以下に公開しますのは1997年11月16日(日)の第3回<福助の会>1997年度大阪大会「国語教育研究におけるパラダイムチェンジ----教育学・教科教育学との交流を通して----」の事前配付資料です。


英語教育学研究の分野から

----英語教育研究のリエンジニアリング----

 

1.現状の英語教育研究

現状の多くの英語教育研究は以下の5点の特徴のいずれかを有しています。

英語教育研究は現状のままではあまり発展が望めないと考えられます。

1.1.独自視点の不在:心理学理論・言語学理論の「応用」あるいは「適用」

「心理学>教育心理学>英語教育心理学」、あるいは

「言語学>応用言語学>第二言語における応用言語学」という階層構造

→独自の視点がなく、理論の流れも一方通行。「上位」研究の単なるコピー。

→誰にも読まれない論文(「上位」の研究から引用はをすることはあっても批判的相互引用はしない。cf.読まれない国内(英文)研究紀要)

1.2.実験方法の誤用:教授法の「比較実験」

パッケージ化された統計/実験法を教授法の効果の比較に適用

→実験結果が全く決定的でない。実験結果の積み重ねが効かず散発的。

「検証」のための実験か(!?)

→そもそもなぜ「実験」あるいは「検証」が必要なのか。あるいはそもそも「実験」や「検証」は可能か(cf.補助資料「教育研究と実験」)。

←優れた実践報告を聴くと、教師-教材-個々の生徒がいわば相互浸透し、「私たちのクラス」として自己組織化しているように感じられる。もしこの自己組織性こそが優れた授業の本質だとしたら、教育手法を「客観的」に操作可能な対象としてとらえる比較実験の発想法自体が批判されるべきだと考えられる。

1.3.理論の不在:現場教師の実感的実践報告への傾斜

→「達人」への憧れと表層的真似(問題はあっても現場に最も受け入れられる)

→ある発言:「英語教育学者は現場教師のカウンセラー(=悩みの聞き役)であるだけでいい。もっとも自分が医者だと勘違いする英語教育学者がいて困るのだが・・・」

→「英語教育学」とは空虚な看板か?

1.4.「教育学」的考察の弱さ:価値の無視もしくは価値への埋没

→「(英語)教育」とは何か。「(英語)教育学」とは何かという本質的理解・合意の欠如。「価値」を語るスタイルの未成熟(例外としての「英語帝国主義批判」)。

1.5.現実性の欠如:回避される相互批判(←狭い人間関係のため?)

あまり使われない「英語科教育学」という用語→未熟な現実的、政治的、行政的考察

→制度的/方法的現実批判の欠如(cf韓国では若手研究者が教科書評価)

(ただし各国の英語教育制度への研究関心は高まっている)

 

2.英語教育研究の改革方法:「方法」に基づいた改革を志向

1.1.は他のコピーでしかなく「英語教育学/英語教育研究」ではない。1.2.は研究として失格。1.3.は研究を志向していない。1.4.と1.5.には研究のスタイルが整っていない。

→方法的な改革が必要

2.1.リストラクチャリング(restructuring):現状路線を維持。上(特に1.1)のスタイルの研究拡大/縮小をはかる。

拡大:「英語教育心理学」「英語教育応用言語学」「英語教育脳科学」「英語教育行政学」「英語教育方法学」などといった英語教育学の下位部門をどんどん増やす。

→英語教育研究者の数から考えて、こういった細分化による拡大はさらなる学問性の低さを招くとも考えられる。また仮に学問性が維持されたとしても今度はその統合が困難で、複合的な現実問題にはますます対応しにくくなると考えられる。(cf.第二言語習得研究はそれなりに研究集積を集めつつあるが、それと共に現実対応力を失いつつあるように考えられる)

