を広く吸収して問題発見型の知性を磨いておくことが非常に大切です。それがないと研究の限界に近づくと躊躇して、その壁を乗り越えられない。興味を抱くというレベルでいろいろな分野の勉強をして幅広く吸収しておくと、壁が近づいたときに怖がらずに乗り越えることができます。(小平桂一『研究者』東京図書)
- 批判に対しては決してめげないことです。もし批判の中に正しいことがあれば、考えを正せばよいのです。自然が示す客観的真理から判断して、自分が間違っているとわかったら、あきらめて新しい理論をつくればいいのです。私も自分が書いた論文に対する批判のほうがただしかったという経験があります。考えが及ばなかった部分を指摘され、私はそれが正しいことを認めて新たに論文を書きました。批判を受けたからといってめげることはないし、もし不充分なところや間違ったところがあったら訂正することを恐れてはいけないのです。(有馬朗人『研究力』東京図書)
- どの時代にも解決を求めいる大きな課題が必ずあり、ある種のメッセージを送っています。したがってそうした問題に早く気がついて解決できれば、大きなインパクトを及ぼすことにつながります。流行に流されてはいけませんが、時代の潮流には大事なヒントがあるのです。それに耳を傾け吟味すれば、自分のとるべき道が見えてくるはずです。同じ問題に対してもよく考えていけば、解決手法には独自性が出てくるはずです。この時代が要請するものや潮流の行き着く先などに対しては、敏感であってほしいと思います。(榊裕之『研究力』東京図書)
- 研究活動において問題が設定できれば攻め方はいろいろあります。理論が得意な人は理論計算をするし、実験の特技をもっている人は実験をする。実験といっても従来の実験方法を極限まで駆使する場合もあれば、あっと驚くような実験方法を考え出す場合もあります。これは研究者によって得意技が異なります。自分の得意技が何なのかよく見きわめて、得意な方法を使うのがいちばんいいのです。何かが苦手ということは、別のやり方が好きだということでもあります。したがって弱点を克服するよりは、弱点を認識して自分の得意技を見い出し、磨いていくと、他の研究者とは違った見方ができるのです。根幹にかかわる弱点があると自信を失うかもしれませんが、少々の弱点は自分の持ち味にして攻め込むと、非常にユニークなアプローチが出てくるものです。/ 研究を進めていくと、必ず壁にあたります。テーマの選択による運不運もありますが、攻め方が悪いために解決できないことが多いものです。そういう場合、工夫で壁を破れる場合もあるし、方向転換が得策の場合もあります。大切なことは、何か月にもわたってじっとしのぎながら、壁を打ち破る努力をしつづけることです。/ そういう苦しい際に研究テーマそのものや、指導教官の助言が間違っていると学生は思いがちですが(ほんとうにそういう場合もありますが)、そう思い込んでしまうと自分で工夫する力が失われ、成長の機会を放棄することになります。「私の助言に異論があるなら議論を歓迎するが、研究上の壁は自分で打ち破らないと自分の仕事にはならない」とつねづね学生に行っています。壁にあたったときや失敗して転んだときに立ち上がることが大切なのであって、壁や失敗を恐れる必要はないのです。立ち上がる力を身につけてほしいのです。(榊裕之『研究力』東京図書)
- 研究の成果は論文にして発表しなければ意味がありません。これは私の経験でもあるのですが、論文の書き方にはある意味でコツがあります。論文など研究発表するときには、その論文の欠点がいつでも自分の頭のなかにあるものです。この理論には欠点があると自分ではわかっています。しかしプレゼンテーションするときには、何が一番おもしろいか、すばらしいかを中心にすえて発表することが大切です。発表するときには欠点を話してはダメです。論文の欠点はあとでしっかり考えることであって、書いている論文にはいいことをしっかりプレゼントする。(佐藤勝彦『研究力』東京図書)
- 科学は100年ぐらいかけて発達してきましたが、その背景には「なぜ?」「どうして?」という疑問がつねにありました。疑問を課題として見つける「課題発見能力」こそが研究者としての最大の資質なのです。「課題発見能力」とは、「これを研究したい」という具体的な研究テーマを自分で見つける能力です。「課題発見能力」を高めるためには、自分で考える力を養うことが大切です。現代社会は何もしなくても大量の情報が入ってきますから、いままで以上に幅広い知識をもち、考える力を養っていないと、情報をただ受け入れるだけになってしまいます。そうなると、新しいはっそうだけでなく正しい判断と評価ができません。自分で情報を使いこなすことができるようになるためには、もっともっと基本的な知識と考え方を身につけなくてはいけないのです。/ 世間でいわれているほど学生のレベルが落ちているとは思いませんが、私が見るかぎりでは語学力、構成力が不足しています。実験をするときに、何が目的で、何をやって、何がわかったか、それによってどういう知見が得られたかを考える「構成力」がとくに欠けています。/ もちろん、環境によるところも大きいはずです。研究室の一部を研究しているだけでは、その研究内容の全体像が見えません。自分がやっている研究の位置づけや、何をやっているのか、その研究分野にとってどういう意味があるのか、といったトータルな視点や考え方は、基本をもっていないと判断できないものです。研究の位置づけ、意義づけ、価値を自分で考え、判断でき、しかも意欲があるというのが研究者にとって重要なのです。(中西友子『研究力』東京図書)
- 外面的なことに身を任せるのではなく、自分という内面に身を任せるなら、自分という存在に確信を持つことができるはずなのだ。換言すれば、外面的なことだけに関心の目を奪われていては、いつまでたっても主体性を確立することなどできない。/ 自分に確信が持てる人は、世間をしっかりと見極めることができる。そうなることで、自分を見失うこともなく、世間に自分を身売りすることもなく、生きていけるのである。/ 人が自由を求めるのなら、管理されるほうを選んで、自分を不愉快な人間にしてはいけないのだ。/ わが道を生きるとは、われを見捨てず、われを人任せにせず、自分の内面を心を思いを大切にし、われを生きることにある。(桜井章一『雀鬼流』三五館)
- 熱心と真剣は同義語ではない。「熱心」はただの入り口で、「真剣」は人の生き方にかかわってくる。真剣になるには、たとえば、冷静と勇気とかいうような相反することを同時に行う「合一の精神」が必要です。(桜井章一『雀鬼流』三五館)
- 現代は、飽食の時代であるがゆえに、「呑まれすぎ」なのです。なにごとにも、呑まれてはよくないのです。/ 世間の情報に呑まれない。知識に呑まれない。勝負ごとでは相手に呑まれない。/ 教わった歴史に呑まれない。歴史を知ることと、呑まれることは違うんです。ましてや、真実でない歴史に呑まれては、二重にこっけいです。/ 呑まれていると、自分ではなくなる。自分を見失います。物が豊かになればなるほど、呑まれない感覚というのが大事になってくるのです。(桜井章一『雀鬼流』三五館)
- 人の上に立つ指導者というのは、一つの考えをきちんと持っていて、眠いせいだとか、疲れたせいだとか、歳のせいだとかにしていられない。上に立つ以上は、口ばかりでなく、自分に情けないことが起こってはいけない。/ とかく人は、自分の実力のなさをカバーするために、組織を大きくすることで、政治権力やお金の力で、自分を大きく見せようとするのです。(桜井章一『雀鬼流』三五館)
- 麻雀は、人と人との戦いですが、私は他者には惑わされません。麻雀だけを見つめていればいい。人を見てしまうから動揺や恐れが生まれ、悪い結果に陥ってしまう。ですが、ほとんどの人は、対戦相手を見てしまう。たとえば「アイツ強いからなあ」と、人を見てしまうと、麻雀との戦いではなく、人との戦いになってしまう。それは、みなさんが知識の中で打ってしまっているからなのです。/ だれが相手であろうが、人が見ていようがいまいが、己の姿勢を崩さない心をふだんから持ち続けなければならないのです。/ 欲も、緊張感も、心の揺れも、人間に与えられたものです。あって困るものではなく、むしろないと困るものです。ありすぎるからいけない。つまり、心は揺れて当然です。緊張感や、心の揺れや、欲をなくそうとするのではなく、それらを楽しめる、それらに負けない人間になればいい。/ 揺れない心を作るためには、これまでの雀風、麻雀観、蓄積された知識、心に染みついた常識を大幅に改革しなければならない。揺れない心というのは、恐怖心を押さえ込んで、力技に徹するというのではなくて、端的にいえば、心理的バランスを保つということ。そのためには、恐怖心を抱え込んだまま、打っていかなければならない。(桜井章一『雀鬼流』三五館)
- 人はいつの頃からか、「得ること」ばかりに心を囚われ、「失うこと」に対して過敏な恐れを示すようになってしまった。この世に生を、命を得ても、いつかは失う。「得ること」と「失うこと」とは抱き合わせになっている。別々に分けて考えることのできないもの、二つで一つ。それが自然界の摂理です。/ 人生、得ることだけではありません。ところがいまの子供たちは、得ることだけを小さいときから教えられて育っている。「さきざきに、これこれの物が得られるから、いま努力しなさい、頑張りなさい」と。子供たちは得ることだけを価値観として育ってしまう。/ 企業に入ってからも、得ること、増やすことばかりを、頭に植えつけられる。進歩だとか、繁栄だとかの、美しい理由づけがあり、正当化されて、教え込まれている。そういうわけで、なにごとにつけ捨てることがとても怖くなっている。麻雀にたとえればちょっとでも振り込んだら負けてしまう、と。/ ですが、ご承知のように、人間一番強いのは、捨て身のときです。ということは、捨てどころ、というのがあるのです。心が捨てる気持ちになったときに、失うものは何もないという状態になったときに、人は恐怖心を克服でき、無心になれる。/ どれだけ捨てられるかというときに、そこに愛情も思いやりも入ってくる。捨てたくないと思っている者に、思いやりなどあるわけがない。通常、人は、愛情だとか、何かを得たいがために、相手に優しくしたり、思いやりを発揮している。(桜井章一『雀鬼流』三五館)
- 私は逆です。「あ、チャンスだな」と思う。いわゆる不運を、与えられた手だ、テーマだと思うのです。その中で、どうにかすればいい。そういう状態で麻雀を打ち続けると疲労感がなくなってくるのです。これは、身体のだるさを我慢しているのではない。/我慢しているうちは、我慢ではない。鍛練していると思えているうちは、いまだ鍛練ではない。鍛練しているという意識がなくなって、自然にやっている行為が本当の鍛練です。よし、これから強くなろう、鍛練しよう、と思って我慢してる状態というのは、本当の意味での我慢でも鍛練でもないということです。/ 瞑想している、という意識があるうちは、真の瞑想ではないということと同じです。真の瞑想というのは、三昧の境地です。そこでは「私」という意識も、瞑想しているんだという意識もなくなってしまっているはずです。/つまり、つらさはつらさではなくなる。つらいことと楽しいことを分けて考えてはいけないのです。(桜井章一『雀鬼流』三五館)
- 理科離れの傾向がよく指摘されますが、私は文科離れも深刻だと思います。知の時代というのはなにも理科に限らないわけで技術立国であると同時に「文化立国」でないと国際的にも尊敬される国にならないし、人間として幸せに生きていくこともできない。(野依良治/日本経済新聞2002年1月1日)
- 現状に満足してしまっては、それ以上の進歩は望めないわけだし、進歩への努力をしないことは、人間としての魅力を失ってしまう可能性がある。一番の基本は、自分がやっていることが好きかどうかです。どんなときでもやっていることが好きでいられれば、もっと上を目指そうとする。そのときの行為、努力、いろいろな要素が人間をつくっていくと思うのです。好きなものをもっと好きになりたいから必死に練習し、その成果を出そうとする。僕は好きなことを自分の思った通りにやってきただけです。でも、それが結果として、多くの人々に感動してもらえた。それは、僕としても非常にうれしいし、さらなる勇気を奮い起こすエネルギー源になっているのです。(イチロー/日本経済新聞2001年12月22日)
- 学者や評論家たちはそれぞれ自分の「世間」をもっていて、その「世間」に対して書いている。したがってその中にいる者すべてが同じような立場に立っているから、それぞれの書くものが、わが国の現実に合致しないということに皆が気づくことなく、論壇は無事平穏に過ぎていくのである。(阿部謹也『学問と「世間」』岩波新書)
- 各大学で現在一般教育の再編成を行っているが、教養という概念について共通の理解がないところで教養教育の再編成を行おうとしても、原理がないところでの再編成であるから本来難しいのである。(阿部謹也『学問と「世間」』岩波新書)
- 「世間」と社会の違いは、「世間」が日本人にとっては変えられないものとされ、所与とされている点である。社会は改革が可能であり、変革しうるものとされているが、「世間」を変えるという発想はない。近代的システムのもとでは社会改革の思想が語られるが、他方で「なにも変わりはしない」という諦念が人々を支配しているのは、歴史的・伝統的システムのもとで変えられないものとしての「世間」が支配しているためである。(阿部謹也『学問と「世間」』岩波新書)
- 権威も権力も、形式も内容も、外部も内面も、公的価値も私的価値も----要するに、社会的・政治的な価値の一切を包摂して存在する国家、それが過去の日本の全体主義国家だと丸山真男はとらえた。日本国家は法体系を備えたたんなる権力機構でも、市民社会の矛盾を調整するたんなる管理機構でもない。宗教や道徳をも内にふくみ、さらには芸術や学問さえも、いや、ひょっとすると自然までも内にふくんでなりたつ、巨大な共同世界であった。(長谷川宏『丸山真男をどう読むか』講談社現代新書)
- 明治維新から数えて百三十年余、太平洋戦争敗北から数えて五十五年余、自由なる主体性の確立という課題はいまだ未解決の課題としてわたしたちに突きつけられている。丸山真男の日本ファシズム論を過ぎさったこととして封印できないゆえんだ。(長谷川宏『丸山真男をどう読むか』講談社現代新書)
- 趨勢のままに生きるのには、思想はいらない。とりわけ、個の確信を根拠になりたつ近代思想は、時代の趨勢と対峙しつつ、それとのさまざまなぶつかりあいのなかでおのれを守りぬくことにその生命力があるのだ。啓蒙思想も、自由と民権の思想も、信仰の自由の思想も、西洋近代社会にあって、そのようにしておのれを鍛え、人々の共感を獲得してきたのだ。そうした思想の信奉者が、個人的あるいは社会的な事情ゆえに「公的および私的な官僚的編成のなかに系列化される」ことは十分考えられるが、その場合でも、官僚的編成に呑みこまれてしまわないだけの思想的自立性を内面にもち、系列化された自己とおのれの確信のもとに生きる自己との矛盾を自覚し、矛盾のなかで内面的な自己をつらぬくのが思想を生かす道であり、思想を生きる道なのである。(長谷川宏『丸山真男をどう読むか』講談社現代新書)
- 芸術や学問を絆として非政治的な自主・自立の集団ができたと考える。その集団は、その成員がどんなに自由で自立した個人であっても、歴史的・社会的現実に抵抗する非政治的集団たるためには、民衆の生活とつながりをもたねばならない。政治の優位する現実のなかでは、芸術や学問を支配・被支配の構造にとりこもうとする力が働いて、芸術なるもの、学問なるものが特別に価値のあるものとされるとともに、芸術世界や学問世界の内部には上下の価値序列が作られていく。そうした力に抵抗するには、普通の人々の暮らしのなかで、芸術が、学問が、どう生きていくのかが考えられていなければならない。それには、非日常的な想像力の世界と民衆の日常生活とのあいだを、あるいは、非日常的な観念の世界と日常生活とのあいだを、たえず行き来しなければならない。(長谷川宏『丸山真男をどう読むか』講談社現代新書)
- 通常、パブリックは、私的なものに対して、共同体あるいは国家のレベルについていわれるのにカントは後者を逆に私的と見なしている。ここに重要な「カント的転回」がある。この転回は、単に公共的なものの優位をいったことにではなく、パブリックの意味を変えてしまったことにあるのだ。パブリックであること=世界公民的であることは、共同体の中ではむしろ、たんに個人的であることとしか見えない。そして、そこでは個人的なものは私的であると見なされる。なぜなら、それは公共的合意に反するからだ。しかし、カントの考えでは、そのように個人的であることがパブリックなのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』批評空間)
- 研究者や研究機関は、知的好奇心だけでなく社会的な関心を持ち、何が役に立つかを意識して研究すべきであろう。ただ、それは研究者の自覚的な学識と倫理観に基づくもので、お役所などが強要する筋合いではない。(日本経済新聞 編集委員 塩谷喜雄 2001年10月22日)
- Where's the form? Don't ask. Don't
think. Don't anticipate. Just participate. It's all there
somewhere inside. And then suddenly it forms itself. (Keith
Jarrett)
- イスラーム社会運動のなかにテロリズムを辞さない潮流があることは事実である。しかし、それをもってイスラームがテロリズムの宗教文化でもあるかのように錯覚するのは、北アイルランド紛争でテロルを繰り返す「真のアイルランド共和国軍」(リアルIRA)がカトリックひいてはキリスト教の代弁者ではない事実と同じである。また、イスラーム世界が欧米に対して一致団結しながら対決していると考えるのは一種の「緑禍論」にすぎない。イスラームが全体として国際政治や経済のヘゲモニーを押さえるために欧米の価値観に挑戦しているという見方は、現代世界を形づくっている神話のなかでもいちばん危険な思いこみかもしれない(山内昌之『イスラームと国際政治』岩波新書)
- What do I want to achieve with my music?
The same as everyone else: to make present time last, something
which we are deprived of in life. In our lives we pass from the
past to the future, not even having an instant of present time;
this instance is possible to achieve only in art, when present
time lasts through the means of musical form. Sofia Gubaidulina
(Gramophone September 2001)
- 研究についてみると、大学は研究者個人の自由な発想によって、研究の多様性と継続性を確保する場として大きな意味を持っている。言葉を変えれば、人々が次の時代をどう生きるべきかを考える指針、つまり文化の源としての機能である。大学の研究が産業に直接役立つことは結構だが、それだけが大学の役割でないことを忘れてはならない。(日本経済新聞社説2001年6月28日)
- 「頑張れ」という言葉は、時には人を傷つけ、追い込む。なぜか。なぜなら、人はそもそもの初めから、しょうがなく生きているからである。確かな積極さは、この「受け身」であることの深い自覚からしか出てこない。(南直哉『語る禅僧』朝日新聞社)
- 自分に起きた正体不明の出来事を語ることのできる言葉を発見すること。その出来事に輪郭がそなわり、それを他人に語るだけの価値あるものとする文脈が自分に開かれていくこと。/ 一度それがわかれば、人はその体験を限りなく深めていくことができる。さらに別の言葉を与え、別の文脈で語り、別の体験に結びつけ、別の人の言葉や体験に照らし合わせて、しだいに彼は「自分の体験」という独自性にやどる普遍性に気づいていく。そしておよそ独自性と切り離された普遍性などないということにも。(南直哉『語る禅僧』朝日新聞社)
- 奇跡というのは水の上を歩くことではありません。奇跡とは、今という瞬間に緑の大地を歩くこと、今目の前にある平穏と美を心ゆくまで味わうことです。
- 現代人は沈黙が苦手である、退屈する、いやがる、自分に向き合い、じっと座っているのが難しい。じっとしていられないか、歩き回る、何かする、何かを言う。このとき彼は行動しているのではない。それで彼の行いの大半は不自由である。創造的でもなく、自分が思っているほどダイナミックでもない。要するに衝動に振り回されているからだ。
- 「生気をとりもどす安らぎのいっときを、いかなる人も、必要とする。安らぐことで、よろこぶことで、おのずとより高き、より善きものを、仰ぎ見、望むいっときを、いかなる人も必要とする」
- 「危機をより善き選択への岐路とせよ」
- Science is a very strange activity. It only works for simple
problems. Even in the hard sciences, when you move beyond the
simplest structures, it becomes very descriprive. By the time you
get to big molecules, for example, you are mostly describing
things. The idea that deep scientific analysis tells you something
about problems of human beings and our lives and our
inter-relations with one another and so on is mostly pretence in
my opinion ---- self-serving pretence which is itself a technique
of domination and exploitation and should be avoided. ( N.Chomsky
The Architecture of Language.)
- いまの若い人たちがかわいそうなのは、安定した社会の中で、安定を求めることだけを教えられて育ったことだ。だからちょっとしたトラブルや困難な状況に出会うと自分のカラに閉じこもってしまう。/ 人生に勝てと俺は言わない。勝つことが善で、負けることが悪とは思わない。たとえ負けても、強く生きているかが問題なんだ。困難や不安定を楽しめる、強さを持っているかと強調したいのだ。(桜井章一『悪戯の流儀』青春出版社)
- 私が会ったことのある校長先生も、この場面は心から接するべきだと思うときですら知識や頭で考えて子どもと接していました。思いやりや優しさのパフォーマンスを平然と行っている心なき教育者がたくさんいます。知識で解決しなければいけないこともありますが、行動で示さなければいけないことのほうがじつは多いのです。いまの教育に欠けている最大のものが「心から何かをやる」ということなのですよ。/ あなたに聞きたい。あなたは正しく、強く、美しいですか?子どもたちはそんな先生に憧れているのですよ。ずる賢くて弱虫で、格好悪い先生、約束を守らない先生、信頼のおけない先生、楽しくもなくつまらないだけの先生、上にも下にもしっかりした姿勢を見せられない先生、そんな先生の言うことを誰がきくでしょうか。(桜井章一『悪戯の流儀』青春出版社)
- 俺は理性なんかちっとも大切だと思わないんだ。むしろ、理性が勝ちすぎて、いきいきした”感情”を失ってしまうことのほうがオレには怖い。なぜなら感情の豊かな人は、悪いことはしないんだよ。だからこそ俺は一日中、ソフトボールをやる。理性で考えれば何を下らないことをやるのか、と思うだろう。しかし、よい痛みや疲れを肌で感じることで、本当の喜びを知る。その経験が感情を豊かにしていくはずと確信しているんだ。(桜井章一『悪戯の流儀』青春出版社)
- 「自分をテストしてみたいんです」(西山千)
- When you move beyond your fear, you feel free. (Spencer
Johnson "Who Moved My Cheese?")
- You could be more aware of the need to keep things simple, be
flexible, and move quickly. / You did not need to overcomplicate
matters or confuse yourself with fearful beliefs. / You could
notice when the little changes began so that you would be better
prepared for the bignchange that might be coming. (Spencer Johnson
"Who Moved My Cheese?")
- Then he laughed and realized that he had started to change as
soon as he had learned to laugh at himself and at what he had been
doing wrong. He realized the fastest way to change is to laugh at
your own folly -- then you can let go and quickly move on.