縮小:英語教育学を例えば英語教育方法学などだけに限定する。

→専門化は進むかもしれないが、複雑に連関する現代社会とのつながりを失いかねない。

→リストラクチャリングは有効な改革方法とは考えがたい。

2.2.リエンジニアリング(reengineering):ゼロからの再考

ゼロからの再設計のノウハウをまとめたリエンジニアリングの方法を参考にする(cf「研究は社会的な“仕事”である」という認識)。

→リエンジニアリングは次の5つをキーワードとして持つ。

2.2.1.根本的(fundamental): 「いかに」仕事/研究をうまく行うか、ではなく、

「なぜ」仕事/研究をおこなうのかという視点で考える。

2.2.2.抜本的(radical):不要なものは思い切って廃棄。

2.2.3.プロセス(process):ニーズを満たす仕事/研究の流れ/組織を再設計

2.2.4.劇的(dramatic):小さな改善では満足しない。

2.2.5.Information Technology(IT):情報革命は私たち(=知的労働者/知識サービス業者!?)のあり方を変える。

2.3.立憲的(constitutional)宣言の必要性:開かれた批判基準が必要

新しい研究のあり方は明示的に開示して、自他共の批判を招くようにしないと、社会的にも認知されないし、何よりも研究自体が発展しない。また他分野の研究者との共同研究も不可能になる。

→オープン・アーキテクチャーによる枠組みの共有:「英語教育研究」の開放

(ただし必要に応じてのアーキテクチャーの修正は必要)

→この枠組みに準拠している研究はすべて「英語教育研究」とする。

→「英語教育研究」は「英語教育学者」といった特定のidentityをもつ人間によってなされる必要はない(「英語教育学」「英語教育学者」という規定の廃棄。「研究」というレベルで全ての研究者に英語教育研究を開く)。

→逆に「英語教育学(者)」をいくら名乗っても、研究は内容によって判断される。「英語教育学者」を名乗る者の研究が即「英語教育学/英語教育研究」となるわけではない(英語教育研究の独自性の確保と1.1.のスタイルの禁止)

 

3.英語教育研究の経営に関する新しい前提:研究経営の方針を確定

上に述べた考えに基づいて5つの新しい英語教育研究の経営方針を提言する。5つの方針(問題志向、新しい研究前提の採択、研究共同体の自己組織化、汎批判的合理主義、ITによる研究の進化)はそれぞれ、リエンジニアリングのキーワード(根本的、抜本的、プロセス、劇的、IT)に対応している。

3.1.問題志向:研究や研究者ではなく問題を研究活動の中心におく。英語教育研究は現実問題に対応できる限りにおいて存在意義をもつと考える。そのため理学的発想というよりは工学的発想をとる。

3.1.1.必然性

英語教育研究は英語教育の(顕在的/潜在的)現実の問題を扱う限りにおいて英語教育研究であるとする。現状のまま、英語教育関係者によって行われる研究のみを英語教育研究/英語教育学と称していれば、質の低い亜流の研究がいわば保護貿易的に流通するだけである。

3.1.2.潮流

工学(engineering)の発展により、工学は単に科学(science)を適用・応用した技術的ものではないことが明らかになってきた(cfパーソナル・コンピュータの発展)。工学とは、人間・社会に関する問題意識に基づいた優れたvisionあるいは価値観を、自然法則を逸脱しない範囲で具体化する方法に関する知的探究であるとここでは考える。英語教育研究は現実の問題意識・関心に基づく点において、科学の潮流ではなく工学の潮流の中にある。

3.1.3.積極的規定

「英語教育研究」とは、(1)英語教育に関わる(顕在的/潜在的)「現実」の問題を扱い、かつ(2)「研究」としてのレベルを満たす言説を意味する。この場合の「現実」および「研究」は後述する「英語教育研究に関する新しい前提」を踏まえた認識に基づく「現実」であり「研究」である。英語教育を主な研究活動とする研究者は力量の一つとして、現実的であり読み手に有益である問題を発見し、かつそれを学問研究として成立させる能力が求められる。

3.1.4.消極的規定

英語教育に関わる「現実」の問題をとらえていなければ、それは例えば心理学研究であり、言語学研究であり、そういった他の学問研究として評価・批判されるべきである。英語教育研究は英語教育学者によって行われた研究を指す、といった肩書・所属主義を廃棄し、亜流の心理学・言語学・哲学などを英語教育研究とすることを止める。