(Spencer Johnson "Who Moved My Cheese?")
- Haw realized again, as he had once before, that what you are
afraid of is never as bad as what you imagine. The fear you let
build up in your mind is worse than the situation that actually
exists. (Spencer Johnson "Who Moved My Cheese?")
- Then he laughed at himself. he realized his fears were making
things worse. So he did what he would do if he wasn't afraid. He
moved in a new direction. As he started running down the corridor,
he began to smile. Haw didn't realize it yet, but he was
discovering what nourished his soul. He was letting go and
trusting what lay ahead for him, even though he did not know
exactly what it was. (Spencer Johnson "Who Moved My
Cheese?")
- Life is no straight and easy corridor along which we travel
free and unhampered, but a maze of passages, through which we must
seek our way, lost and confused, now and again checked in a blind
alley. / But always, if we have faith, God will open a door for
us, not perhaps one that we ourselves would ever have thought of,
but one that will ultimately prove good for us. (A. J. Cronin)
- 世の中には、新しい考えが自分の考えと合わないと、あれこれ理屈をこね回したり必死で自説を弁護しようとする「知的な」人たちがたくさんいる。このような人の頭の中にあるいわゆる「知性」は、傲慢さといっしょになって「無知」とまったく変わらないものになっている。(ロバート・キヨサキ『金持ち父さん 貧乏父さん』筑摩書房)
- 自尊心が高くて人の話を謙虚に聞けない人、批判ばかりしている人は、本当は自分に自信がなくて危険を冒すことができない人間である場合がよくある。その理由は明らかだ。何か新しいことを学ぶとき、それを完全に理解するためには失敗を冒す必要がある。自信がある人でなければそんなことはできない。(ロバート・キヨサキ『金持ち父さん 貧乏父さん』筑摩書房)
- 近頃私がよく出会うのは、忙しすぎて自分の財産に注意を払うことを怠けている人たちだ。自分の健康に注意を払うことを忘れている人もいる。どちらの場合も理由は同じ----忙しいからだ。こういう人たちがいつまでも忙しい状態を続けるのは、自分が真正面から立ち向かわなくてはならない問題を避けるためにほかならない。そのことを彼らに指摘してやる必要はない。心の奥底では自分でもわかっているのだから。それを証明するには、彼らに面と向かって言ってやればいい。そうすると、彼らは「そんなことはない」と真っ赤になって怒り出したり、不機嫌な表情になったりするだどう。/彼らが忙しい理由は仕事だけではない。子供もその理由になる。また、テレビを見たり、釣りをしたり、ゴルフをしたり、買い物をしたりといったことで忙しいということもある。でも、口では「忙しい、忙しい」と言いながらも、心の底では自分が何か大切なことを避けようとしているのだということがわかっている。こういうのが最もよく見かけられる「怠慢」の形だ。つまり、忙しい状態を続けることで怠け続けるという形だ。(ロバート・キヨサキ『金持ち父さん 貧乏父さん』筑摩書房)
- 敗北によってやる気を奮い立たせるものが勝者となり、敗北によって打ち負かされてしまう者が敗者となる。(ロバート・キヨサキ『金持ち父さん 貧乏父さん』筑摩書房)
- 私が現在の学校教育がばかげていると思う理由はここにある。学校では、まちがえるのは悪いことだと教えられ、まちがえると罰を受ける。だが、実際に人間がどのように学ぶかを考えてみればわかるが、人間はまちがえることで学ぶ。(ロバート・キヨサキ『金持ち父さん 貧乏父さん』筑摩書房)
- 感情に対してただ反応する人間ではなく、それを観察して考える人間になることを覚えておくんだ。たいていの人は、自分の行動や思想を支配しているのが感情だということに気づいていない。感情は感情として持っていていい。だが、それとは別に自分の頭で考える方法を学ばなくちゃいけないんだ。(ロバート・キヨサキ『金持ち父さん 貧乏父さん』筑摩書房)
- われわれは未来について、二つのことしか知らない。一つは、未来は知りえない。二つは、未来は、今日存在するものとも、今日予測するものとも違うということである。(ピーター・ドラッカー『チェンジ・リーダーの条件』ダイヤモンド社)
- Globalization is not only the creation of world markets and
transnational companies; it also means the extension of justice
and democratic values into regions where barbarism still
flourishes. (The New York Times, 2001/1/7)
- 自分の心に聞いて「正しい」と思うことをやることだ。なぜなら、いずれにせよ批難を受けることになるのだから。たとえ何をしようと、また何もになくても文句を言われる。(エリノア・ルーズベルト)
- 成果をあげるために身につけるべき習慣的な能力は五つある。(1)何に自分の時間がとられているかを知ることである。そして、残されたわずかな時間を体系的に管理することである。(2)外部の世界に対する貢献に焦点を当てることである。仕事の過程ではなく、成果にその精力を向けることである。仕事からスタートしてはならない。もちろん、仕事に関する方法や意見などからスタートしてはならない。「期待されている成果は何か」を自問することからスタートしなければならない。(3)強みを基準に据えることである。そして上司、同僚、部下についても、彼らの強みを中心に据えなければならない。それぞれの状況下における強み、すなわちできることを中心に据えなければならない。弱みを基盤にしてはならない。すなわち、できないことからスタートしてはならない。(4)優れた仕事が際立った成果をあげる領域に、力を集中することである。優先順位を決定し、その決定を守るように自らを強制しなければならない。最初に行うべきことを行うことである。二番目に回すべきようなことは、まったく行ってはならない。さもなければ、何事も成し遂げられない。(5)最後に、成果をあげるよう意思決定を行うことである。意思決定とは、つまるところ、手順の問題である。そして、成果をあげる意思決定は、過去の事実の合意ではなく、未来についての異なる意見に基づいて行われなければならない。また、数多くの意思決定を手早く行うことは、間違いである。行うべきは、基本的な意思決定である。諸々の戦術ではなく、一つの正しい戦略についての意思決定である。(ピーター・ドラッカー『経営者の条件』ダイヤモンド社)
- 私が13歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。「今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- 成果をあげるための第一歩は、行うべきことを決めることである。いかに効率があがろうとも、行うべきことを行っているのでなければ意味がない。しかる後に、優先すべきこと、集中すべきことを決めることである。そして、自らの強みを生かすことである。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- 知識人の世界は、組織人による均衡がなければ「好きなことをする」だけとなり、意味あることは何もしない世界になる。組織人の世界も、知識人による均衡がなければ、形式主義に陥り、組織人間が支配する無気力な灰色の世界に堕する。両者が均衡して初めて、創造と秩序、自己実現と課題達成が可能となる。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- 人に成果をあげさせるためには、「自分とうまくやっていけるか」を考えてはならない。「どのような貢献ができるか」を問わなければならない。「何ができないか」を考えてもならない。「何を非常によくできるか」を考えなければならない。特に人事では、一つの重要な分野における卓越性を求めなければならない。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- できることではなく、できないことに気をとられ、弱みを避けようとする者は弱い人間である。おそらくは、強い人間に脅威を感じるのであろう。しかし、部下が強みをもち、成果をあげることによって苦労させられた者などひとりもいない。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- 組織といえども、人それぞれがもっている弱みを克服することはできない。しかし組織は、人の弱みを意味のないものにすることができる。組織の役割は、人間一人ひとりの強みを、共同の事業のたもの建築用ブロックとして使うところにある。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- リーダーシップの本質:リーダーたることの第一の要件は、リーダーシップを仕事と見ることである。効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である。効果的なリーダーは、自分が世界の支配者ではないことを痛いほど知っている。スターリン、ヒトラー、毛沢東といった似非リーダーだけが幻想に取りつかれた。...
第二の要件は、リーダーシップを、地位や特権ではなく責任と見ることである。優れたリーダーは、常に厳しい。ことがうまくいかないとき、そして何事もだいたいにおいてうまくいかないものだが、その失敗を人のせいにしない。...
第三の要件は、信頼が得られることである。信頼するということは、必ずしもリーダーを好きになることではない。常に同意できるということでもない。リーダーの言うことが真意であると確信をもてることである。それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である少なくとも矛盾してはならない。リーダーシップは賢さに支えられるものではない。一貫性に支えられるものである。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- そもそも「何が受け入れられやすいか」「何が反対を招くから言うべきでないか」を心配することは無益であって、時間の無駄である。心配したことは起こらず、予想しなかった困難や反対が、突然、ほとんど対処しがたい障害となって現れる。換言するならば、「何が受け入れられやすいか」からスタートしても得るところはない。それどころか、通常、この問いに答える過程において、大切なことを犠牲にし、正しい答えはもちろん、成果に結びつく可能性のある答えを得る望みさえ失う。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- 成果をあげるための秘訣を一つだけあげるならば、それは集中である。成果をあげる人は、もっとも重要なことから始め、しかも、一度に一つのことしかしない。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- 仕事の整理の仕方:(1)すべての仕事について「まったくしなかったならば、何が起こるか」を考えればよい。「何も起こらない」が答えであるならば、明らかに結論は、その仕事をただちにやめよということになる。(2)「他の人間でもやれることは何か」を考えなければならない。自らが行うべき仕事を委譲するのではなく、まさに自らが行うべき仕事に取り組むために、人にできることを任せることは、成果をあげるうえで必要なことである。(3)他人に「あなたの仕事に貢献せず、ただ時間を浪費させるようなことを、私は何かしているか」と定期的に聞けばよい。答えを恐れることなくこう質問できることが、成果をあげる者としての条件である。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- 「いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった」(ヴェルディ)
- フレデリック・テイラーが砂のすくい方を通じて後に科学的管理法として結実した研究を始めたとき、彼は個々の肉体労働について、「何が目的か」を問うことなど思いもしなかった。問題としたのは、「いかに行うか」だけだった。...
これに対し、知識労働の生産性の向上を図る場合にまず問うべきは、「何が目的か。何を実現しようとしているか。なぜそれを行うか」である。手っ取り早く、しかも、おそらくもっとも効果的に知識労働の生産性を向上させる方法は、仕事を定義し直すことである。特に、行う必要のない仕事をやめることである。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- とはいえ、個々の専門知識はそれだけでは何も生まない。他の専門知識と結合して、初めて生産的な存在となる。知識社会が組織社会となるのはそのためである。企業であれ、企業以外の組織であれ、組織の目的は、専門知識を共同の課題に向けて結合することにある。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- 原因が一つであったり、その説明が一つですむ歴史上の事件は珍しい。すでにわれわれは、ヘーゲルやマルクスなど19世紀の理論、厚顔きわまりない単純論の誤りを知っている。歴史上の事件は互いに関係のない数多くの発展の合成である。(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社)
- Ah, youth. Has there ever been a word more conflictingly
loaded? It resonates with infinite potential and loss. Youth is
our future, and our past. It is everything that is good as well as
bad about the world. The young are our own children, yet they are
also the little-understood enemy. They are superpredators and they
are lost lambs. They are the problem and the solution. They will,
for better or worse, inherit the earth. (The Economist, Dec. the
21st, 2000)
- Probably the most important feedback has
been that received in the crucible of teaching courses in language
testing, which has provided the acid test of our ideas and the way
we have presented them. (Lyle Bachman & Adrian Palmer)
- 私たちはあまりにも多く「理念」を語りすぎたのではないだろうか。国家の理念、政治の理念、経済の理念等など・・・。しかし、それらは表層的に普遍性を仮装していただけではなかったのか。それよりも、より普遍的なものは、肉感的な感性の中にこそあったと私は考えるのだ。社会からドロップアウトした人間たちとの繋がりと日々の行為と感情の中に、現代という時代があまりにも簡単に解体してしまった「もの」が、確かにあるように感じてならない。そして、その「もの」こそが、現在の社会を覆っている言いようのない閉塞感を突破するアンチテーゼになるのではないだろうか。(宮崎学『涙を忘れた日本人のために』小学館)
- 日本の当局は、政策決定に「全会一致」を基本とする慣行があるため、国民に、一つの政策を示すのみで、政策メニューを提示しない。このために、政策決定者はコンセンサス主義ゆえに責任の所在は不明確、国民は選択の権利も義務もないゆえ不支持(ネガティブ)のコメントに終始しがちという無責任体制に陥っているのだ(学習院大学教授 奥村洋彦)
- We feel that even if all possible
scientific questions be answered, the problems of life have still
not been touched at all. Of course there is then no question left,
and just this is the answer. (Ludwig Wittgenstein
Tractatus Logico-Philosophicus 6.52)
- 誰かに用意された道には何もない(日本橋ヨヲコ『極東学園天国第4巻』講談社)
- 何でもいいから何か安心してすがるものが欲しい、縛られてもいいから、安心して自分をそこに導いてくれるレールのような未来を欲して、つまり宗教を欲すること、私はかかる傾向こそ現代人の抱えた思想的退廃の典型だと思っている。(宮崎学『突破者の母』青林工芸社←「芸」は本当は旧字の「ゲイ」です。ことえりのバカ!)
- 池波正太郎は下町の出身だが、彼は下町のことを、「人を羨ましがらない町だ」と表現している。(宮崎学)
- 勉強にしても、私が育った環境で言えば「読み書きやソロバンができないと人に騙される、だから勉強して覚えろ」というものだった。つまり、共同体における親子の関係というのは、子供が生きていくために必要なものを親が教えて与えていくという、極めて現実的な問題を含むものだったのである。勉強はその範疇にあったにすぎない。ところが、今の親の「勉強しろ」というのは、結局はブランド志向からきていると思わざるを得ない。エリート職に就かせるためには学歴がモノを言う。そこで、子供の頃から塾に通わせたり、習い事をさせたりと遊ぶひまもないほど子供のスケジュールをギュウギュウに管理してしまうのだ。しかも、それは子供のためのブランドではなく、結局は親のためのブランドである。子供の頃から遊ぶ時間さえ親の見栄のために取り上げられ、ただひたすら親の期待に応えるために生きて行くのでは子供もたまったものではないだろう。そんな状況であれば、子供のほうから愛情を深めることを拒否したとしても何もおかしくはない。その歪みから親子関係が希薄になっているといまさらのように盛んに言われているが、希薄になって当り前ではないか。(宮崎学『突破者の母』青林工芸社←「芸」は本当は旧字の「ゲイ」です。ことえりのバカ!)
- 誰もごみは捨てないけれど、お上の言うままに「右向け右」でみんなが戦争に行く社会と、その辺にごみを捨てるような不心得なやつは中にいるかもしれないけれど、自由が基本的に尊重されている社会とを比べたら、僕はやはり後者を選びます。ヒトラーが主宰した1936年のベルリン・オリンピック大会は、オリンピック史上もっとも整然とした見事な大会でした。(村上春樹)
- 大学の市場主義改革が万能でないとの認識はその通りだが、評価を第三者にゆだねての適正な資源配分が、大学の教育研究の効率性を高めるという当局の認識は、まさしく社会主義計画経済の唱道者のそれであり、とても賛同しがたい。文部当局の改革指針は計画主義改革以外の何物でもない。(中略)かつてハイエクは計画経済の信奉者を知的驕慢となじったが、現在進行中の国立大学改革が、計画経済の愚を繰り返さないことを願いたい。(佐和隆光 日本経済新聞2000年8月13日)
- In philosophy there is no substitute for a combination of
original, imaginative sensibility, on the one hand, and sheer
intelligent, logical rigor on the other. The rigor without
sensibility is empty, the sensibility without rigor is a lot of
hot air. (John Searle)
- 仕事は結果が全てと言えるのなら、人生は過程が全てとは言えないだろうか。
- 人が良い方へ向かう手助けをするのが指導者で、自らの精神が弱いがゆえに人の上に立とうとする者を支配者という。(桜井章一「俺が俺に語る」『心温かきは万能なり』竹書房)
- 善と悪ではどちらが勝つのだろうか。/人が作り上げた「社会」という土俵では、いつの世も悪が栄え、善は抹殺され続けてきた。人は社会を良くしようとしているというが、いつも悪い結果しか残してはいない。/だが、常に善を滅ぼし続けてきた社会という悪は、いつの日か必ず滅びることになるだろう。/人が良い方へ向かう手助けをするのが指導者で、自らの精神が弱いがゆえに人の上に立とうとする者を支配者という。/愛とは育てることでなく手助けである。良い指導者とは、人を育てる人ではなく手助けできる人だ。「下の者を育てる」なんて、不遜な考えなのではないか。/しかし善と悪の関係と同様に、指導者と支配者が闘えば必ず支配意欲の強い者が勝ち、社会の構図では上に立つことになる。上に立つとは、その人の器量の大きさや人格の素晴らしさを表すものでは決してない。/今の世の中では、学問を修めたというよりは、学問を支配した者が優秀とされ、学力社会、能力社会の上層で支配する立場にいる。政治経済中心の世界では、いつも支配欲の強い者たちがこの世を牛耳ってきた。/良い悪いではない。支配者が世をつくっているのです。/金があれば何でもできるという風潮がそもそもの間違いだろう。勉強にしても、支配の論理に浸りきっているのだ。学業の成績が優秀なら金が入る立場になれる。だから一生懸命学習する。/支配欲は人の弱さや冷たさから起きてくる。感情という人間本来のものを心から消し去り、理性だけで心を作るから、思いやりや優しさという感情さえ一かけらも残らなくなってしまう。/温かく強く楽しい人は、支配者にはならず指導者となる。学校にも家庭にも支配者がいるから、そこに醜く汚い姿が現れ、人の心が失われていくのだ。権力を持った時から、人は支配者に変貌する。だから良き指導者は時の権力に近づかない。(桜井章一「俺が俺に語る」『心温かきは万能なり』竹書房)
- 山を平らに歩ける迄が修行です。(桜井章一)
- 目的というものは、私たちの真横に置くものであって、決して前に持っていくものではない。目的を先に置くから、考えるわけですし、悩みが起ってくるに決まっているんです。そして、挫折する人間ばかりになってしまうんです。目的を叶えることのできる人というのは、宝くじに当たったようなものなんです。(桜井章一『雀鬼流の行動哲学』三五館)
- 今の日本人の感覚というのは、長い時間をかけて家畜化された結果、できたものなんです。教育によって、政治家・財界人にとって都合のいいように家畜化されたわけです。だから今の日本人は必要以上に、防御という気持ちが、守るという感覚が強いんだろうね。(桜井章一『雀鬼流の行動哲学』三五館)
- 自分を律するということと、我慢するということを混同してしまってる人が多いよね。我慢は、間違えた美徳なんです。我慢することが正しいわけではない。実は、我慢して、失敗することがたくさんあるし、我慢できないことだっていっぱいあるんです。たとえば、私の子供が、誰かに殺されたとしますよね。「我慢してください」といわれたとしても、私は我慢しないよ。日本人は、我慢を美徳だと思っているようですが、していい我慢もあれば、してはいけない我慢もあるんです。律するというのは、我慢ではなく、調整するということであって、それを皆さん我慢だと思ってしまっている。我慢はよくないんです。我慢した分、必ずどこかでバーンと爆発せざるを得ない。日本人は、よくストレスという言葉を使いますが、ストレスがたまるのは我慢するからなんです。(桜井章一『雀鬼流の行動哲学』三五館)
- 挑戦する気持ちを継続する者のことを強い人、言い換えれば猛者というんです。(桜井章一『雀鬼流の行動哲学』三五館)
- 本当に強い人というのは、競争などしないよ。ではなぜ、人々は競争をしてしまうのか。それは、勝っていい思いがしたいという損得勘定と、征服欲とでもいいますか、政治的な本能みたいなものがあるからです。本来の闘争心というのは、受けの闘争心でなければならない。自分が生きていく中で、誰かが襲ってきたら、それを受けてやらなければならない強さなんです。(桜井章一『雀鬼流の行動哲学』三五館)
- 俺の信条かい?いや、俺はお説教するガラじゃねえからよ。それに、俺がやってきたことぉ見てくっれば、わかるんじゃねえかと思うしさ。・・・/最近は親父や爺さんが説教することもなくなったそうだから、代わりに若いもんに俺たちの世代の日本人の生き方の切れっ端を教えてやるつもりでしゃべってみるか。これから話すことは、俺が自分の子どもを育てるときに、繰り返し言い聞かせてきたことの一部だよ。まあ、遺言代わりに聞いてくれ。/そうだな、あえていうなら、私利私欲を捨てるってことかな。/「無私」とか「無我」とか、そういう高級なもんじゃねえよ。宗教的な境地なんかじゃねえ。「滅私奉公」とか「人民への献身」とか、そういうもんとも、ちょっと違うんだな。/俺だって、いい酒ぇ飲んで、うまいもんを食って、安楽な暮らしをしてえと思うよ。そいつを否定したりはしねえよ。俺だって、平安を求めたい。だけど、それと、物事を利己心や功名心、そういうものの上に立った自分のはかりごとから判断しようてぇこととは違う。/そういう利己心、功名心、はかりごとをめぐらす心から物事に対処しようとすると、苦しいもんだぜ。/だって、どうすれば、己を利することになんのか、名をなすことになんのか、それにはどういうはかりごとが必要なのか、なんてぇこたぁ、えらく難しい問題だからね。自然にわかったりする性格のもんじゃねえんだよ。うんと頭を悩まさなくちゃならねえ。それについちゃあ、だれも頭を悩ませてくれねえんだからね。神も仏も教えてくれねえ。孔子様もソクラテスも教えちゃくれねえ。自分で悩まなくちゃならねえ。だって、「利己」なんだからね。/しかも、頭ぁ悩ました末に、そんじゃ、こうしようってんで、やったことが、そんときはよくても、ちょっと長い目で見ると、己のために利ならざることだったり、名を落とすことだったりするわけだからね。むしろ、そういうことのほうが多いもんだよ。ちいせえ個人のはかりごとってえのは、往々、失敗に終わるもんだよ。/そういうふうに考えて行動していきゃ、世界はどんどん狭くなるんだ。私利私欲ってぇ、ちいせえ世界にとらわれちゃうからだよ。こいつは、孤独なもんだろうって思うよ。利己ってぇ牢獄の独房に入れられちゃってるようなもんだぜ。/俺のいってる「私利私欲を捨てる」ってぇのは、そういう小さな世界に自分を閉じ込めねえってことなんだよ。もっと大きいもんがあるだろうってことだよ。そういう大きなところに自分を開いていけば、たとえ刑務所の独房にいたって、世界は広いもんだよ。(大窪敏三『まっ直ぐ』南風社)
- 少年犯罪や、凶悪犯罪が起こるたびに教育の問題や子育ての問題が取りざたされるが、それは、日本国中評論家になっているから「取りざたされるだけ」で、本質的には一向に何も改善されない。そして改善しようとするのは、例えば、少年法や、学校で教える内容くらいのものだ。それらは、誰も責任を負わなくてすむようなことだけで、いわばハードにあたるものばかりだ。当然、今現実に起きている出来事と懸け離れた対処の仕方にならざるを得ない。なぜなら、「現場」を知らない、叉知ろうともしない机の上だけで処理できると思っている、頭の先から足の先までマニュアルで埋め尽くされた、先生と呼ばれて喜んでいるぼけた奴が考えているのだからだ。(日野晃)
- 我々の闘いは、敗れるかもしれない。しかし、勝負は問題ではない。要は目的である。そして、その目的に向かって近づくこと、それが本質であると考えます。たとえ我々が敗れても、その後を継ぐものが必ず出る。私は、人の歴史は戦いの歴史だと思います。前に向かって一歩一歩進んでいく。問題はその与えられた環境(自分の生きている時代)の中でどこまで歩むかだと考えます。その足跡からさらに後の人々は先へと進んでいくのです。目的に向かって進む、それが人の生きがいと言うものだと思います。(宮崎学)
- 科学は情報の集積によって進むのではない。科学は情報を組織化し圧縮する。(ハーバート・サイモン)
- スポーツその他で監督指導者たる人たちは、世間から才能ある人たちを選び、さらに伸ばし開花さす、それが一流の監督と置かれているのなら、私など最低な指導者であります。/人類始まって以来、人の世は悪い悪いとされています。いつの時代にも良き時代なんて世界の歴史をとっても見あたりません。それは世間が悪いのでは決してありません。我々一個一個の人間が悪かったに過ぎません。/人は悪いから悩み苦しむのです。一生不安からは逃れることはできないのです。であるなら、不安に打ち勝つ子たちを育てあげてください。(桜井章一)
- 教育とは、子供たちに教えるとか、助成するとかいうなまやさしいものではなく、子供の中にあるものを、つかみ取り、引っ張り出してやる作業だと思っている。地下に眠っている石炭を地上に掘り出し、火をつけて燃やすような作業だと思っている。それは目のつり上がった粗雑できめの荒い精神の持ち主や、教育理論や体系書だけを読んで、物知りぶっている、地面にしっかりと足のついていない人間にはできない仕事である。子供を見つめ、子供にくっついて、その上で勝負しようとするものだけにできる仕事である。(斎藤喜博『教育学のすすめ』筑摩書房)
- In a process of enlightenment there can only be participants.