3.2.新しい研究前提の採択

3.2.1.必然性

「現実」の認識は研究者のもつ(科学)哲学によって規定される。英語教育研究が優れて現実的な研究であるためには、幅広く豊かな(科学)哲学に基づく研究の諸前提を有していなければならない。

3.2.2.潮流

1980年代以降、認知科学においては状況的認知が、科学一般においては複雑性が、システム論においては自己組織性がそれぞれの研究のあり方を一新しようとしている。社会科学においては近年の公共政策学の進展にみられるように価値問題を本格的に研究の射程に入れはじめようとしている。また、ますます加速する情報革命は知的営みのあり方を大きく変えようとしている。こういった潮流の変化は研究に関する新しい前提を要請している。

3.2.3.積極的規定

状況的認知、複雑性、自己組織性、価値自由原理、英語教育自体の変容の5つを新しい前提とする。詳細は4.で後述される。

3.2.4.消極的規定

古典的規則計算主義、単純系の発想、主客分離の発想、価値中立の幻想、英語教育制度/方法の不変といった前提は廃棄する。英語教育研究は、これらの古い前提に基づく研究を、さらに後から追いかけてコピーする試みではない。

3.3.研究共同体の自己組織化

3.3.1.必然性

研究の高度化・専門化・細分化が進む中、現実的な問題に取り組む英語教育研究を行うためには、従来の縦割り的研究組織ではきわめて困難である。英語教育研究の共同体は、細分化だけして高度化・専門化を怠った亜流の従属的な科学共同体であることを目指すべきではない。英語教育研究の共同体は、それぞれの方法を持つ様々な研究者と、広く英語教育実践に関わる人間が、問題関心と研究方針に従って「自己組織的(後述)」に形成するものとする。

3.3.2.潮流

研究の高度化・専門化・細分化と現実問題の複合化のギャップはますます大きなものになっている。また「学際分野」を規定しただけで現実問題を扱う研究が簡単に成立するものでもないことも明らかになっている(英語教育学はまさしくその好例である)。「学際分野」においては協力のための方法が必要である。

3.3.3積極的規定

問題関心と研究方針によって集まる研究メンバーは、チームとして水平的に協力する。研究チームは恒常的である必要はなく、プロジェクト毎のvirtualなチームでよい(研究活動の最近の加速度からするとむしろ恒常的組織よりもvirtualなチームの方が望ましいとも考えられる)。研究成果によりさらに研究メンバーが引きつけられ英語教育研究の共同体が自己組織的に形成される。英語教育研究を主な研究活動とする研究者は力量の一つとして、研究チーム形成・運営能力が求められる。

3.3.4.消極的規定

「**学>教育**学>英語教育**学」という階層構造、および「研究者>実践者」という階層構造は廃棄する。

3.4.汎批判的合理主義

3.4.1.必然性

すべてを明らかに検証して知を正当化してから知の構築に向かい、英語教育の現実問題を考察するという検証主義/正当化主義では、いつまでたっても研究は現実問題に到達しない。検証主義/正当化主義は根拠を次々に求める点で懐疑主義に結び付きやすく、研究のための研究を産み出しやすいからである(cf古典的合理主義のトリレンマの一つ「無限に続く正当化の背進」)。さらにM.ポラニーの階層の議論やシステム論からしても明らかなように高階層の議論は低階層の議論に還元できない(cf.創発)。加えて検証主義/正当化主義は背進を続け「根拠」を限りなく志向するので、研究は高階層の現実的問題から限りなく遠ざかる。検証主義/正当化主義を自己原理とする限り英語教育研究は現実問題を扱いがたい。

3.4.2.潮流

科学哲学の分野においても論理実証主義(=検証主義/正当化主義の強調と形而上学の否定)から、批判的合理主義あるいはパラダイム論へと展開した。後二者は性質を異にする科学哲学であるが、共通するのは自らの根拠の絶対性を主張せず、批判に対して開かれていることである(注:ただし批判的合理主義の一種である反証主義は論理実証主義の頑なさを残し、共約不可能性を強調しすぎるパラダイム論は相互批判を無効にしかねない相対主義につながりかねない点で注意が必要である)。