(Habermas)
- In science, the purpose of reason is to be critical not
justificatory.
- If we are to educate sensibly ... we must above all things do
it with a sense of direction and proportion, and to have this is
to have a philosophy. Philosophy is love of wisdom; the
philosopher is the lover of wisdom and it is wisdom that we need.
- 僕たちの感性は深いところで知性と結ばれている。ものの見方が変わった時、人の感じ方もがらりと変わるのである。人間の精神は、そう都合よく感性と知性が分かれているのではない。むしろ、一方が深まれば他方が深まるという相関関係にあると見た方がよい。そして両者の深い結合をこそ、僕は教養と呼びたいのだ。(井上和雄『ロンドン音楽紀行』神戸新聞総合出版センター)
- 僕は大学に勤めている人間だから、よけいそういう思いがするんですが、観念でいっぱいになった人間が偉いとか、いろんな形で言葉を弄する人間が偉いとかいうのはとんでもない話です。むしろそういう観念をどれだけ取り払い、スパッとありのままに見ることができるかどうか、これが精神の柔軟さであり、真の偉さだと思います。/この柔軟さを幕末の志士たちが持っていた。剣道を礼賛するわけでもなく、軍国主義も大嫌いですが、彼等は社会科学的概念も、国家という概念も、階級という概念も知らなかったのに、ちゃんと時代を見通すことができた。これは例えば、剣道を通じて己が無心になることができたからです。無心になることができるということは神経が麻痺することではなく、いかなる状態にも柔軟に対応できる、柔軟に自分の感性を思うように働かせることができるということです。これが精神の豊かさだと思う。それはすごかったと思うのです。(井上和雄『ロンドン音楽紀行』神戸新聞総合出版センター)
- 研究するなら世界に目を向けよう。学問に国境はありません。これからの勉学でも、日本の国内の大学の序列、権威に関する国内的、伝統的通念を越えて、つねに世界各国の研究室を直接訪れて研究に参加することを期待します。(千葉大学 飛び入学案内からの抜粋)
- 全員に英語の勉強を強いるのは、全員にピアノを習わせるようなもので、無慈悲な上に途方もない愚挙です。英語が必要な人は、必死で英語をやればいい。それだけのことじゃありませんか。(井上ひさし)
- 語学検定には合格しても、その言葉の本を一冊も読まないなんて、本末転倒もいいところ。目的意識が希薄だから、日本人は外国語が上達しないんです。(ピーター・フランクル)
- Freedom is discipline ---- the step
beyond progressive education . . . freedom from something is
not freedom. (Donald Schon, Educating the Reflective
Practitioner)
- I can tell you that there is something
you need to know, and with my help you may be able to learn it.
But I cannot tell you what it is in a way you can now understand.
I can only arrange for you what it is in the right sorts of
experiences for yourself. You must be willing, therefore, to have
these experiences. Then you will be able to make an informed
choice about whether you wish to continue. If you are unwilling to
step into this new experience without knowing ahead of time what
it will be like, I cannot help you. You must trust me. (Donald
Schon, Educating the Reflective
Practitioner)
- 民主制における憲法の存在意義は、政治的決定に障害物を設け、凡庸な政治家がその処理能力の限界を超える重大な問題に手を出さないようにし、処理可能な問題にエネルギーを集中させることにある。(長谷部恭男 東京大学教授)
- Globalization is the spread of
democracy, scientific inquiry and the free market. These three
processes can be seen as useful methods for organizing vast
amounts of information. They differ only in the sort of
information they process. (Richard Barron Parker, The Japan Times
Dec. 24., 1999, page 18)
- 選手によく言うんですが、ベストは尽くすもんじゃなく、越えるもんやと。ここで戦うしかないという瀬戸際にたたされて、初めて自己認識ができる。また、それを越えることで、自分の知らない自分を発見できる。人生観、世界観が変わる。そういうことを追求する姿勢が、ぼくは知性やと思うんです。(水野弥一 京都大学アメフト部監督)
- うちは予算もノルマも目標もない行き当たりばったり。会議もしたことがない。「生き残ること以外に価値観を求めるな」という考えだ。多くの経営者が5年、10年の長期計画を立てているが、それは自分の鉛筆で書くものではないと思う。客が決めることだ。(大創産業 矢野博丈社長)
- ところで、非常に不思議な言葉ですが、日本語には「母国語」という単語がありますね。最近では「母語」という言い方もされるようになっていますが、考えてみると、この「母国語」という単語を使っているのは、ぼくが知っているかぎりでは日本語しかないのです。中国語では「母語」、そしてドイツ語でも"Muttersprache"(母の言葉)、英語でも"mother
tongue"(母の舌)、フランス語でも"langue
maternelle"と言います。同じように、外国語のことも、英語で"foreign
language"(異なる言葉)と言うように、ドイツ語でもフランス語でもハンガリー語でも「異語」という言い方をします。日本語だけは「外国語」ですね。/どこか国家主義のにおいがします。明治以前にはどう言っていたのでしょう。とくにアイヌの人たちにとっては、アイヌ語が、英語で言うところのmother
tongueであるのですが、それはけっして「母国語」ではありません。日本で生まれたならば「母国」は日本だから、「母国語」も日本語になります。だから、「日本は単一民族国家である」というウソをいっそう強調させるために「母国語」という単語を日本では使うのではないかと思えてくるのです。(ピーター・フランクル『ピーター流外国語習得術』岩波ジュニア新書より)
- これは日本人にはちょっとむずかしい注文ですが、時間を有効に使うという意味でやっぱり注文します。それは、他の日本人といっしょに毎日のように食べたり呑んだりする回数を少し減らしましょう、ということです。結局、そのあいだには外国語の勉強はもちろんできないし、話題が先生や上司の悪口ばかりだったら、実際あまり役に立たないことが多いのです。(中略)ここで大人の人に言いたいのですが、とくに悪いのはお酒を飲んで酔っぱらうことです。酔うともういっさい集中できなくなりますから、時間のむだになってしまうのです。お酒を飲む回数はできるだけ少なくしてほしいですね。(ピーター・フランクル『ピーター流外国語習得術』岩波ジュニア新書より)
- 国際人とは、基本的には頭のなかの状態のことなのです。大切なのは自分が人間を判断するときの基準です。もしもある人を民族、国籍、人種など生まれつきのものによって判断するとしたら国際人ではありません。その人自身によって、つまりその人の言っていること、やっていること、考えていることによって判断する人が国際人であるといえるのです。(ピーター・フランクル『ピーター流外国語習得術』岩波ジュニア新書より)
- 日本で外国と関係のある人たちのなかで、いちばん保守的な人たちはというと、外交官です。日本の外交官はもう最低とぼくは言い切っています。ただお上から決められたことを実行するだけです。かつては、リトアニア大使杉原千畝さんのあの大きなできごとがありました。第二次世界大戦中ユダヤ人たちがリトアニアから逃げられるようにビザを発行するという彼の人道的行為のおかげで、たくさんの人の命を救うことができたのです。しかし、本国政府にお伺いを立てずに、自分の判断でおこなったために、彼は窮地に立たされました。どういう仕打ちを受けたかというと、戦後すぐにクビになて、一生外務省に復帰できなかったのです。ほかの国だったら、彼は国内でも英雄になっていたはずです。でも日本はそうではない。いまの外交官と話をしても、自分たちはいまでも杉原さんを認めないという状況なのです。(ピーター・フランクル『ピーター流外国語習得術』岩波ジュニア新書より)
- 体育会独特の理不尽なところってあるでしょ。それで、反論すると「私たちの世界では----」って言われる。私たちの世界ってなんやねん。世界はひとつやんかって思ったから、二週間ぐらいでやめてしまいました。(岡本依子 テコンドー選手)
- 新しい歴史教科書を提言している人々は、「自虐史観」を非難し、誇りの教育を求める。日本に深い関心を寄せる者として言わせてもらえば、私には彼らは危険な人々というよりも哀しい人々に思える。「自虐史観」の人々に輪をかけて、彼ら自身が寄るべなく、自尊心に欠け、おびえているように思われる。教科書を浄化しようという彼らの計画はエリート主義的である。若い人々の理解力や判断力を信頼していない。そこで、苦渋に満ちた事実には近づかないように、というわけだ。/過去の記録を、自由に徹底的に議論する口火を切ったとしたら、日本人はどれだけ世界にそのことを誇れるだろうか。全世界が共有する近代史の体験について、あやまちを悔いる真の強さを備えた市民として胸を張れることだろう。天皇在位二十周年式典で、「そのような問題に恐れずに立ち向かう、活力ある教育システムを満足に思う」と、天皇がお言葉を述べられるとしたら、どんなに素晴しいだろう。それこそが、真に誇るべき歴史に違いない。(アンドルー・ゴードン 朝日新聞大阪版1999年12月1日)
- 夢を持っているか。計画を立てているか。試しているか。(本田宗一郎)
- 日本では小学生のときから目先のことを見る癖がついている。遠いことを考えることをしない。それが成績をよくする道だからだ。だが、成績は学問でない。(鶴見俊輔)
- Managers are not confronted with
problems that are independent of each other, but with dynamic
situations that consist of complex systems of changing problems
that interact with each other. I call such situations
messes. Problems are abstractions extracted from messes
by analysis; they are to messes as atoms are to tables and charts
. . . Managers do not solve problems: they manage messes. (. . .)
[However,] Some engineers, policy analysts, and operations
researchers have become skilled at reducing "meses" to manageable
plans. For some administrators, the need to "find the right
problem" has become a conscirous principle of action.
(The Reflective
Practitioner p.16-18)
- 自尊心には三種類ある。第一種は己の器量と業績を冷静に自己評価し、十分な満足感を以て自認自足している静謐型である。いちいち自分の才能と功労を言いたてて自己宣伝しない。落ちついて和やかに静まりかえっている。これが人格者と賞揚しうる好い眺めである。第二種はけたましく騒がしい宣伝屋である。自尊心は人に倍して高ぶっているのに、誰も認めてくれず褒めてくれないものだから、自分を大映しすべくさまざまな舞台装置をしつらえる。しかし一生懸命に自作自演する目立ちたがり屋は少なくとも労を払って力を尽くし、没頭してこれ努めているのだからまだしも可愛気があろう。いちばん厄介で始末に困るのは第三種である。黙々と励んで時世時節を待つのでもなく自分を売りだそうと企てるのでもなく、遠く近くの多少とも関係のある他人の群像を罵倒して自ら高しとし快とする当り散らし屋である。自尊心が嫉妬を底からあぶっている構図であろう。(谷沢永一『人間通』新潮選書より)
- 世に格別な分析術などありえない。方法論という奇体な言葉があって、それを会得すれば物事の筋道が明快に見えると売りこむ。俊敏な者が使っても魯鈍な人が用いても同じ成果に達する方法論などあるわけがない。こういう術語はすべて悉く虚喝である。人間は生を終るまで常に心を新たにして、世の姿と人の心を、よく見て、よく調べて、よく考える、という地道な努力を続けるしかない。特別な方法論や別格の分析術や崇高な悟達や神聖な会得や、それらは自尊心の満足に達するための自己欺瞞であり自己陶酔であり脅し文句である。(谷沢永一『人間通』新潮選書より)
- 失敗は恥ではない。失敗を認めないことが恥だ。失敗は愚かでない。失敗に学ばないことが愚かだ。
- 本気でやれば大抵のことができる/本気でやれば何もかも楽しい/本気でやれば誰かが助けてくれる(中嶋洋一さんの好きな言葉)
- 学校では教師が知っていることを生徒に訊く。ふつうひとはじぶんが知らないこと、知りたいことを他人に訊くものなのに、教室では、何かを伝えたいというやむにやまれぬきもちから相手に問いかけるのではなく、相手を験すために問う。これは相手を信頼していないことを前提とする関係だ。だから正解だと、生徒は「当たった、当たった」という感覚で受けとる。教師はいちどそういう学校言語の制度から下りてみたら。(浜田寿美男:発達心理学)
- 努力は実力を生み、実力は自信を生む。自信は幸運を呼び、幸運は勝利をつかむ。(ある学生さんが教えてくれた言葉)
- One should not treat any topic with
greater systematicity than it allows. (Aristotle)
- While IQ is a good predictor of what job
a person can get, it is a very poor predictor of how well they
will do once in the job.
- The winners in a civilization remade
around computers will not be those who attempt to contain
information technology. The winners will be those who invent the
new structures of government, business and society in which
technology is embedded. (William Davidow, a former senior vice
president of Intel)
- The atom is the icon of the 20th
century. The atom whirls alone. It is the metaphor for
individuality. But the atom is the past. The symbol for the next
century is the net. The net has no center, no orbits, no
certainty. It is an indefinate web of causes. (Kevin Kelly)
- Paul Krugman, an economist at MIT, says
that you can reduce the entire idea of the network economy down to
the observation that "in the Network Economy, supply curves slope
down instead of up and demand curbes slope up in stead of down."
The more a resource is used, the more demand there is for it.
(Kevin Kelly)
- The only factor becoming scarce in a
world of abundance is human attention. (Kevin Kelly)
- Act as if your
product or service is free. (Kevin Kelly)
- While a firm is congratulating itself on
creating the world's fastest punch card reader ---- the fastest in
the universe! ---- the rest of the economic world has moved on tho
the PC. (. . . ) There is only one way out. The stuck organism
must devolve. In order to go from a peak of local success to
another higher peak, it must first go downhill. To do that it must
reverse itself and for a while become less adapted, less fit, less
optimal, relative to its current niche. (Kevin Kelly)
- The problem with the top is not too much
perfection, but too little perspective. Great success in one
product or service tends to block a longer, larger view of the
opportunities available in the economy as a whole, and of the
rapidly shifting terrain ahead. (Kevin Kelly)
- To scale a higher peak ---- a
potentially greater gain ---- often means crossing a valley of
less fitness first. A clear view of the future should not be
mistaken for a short distance. (Kevin Kelly)
- There is only one sound strategy for
crossing the valley: Don't go alone. Established firms are now
doing what they should be doing: weaving dozens, if not hundreds,
of alliances and partnerships; seeking out as many networks of
affiliation and common cause as possible, sharing the risk by
making a web. (Kevin Kelly)
- Not every success needs to be abandoned
drastically, but every success needs to be questioned drastically.
(Kevin Kelly)
- Nicholas Negroponte, director of the MIT
Medial Lab, declares "Incrementalism is innovation's worst enemy."
(Kevin Kelly)
- In the network economy, nine times out
of ten, your fiercest competitor will not come form your own
field. In turbulent times, when little is locked in, it is
imperative to search as wide as possible for places where
innovations erupt. Innovations increasingly interfect from other
domains. A ceaseless blanket search ---- wide, easy, and shallow
---- is the only way you can be sure you will not be surprised.
Don't read trade magazines in your field; scan the magazines of
other trades. Talk to anthropologists, poets, historians, artists,
philosophers. Hire some 17-year-olds to work in your office. Make
a habit to visit a web site at random. Tune in to talk radio. Take
a class in scenario making. You'll have a much better chance at
recognizing the emergence of something important if you treat
these remote venues as neighbors. (Kevin Kelly)
- Everywhere networks go, intermediaries
follow. The more nodes, the more middlemen. (Kevin Kelly)
- It takes a village to make a mall.
Community precedes commerce. (Kevin Kelly)
- If the system settles into harmony and
equilibrium, it will eventually stagnate and die. (Kevin
Kelly)
- Innovation is disruption; constant
innovation is perpetual disruption. This seems to be the goal of a
well-made network: to sustain a perpetual disequilibrium. (Kevin
Kelly)
- The only way to implement a large new
system is to grow it. You can't install it. After the collapse of
the Soviet Union, Russia tried to install capitalism, but this
complex system couldn't be installed; it had to be grown. (. . . )
To grow a large network, one needs to start with a small network
that works, then add more sophisticalted nodes and levels to it.
Every successful large system was once a successful small system.
(Kevin Kelly)
- Trust is a peculiar quality. It can't be
bought. It can't be downloaded. It can't be instant ---- a
startling fact in an instant culture. It can only accumulate very
slowly, over multiple iterations. But it can disappear in a blink.
Alan Weber compares its accretion to a conversation: "The most
important work in the new economy is creating conversations. Good
conversationss are about identity. They reveal who we are to
others. And for that reason, they depend on bedrock human
qualities: authenticity, character, integrity. In the end,
conversation comes down to trust." (Kevin Kelly)
- In my opinion, many of the jobs that are
being fought over by unions today are jos that will be outlawed
within several generations as in humane. (Kevin Kelly)
- Stupidity consists in wanting to reach
conclusions. We are a thread, and we want to know the whole cloth
. . . What mind worthy of the name, beginning with homer, ever
reached a conclusion? Let's accept the picture. That's how things
are. So be it. (Gustave Flaubert)
- That science has no answer to the
problem of consciousness is easly explained: it is not a
scientific problem. (Ray Monk)
- 古いものの計画的な廃棄こそ、新しいものを強力に進める唯一の方法である。私の知るかぎり、アイデアが不足している組織はない。創造力が問題なのではない。そうではなく、折角のよいアイデアを実現すべく仕事をしている組織が、あまりに少ないことが問題なのである。みなが、昨日の仕事に忙しすぎる。だが、あらゆる計画や活動を定期的に審査し、有用性が証明されないものは廃棄するようにするならば、最も頑強な官僚組織においてさえ、創造性は驚くほど刺激されていく。(ピーター・ドラッカー『経営者の条件』)
- あらゆる計画は、急速にその有用性を失うものであり、したがって、生産的であり必要であることが証明されないかぎり、必ず廃棄されなければならないという考え方こそ必要とされている。さもなければ、政府は、規則や規制や書式によって社会を窒息させつつ、自らの脂肪によって自らを窒息させてしまう。(ピーター・ドラッカー『経営者の条件』)
- 人間が少ないほど、組織が小さいほど、そして組織内の活動が少ないほど、外部環境への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由からして、組織は、より完全に近づく。(ピーター・ドラッカー『経営者の条件』)
- 劣後順位第一位を決定することは、楽しいことではない。だれかにとっては、それが第一優先順位であるに違いないからである。優先順位を列挙し、そのすべてに、少しずつ手を付けることによって、弁解の余地をつくっておく方がはるかに容易である。みなを満足させられる。もちろん、この方法の唯一の欠陥は、何事もなされないという結果に終わることである。(ピーター・ドラッカー『経営者の条件』)
- 優先順位の分析については、多くのことがいえる。しかし、優先順位と劣後順位に関して、最も重要なことは、分析でなく勇気である。優先順位の決定に関しては、いくつかの重要な法則がある。それらの法則は、分析ではなく、勇気にかかわるものである。(1)過去ではなく未来を選べ。(2)問題ではなく機会に焦点をあわせよ。(3)横並びではなく独自に方向を決めよ。(4)無難で容易なものではなく、変革をもたらすものに照準を高く合わせよ。(ピーター・ドラッカー『経営者の条件』)
- 何よりも成果をあげるエグゼクティブは、自分自身であろうとする。決して、ほかのだれかであろうとはしない。自分の仕事ぶりと、成果を見て、自分のパターンを識別しようとする。「他人には難しいが、自分には簡単にやれることは何か」を考える。(ピーター・ドラッカー『経営者の条件』)
- ゼネラリストについての意味ある唯一の定義は、自らの狭い専門分野を知識の全領域の中に正しく位置付けられる専門家のことであるといえよう。いくつか複数の専門領域について知識をもっている専門家もいる。しかしたとえ複数の専門領域をもっていてもゼネラリストではない。単に、いくつかの専門領域のスペシャリストにすぎない。(ピーター・ドラッカー『経営者の条件』)
- GEのある事業部では、会社の哲学を次のような経営憲章で表現していたそうだ。「上位のマネージャーが保持する権限であると書面に明示されていないものについは、すべて下位のマネージャーの権限とする」。(『マネジメントを発明した男 ドラッカー』)
- 知識社会は必然的に、私たちが知っているどの社会よりも競争の激しい社会となるだろう。知識には誰でも手を伸ばすことができるため、業績低迷の言い訳ができなくなるからだ。知識社会とは、これまでになく数多くの人々が成功を収めうる社会である。だがその定義上、失敗する人や二流に甘んじる人も、これまでになく多くなるだろう。(『マネジメントを発明した男 ドラッカー』)
- 「会議をするか、仕事をするか。両方を一度にやることはできない」
- 「法律の多い国は無能な法律家の多い国である」
- "Nothing is what it seems in Japanese
government. The Emperor is a Divinity, and yet Japan is now an
absolute monarchy. The Constitution is democratic, but the people
are ruled, not rulers. Every general is responsible to the Emperor
---- yet the Army can do anyting it wants ---- yet Japan is not a
military dictatorship. There are five political parties, but there
is no such thing as politics in the real sense of the word: the
science of government. In the last three years, Japan's government
has seemed totalitarian, but it has actually been unmitigated
chaos. Japanese realize this, and have wistfully desired to do
something about it". (from a July 1940 story of TIME
magazine)
- 「正しい問い」を発見することこそ、決定的に重要なのだ。学問上の進歩のさなかにいる科学者たちは、このことをよく知っている。彼らはどこまでも「正しい問い」を追い求めつづけている。答えのほうは、とくに実験室で観察・計測を行っている研究者の場合、これまでの手順を当てはめさえすれば得られることが多い。だが、込み入った問い、一つに定まらない問いに対し、正しい答えを得たいと思えば、たいがいは、問いのほうを調整し、力点を変えてみたり、あるいは別の問いと取り換えてみたりしなければならない。(ウォルフレン『なぜ日本人は日本を愛せないのか』)
- 大江健三郎の話は、日本の知識人に広くみられる悲しい自己満足の一つの代表例だ。安易に義憤にかられ、古びた左翼の常套句を吐きちらすことで国に役立っていると錯覚しているだけで、ものごとを徹底的に考え抜くことは決してしない著述家や評論家が、日本には多すぎる。これは、日本の真の改革を阻む最大の障害の一つとなっている。(ウォルフレン『なぜ日本人は日本を愛せないのか』)
- ある日本人ジャーナリスト----断じて左翼ではない----の言葉は、いまも私の耳に残っている。「天皇が中国やアメリカに対して謝罪したとか、しなかったとか、かしましく論議されているが・・・・とにかく、われわれ国民に対する謝罪は一度もなかった!」(ウォルフレン『なぜ日本人は日本を愛せないのか』)
- 天皇が登場する日本の歴史に関しては漠然とした恐怖があることも、われわれは忘れてはならない。この恐怖は、昭和天皇の死去の前あたりから、はっきり感知できるようになった。そして、1989年に、天皇にも戦争責任があると発言した本島等・長崎市長に対する暗殺が企てられた事件によって、さらに強化された。この事件で外国の知識人を最も驚かせた点こそ、私がここで論じていることの核心をなすものだ。本島市長には、主婦や工場労働者など、普通の日本人----日本国民の真の横断面をなす人々----から、沢山の支持の手紙が寄せられたが、著名な知識人のなかには一人として、率先して抗議の声をあげる者はいなかった。言論の自由を掲げた抗議さえなかったのだ。(ウォルフレン『なぜ日本人は日本を愛せないのか』)
- 市民であるとは、義務を背負うということである。このことをみなさんは十分に理解していない、と前の本で書いたばかりに、私は、無数の読者から疎んじられるようになった。だが、真実は真実だ。もしあなたが市民でありたいなら、あなたには、社会の行方に関心をもち、必要とあらば政治的活動にみずから乗り出していく義務がある。(ウォルフレン『なぜ日本人は日本を愛せないのか』)
- 私は日本の聴衆から、時々、次のような質問をされる。いかなる成果もあげられないと感じられるときにも、エネルギーと時間を使って、そして往々にして心の平安を乱してまで、市民として行動すべき理由はあるのだろうか、と。私が思うに、そうすべきなのは、一つには、あなたの前に行動した日本人たちの思い出に捧げるためである----そしてまた、現在、愛国者として日本を救うために危険を冒している日本人を孤立させないためである。あなたは、彼らの仲間に加わるべきなのだ。(ウォルフレン『なぜ日本人は日本を愛せないのか』)
- しかし日本人は、目的と手段のきわめてはなはだしい混同に、耐えさせられてはいるのである。この国では目的が、しょっちゅう、やすやすと忘れ去られる。手続き上の正確さ、手法の手堅さ、行動に対する手段の適合性といったことばかり気をとられ、なんのためにこんなにきちんとものごとを行わねばならないのか、その目的のほうは視界からぽんと抜けている。(ウォルフレン『なぜ日本人は日本を愛せないのか』)
- かつてわれわれが西欧の優越性に疑問を投げかけたのとまったく同様に、われわれはいま、東方の本来の道徳的優越性はどこにあるのかと問うことができる。正確に何を指すのかをはっきりさせないで、この地域一帯の政治指導者たちは、この「アジア的価値」という流行語を中身のない美辞麗句として利用してきた。彼らはこの言葉を、特殊利害の擁護のために、外国との競争に反対するために、そして、毎度だまされやすい大衆のご機嫌とりのために、使ってきたのである(タイのアナンド・パニアラチュン元首相)
- 人類の邪悪な所業は、個人の原始的な攻撃性から生じるのではなく、個人が、低い知性と高い情動性を共通分母とする集団と、自己超越的に一体化することから生じる(アーサー・ケストラー)
- 日本政府はGDP(国内総生産)の5%以上を公共事業に支出している。アメリカにくらべ4倍以上の率である。(ウォルフレン『なぜ日本人は日本を愛せないのか』)
- Here I would endorse Brazilian President
Fernando Henrique Cardoso, who says: "The market is concerned with
exchange values, not ethical values. That is not a shortcoming.
The market is not supposed to do that. Responding to this
challenge is what democracy is about ---- the builiding of a
publich sphere, where free citizens openly discuss values and
goals, in order to define the public interest." This has become
difficult to achieve on a national level because of globalization.
There are certain things that can only be done internationally. We
cannot have a global economy without building a global society.
(George Solos)
- 容易に見通せるように、「和の精神」はつねに社会的勝者を擁護し社会的敗者を排除する機能をもつ。そして、新しい視点や革命的な見解をつぶしてゆく。かくして、「和の精神」がゆきわたっているところでは、いつまでも保守的かつ定型的かつ無難な見解が支配することになる。(中島義道『<対話>のない社会』PHP新書)
- あなたが学生なら、確信をもって言いたい。私語を退治できないような教授とは、自分の言葉に対する誇りをもたない人間であり、自分の言葉を伝えることに使命感のない人間であり、自分の職業に対する意識の混濁した人間であるから、そんな教授の講義など聴く必要はない。そういう御仁はテストもまた定式通りだろうから、バカ授業には出席せずにテスト前にしっかり情報を仕入れて優をとったほうが賢明である。(中島義道『<対話>のない社会』PHP新書)
- この国では「他人を傷つけず自分も傷つかない」ことこそ、あらゆる行為を支配する「公理」である。したがってわれわれ日本人は他人から注意されると、その注意の内容がたとえ正しいとしえも、注意されたことそのことをはげしく嫌う。その他人は私を傷つけたからであり、「思いやり」を欠いたからであり、日本的行為論の「公理」に反する暴挙に出たからである。(中島義道『<対話>のない社会』PHP新書)
- 新しい考え方に対する反発の強さは、その重要性の二乗に比例する。(バートランド・ラッセル)
- 日本では自分の意見を言うよりは、肩書きが意見を言わせている、そう考えたほうがよいのです。その内容はタテマエにすぎません。その人物が本来持っている発想や考え方などはあまり重要ではありません。本質に迫らずタテマエをオウム返しに言っていれば出世の階段を登れるのです。肩書きを重視する人たちと一緒に会話をすることぐらい退屈なことはありません。なにしろみんなタテマエしか話さないのですから、あくびをかみ殺すのが大変です。(宮本政於『お役所の精神分析』講談社)
- いずれにしても、脆弱なプライドを守るためだれも自分が傷を負うような行動はとらない、そのための「あうんの呼吸」なのです。年功序列が強調されるのも傷つきたくないからなのです。(宮本政於『お役所の精神分析』講談社)
- 「いかがなものか」というコメントには、このお互いを見張り合うという部分がとてもよく表われています。これも日本の他人を意識するという性癖を上手に活用していると言ってよいでしょう。「いかがなものか」、こう言われてしまうと、多くの日本人は自分のコメントが他人に不快感を呼び起こす、こう思ってしまい、相手が不快感を持たないように言いたいことでも自主規制してしまうのです。(宮本政於『お役所の精神分析』講談社)
- Judge me by the enemies I have made.
(Franklin Delano Roosevelt)
- Bold, persistent experimentation ...
Take a method and try it. If it fails, admit it frankly and try
another. But above all, try something. (Franklin Delano
Roosevelt)
- Perhaps no form of government needs
great leaders as much as democracy. (Lord Bryce)
- ったくどいつもこいつも。ただまあ、あの文部大臣じゃ、たとえ開会式であいさつしてもメモを読むだろうなあ、とも思うのです。「これ以上ナイフに頼るのはやめようではありませんか」さえメモを読んどったですからねえ。高校野球の選手宣誓で手話を交えてやってみせる少年が、片方ではいるのです。なっさけねえと思えよ。/こういうやつが国会で「包括的かつ抜本的な教育改革を暫時行うことが健全なる青少年の育成に資するものであるのはご案内の通りであります」なんぞというクソのような役人メモを読み上げてふんぞり返っておるのです。なにが教育改革じゃ、笑わせるんじゃねえ!(松崎菊也)
- 「三人寄ればもんじゅの知恵」「(無責任な人間が)三人寄ればもんじゅの事故」
- 多くの社会科学者が、理論的立場を異にする主張を無視する理由は、無駄を避け、効率よくプラスの評価を得たいという理由だけではない。それ以外の理由として、そのような主張に耳を貸すと、自らの職業的アイデンティティと個人的アイデンティティが脅かされるという理由がある。ここに、自らの人生の大事な時間をある伝統的立場に基づく研究に費やし、今や、一人前の研究者と評価されるに至った人物がいるとしよう。もし、その人が、それまでの研究を根本的に否定するような主張に接したら、どうなるだろうか。おそらく、その人の、一人前のアイデンティティは脅かされるだろう。そして、その人は、十中八九、危険な主張から自分のアイデンティティを守るために、その主張を軽蔑したり、無視したりするだろう。同じようなことは、研究機関における師弟の間でも起こりうる。私自身が何人かの友人から耳にしたところによると、教官達は、師弟関係が壊れるのを恐れて、私の研究に関連した研究を、学生にさせたがらないらしい。教官たちは、学生たちが現在の研究に疑問を抱き始めていることを察知し、防衛反応に出ているのだ。(Kenneth
J.
Gergen 『もう一つの社会心理学----社会行動学の転換に向けて』ナカニシヤ出版、ix)
- 「研究者そのものが、本来的に、冷酷な獣なのではない。予測と制御を目的とする実験が、研究者に、人間は予測と制御の対象であるという認識をおしつけ、研究者の中の獣を目覚めさせるのだ。ちょうど、皆から尊敬されるジキル博士の中に、獣のようなハイド博士が出現するように」(Kenneth
J.
Gergen 『もう一つの社会心理学----社会行動学の転換に向けて』ナカニシヤ出版、35)
- 科学者は、未来への戸口に立っている。世界を理解するための言語が発達し、広まっていくのにあわせて、科学者は、未来への敷居を越えていく。科学者は、もはや、非人間的かつ機械的に展開し続ける世界の、一構成要素などではないし、移り行く世界の冷淡な傍観者でもない。科学者とは、積極的に世界に働きかけていく存在なのである。科学的知見を公共の利益に生かすための、新しい知識、測定方法、変換規則を、いつか誰かが発見してくれるに違いない----こんな希望に、科学者自身が安住するなど、決して許されない。科学者は、科学の営みそのものを通じて、価値あるものを生みだし、それを持続させていくことができるのだから。また、世俗的な問題を解決してほしいという依頼に対して、本当は究極の真実の発見に貢献したいのに、などといった不平をこぼすのも、科学者の取るべき態度ではない。互いが理解しえたことを表現し合うという、ごく日常的な営みこそが、科学なのだから。お互いに理解しえたことを伝達し合うこと、それは、どんなにささやかであろうとも、未来を創造するための投資なのである。(Kenneth
J.
Gergen 『もう一つの社会心理学----社会行動学の転換に向けて』ナカニシヤ出版、125)
- 理論の価値中立性を仮定するのは、あまりに危険である。つまり、特定の行為だけを偏重すること、特定の人々にだけ、力や喜びや富や機会をあたえること----これらから、完全に自由な理論など、決して存在しない。多くの論者が指摘するように、もっとも機械的で、脱価値的と映る理論ですら、多くの価値観をその内に含んでいる。価値は、例えば、研究対象の選択(選択したということは、選ばれなかったものと比較して、その対象を重視したことになる)、研究対象を記述する用語の選択(理論上の用語は、さまざまな状態に対する価値づけを、常に含んでいる)、説明方法の選択(説明というものは、個人であれ、組織であれ、当の現象の主因(責任の主体)を認定する)、理論が想定する人間像の選択、そして、研究方法の選択、といった諸点に内包されている。(Kenneth
J.
Gergen 『もう一つの社会心理学----社会行動学の転換に向けて』ナカニシヤ出版、230-231)
- Freedom is the essence of growth and
development, but the path to freedom is risky and rough. I am of
the view that thought cannot be contained and if we live in a free
atmosphere, opinisons shall balance each other and logic shall
prevail. (イラン大統領のMohammed Khatamiさん)
- 革新が、ある意味では破壊である以上、絶え間ない革新は絶え間ない破壊を意味する。どうやらこれが良くできたネットワークの目標になりそうだ。つまり、不均衡を常に維持するということである。(ケビン・ケリー)
- ピーター・ドラッカーが指摘した通り、工業化時代の労働者は、自分の仕事のやり方を改善することが求められた。すなわちこれが生産性である。ネットワーク経済では、非人間的な生産プロセスを機械がほとんどこなしてくれるために、労働者の使命は「自分の仕事を正しくこなすこと」ではなく、「自分がやるべき正しい仕事を見つけること」になる。(ケビン・ケリー)
- ネットワーク経済においては、問題を解決してはいけない。チャンスを探すべきなのだ。(ケビン・ケリー)
- 必要なのは科学的な哲学であって、見せかけだけでステレオタイプな文化論ではない。地球規模の情報文明は、国際正義を理解し、それを生き方と経済に反映させる場である。せめて個のスピードは圧殺すべきでない。(相沢明)
- 私達が政治家をよく批判する際に用いるフレーズに、(1)お金のために本来の志をまげてしまう、(2)人気とりのために表面的にブームに乗ったり、かっこいい名前をつけたりする。しかし、本質はあまり変わらない、(3)確固たる自分の意見を持っていないので、欧米の意見や流行に弱い、等がある。しかし、これらの批判に対して、科学者は無縁といえるのだろうか。(金子邦彦『カオスの紡ぐ夢の中で』より)
- 要するに、どんな分野でも職業倫理ってのが弱まっているんじゃないかと思うんです。官僚を含めてね。武士は食わねど高楊枝とか、やせ我慢とか、nobles
obigesとかそういうのが皆、死語になりつつあるんじゃないでしょうか。でね、さらにまずいと感じるのは、これを戦後教育の失敗とする論調が時々あるように思えるって点です。簡単に言えば、お金がすべてということに対して、『お国のため』というモラルを復活させようってことなのかと勘ぐっちゃいます。そうじゃなくて、必要なのは自分の人生、自分の仕事に対する誇りとモラルの回復なんで、決して全体のためのモラルの導入ではないんですよね。(金子邦彦『カオスの紡ぐ夢の中で』より)
- シナリオは◎○△×の四通りを考えろ。常に四通り用意すれば、経営環境が激変しても素早く対応できる。一人で四通りも考え付くのが難しいなら、そこはコンサルタントや専門家など外部から知恵を借りればいい。(丹野毅 日立化成工業会長)
- 私の人となりについていえば、容貌と性格と知能にはかなりの問題があるものの、しかしそれを除けば、これといってとくに欠点はないと言い切れる(^^)。(土屋賢二)
- インターネットと市場経済システムのチャート的な対比をさせてみると、まず全体の管理者がいないという意味では、同じですね。市場にだって全体をしきる管理者はいないはずですから。それから誰でも品物を持ってきたりお金を持ってくれば参加できるという意味では、ネットニュースを誰が読んでも書いてもいいというのと、市場では自由参加だというのと基本的には同じ対比ができますね。それから広がりという意味では市場もインターネットも世界共通です。さらに貨幣による交換を採用することで、市場経済もインターネットがめざしている透明性をもっているとも言える。(金子郁容)
- 日本に帰ってきたのが10年ちょっと前ですが、帰国してみるとぼくが10年以上も留守にしていたのに、日本社会は全然変わってないな、とショックでした。表面的な変化はともかく、相変わらずの官僚主義とことなかれ主義、嫌ならいやと言ってくれればいいのに、表立った対立は起こさないことだけが美徳であるような顔をして、実は勇気がないだけで、裏でウジウジ言っている。(金子郁容)
- 極論を言えば、少数の既得権を持った人しか悪いことをできない社会よりは、百万人の人が悪いことをできうる社会の方が健全だし結果として安全だと思うんですね。悪も共有した方がいいという意味で百万人がそのことをできれば、みんな自分のこととして注意するというか、そういうことがないように切実な気持ちでつながりができるようになる。(金子郁容)
- あらゆる情報はすぐそろえられるけれど、いざ実際に現実に向きあうと、現実というのは複雑なものだからどうにもならなくなる。建築というのは非常に現実と関係していくものですから、学生のときに建築を勉強するということは、現実とどう関係していくかという練習であるといえるかもしれません。すると、現実というのは情報ほどきれいに整理できないし、そんな簡単に答えは見つからないということがだんだん見えてくる。そこに、第一線で活躍されている建築家の先生が代々教えてくださっている大きな意味があるように思います。大学や学問は試行錯誤ができる場でなくてはなりませんが、同時につねに現実というものの風があたっていなければならない。そうでないと、意味のない実験だけの場になってしまう恐れがあるという気がします。(鈴木博之 「東京大学120周年記念シンポジウム 設計の伝説」での発言)
- Don't rock the boat. Sink it and start over. (Tom Peters)
- If your business has anything to do with information, you're
in deep trouble.
- Powerlessness is a state of mind. If you think you're
powerless, you are
- The danger is that an obsession with process will create a
myopia that discourages people from testing assumptions and
engaging in breakthrough thinking.
- How do we systematically go about forgetting what we 'know'
before it suffocates us?
- It's simple. ... We either get used to thinking about the
subtle processes of learning and sharing knowledge in dispersed,
transient networks. Or we perish.
- Subcontract everything but your soul!
- Firm and fixed identity has become limiting and in many ways
incapacitating.
- The question always arises as to what authority you have. The
answer is you have to assume you have absolute authority until
somebody tells you otherwise, until somebody stops you. Because if
you try to derive your authority, your freedom of action, from any
other source than yourself, you are not going to have any fun, and
you are not going to get much done.
- Outsiders think of Silicon Valley as a success story. But in
truth, it is a graveyard. Failure is Silicon Valley's greatest
strength. Every failed product or enterprise is a lesson stored in
the collective memory of the country. We not only don't stigmatize
failure, sometimes we even admire it
- Does anyone know what it means to manage the human
imagination?
- われわれが求めているのは社交的で思いやりがあり、人のために尽くす人間だ。自分のへそばかり見つめているような人間には興味がない。どんなにおへそがきれいでもね。(ハーブ・ケレハー)
- あなたの価値観を知ろうと思ったら、まず二つのものを見せてもらうだろう。家計簿とカレンダーだ。お金と時間の使い方を見れば、あなたが何を大切にしているかよく分かる
- 人の心を変えるには、しつこくする以外にない」と言うのはジャック・ウェルチだ。「あるアイデアを思いついたら、どこまでも磨きをかけ、より良いものにしようとするだろう。アイデアは簡単に説明できるものほど良いのだ。情報伝達もひたすら繰り返す。一貫性があること、シンプルなこと、繰り返すことがすべてだ
- 地方しか飛ばない小さな会社だからという理由で注目されなくても、そんなことは大した問題ではない。われわれは信念に従って、ニッチ市場で頑張っているのだ。(ハーブ・ケレハー)
- 全盛期にある企業ほど、自己満足に陥りやすいものだ。第一の脅威は、われわれ自身だ!ちょっとうまくいったからと言って、満足してはならない。自惚れたり、欲張ったり、怠けたり、つまらないことに心を奪われたりしてはならない。官僚主義になることも、階級意識を持つことも、けんか腰になることも、外からの脅威に鈍感になることも許されない(ハーブ・ケレハー)
- 多くの企業が成長できないのは、明確な目標を持たないからだ。進むべき道が決まっていないのだ。目標がしっかりしていれば、どんなに複雑なアイデアを持ち込まれようと、その目標に照らして、「これは私のビジョンに沿った素晴しいアイデアなのか?そうでないなら、邪魔をしないでくれ」と問い返すことができる。もちろん、目標には幹部たちにやる気を起こさせるだけの説得力がなければならない(パトナム)
- われわれにはプレジデントもチェアマンもエンペラーもキングもいらない。われわれはそれらを根拠には動いていない。われわれが信用しているのは、動いているコンピュータコードとだいたいのコンセンサスだけなのだ(デーブ・クラーク)
- 自己を運びて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するは悟りなり(道元、『現成公案』より)
- 教育は上[お上・権力者・地位など]を向いてするものでなく、生徒を向いてするもの(菅正隆)
- 「ところが、人間の評価は、思想や知能でなく、その者がどの程度の権力をにぎっているかということで計量せねばならぬということを、慶喜はいやというほどに知らされた」(司馬遼太郎、『最後の将軍』より)
- 「でも、昇平くん、生きてよく観察し、そして深く考えなさい」(山本おさむ、「ランドセル」より)
- 年を重ねるだけでは老いない/理想を失う時老いる/歳月はしわを増やすが/熱情を失えば心がしぼむ(サミュエル・ウルマン)
- 残念ながら、この世の中でどんなに道徳感覚が優れた人であっても、自分のものと他人のものをまったく同じように注意深く扱うことはない(ピーター・タスカ、『不機嫌な時代』より)
- 宿命は性格である/未来はすでに存在している(ピーター・タスカ、『不機嫌な時代』より)
- 文化とは生命を大切にすること(住井すゑ)
- The best way to predict the future is to invent it (Alan Kay)
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