3.4.3.積極的規定

ポパーの批判的合理主義を展開させたバートリーの汎批判的合理主義(pancritical rationalism)を英語教育研究の自己原理とする。主張のすべてを批判に開かれたものとして社会的/学問的相互批判活動の中に自らをさらすことを英語教育研究の基準とする。

3.4.4.消極的規定

仮説の検証といった検証主義を研究の必要十分条件とはしない(この点で、introduction, method, experiment, result, discussionというフォーマットを標準として定めている英語教育の研究紀要の方針には再検討が必要であると考える)

3.5.ITによる研究の進化

3.5.1.必然性

研究とは情報の発見・収集・流通・編集・加工などに関わる営みである。この意味からして、情報のあり方に革命的変化をもたらしつつあるITは研究のあり方にも大きな変化をもたらすであろう。私たちはITによって研究を進化させる方法を開発しなければならない。

3.5.2.潮流

農業革命は人間の集団形成のあり方を根本的に変えた。産業革命は筋肉労働のあり方を根本的に変えた。情報革命は知的労働のあり方を根本的に変えると考えられる。実際それは近年の研究活動や企業活動でも顕著である。この流れが日本の英語教育界に本格的に訪れるのも時間の問題であると考えられる。

3.5.3.積極的規定

ITを積極的に活用し、特にネットワーキングとデータベースを利用することによって研究情報の質を高める。学会/学界の枠、地域/国の枠の敷居を低くして相互作用を高めることにより研究を進化させる。

3.5.4.消極的規定

研究活動を孤立した個人による活動だとは考えない。また質の低い情報ばかりを大量に集めることはITによる研究の進化とは無縁である。

 

4.英語教育研究に関する新しい前提

上に述べた経営方針に基づいて英語教育研究に関する新しい前提を提言する。5つの前提(状況的認知、複雑性、自己組織性、価値自由原理、英語教育自体の変容)はそれぞれ、リエンジニアリングのキーワード(根本的、抜本的、プロセス、劇的、IT)および上述の経営方針(問題志向、新しい研究前提の採択、研究共同体の自己組織化、汎批判的合理主義、ITによる研究の進化)に対応している。

4.1.状況的認知

4.1.1.必然性:教育は価値づけられ相互に関連しあった生活世界の中で行われる。あくまで生活世界を生活世界として扱った研究でない限り英語教育研究は説得力をもたない。私たちは生活世界内での批判的論考を目指す。脱生活世界化した研究は他分野に委ね、他分野の亜流になることは目指さない。

4.1.2.学問的潮流

4.1.2.1.人工知能研究

当初規則計算主義によって表象情報を処理することによって客観世界に対処しようとしていた人工知能研究はその限界を悟ることになった。ウィノグラードが強調したのは、従来の数学やコンピュータ科学の伝統とは相いれない生物学や解釈学・現象学による人間的文脈の理解が、知性の研究には不可欠であるということであった。またドレイファスは人工知能システムと人間の熟達者のパフォーマンスを比較することにより、前者の記号処理計算だけでは後者の「判断」といった作用を説明できないことをあきらかにした。以来、人工知能研究は「状況」(あるいは「環境」)との相互作用に目を向け始めた。

4.1.2.2.人類学的認知科学

レイヴは(認知)人類学的研究から、知識の構成はどうにも分けることの不可能なあり方で社会的に組織されていること、「認知」は心、体、活動、それに文化的に組織された状況にまたがっておりそれらは分離できないことを明らかにした。さらにレイヴはウェンガーとともに「状況に埋め込まれた学習(Situated Learning)」を「正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation)」として定式化した。ここにおいて教育研究もこれらの知見を無視できないようになった。

4.1.2.3.アフォーダンス

ギブソンの開いた生態学的認識論は、認知を静的状態でとらえるのではなく、環境の中での動きにとらえようとしている。コミュニケーションの生成に関する研究はこの視点を突破口にできるのではないかと考えられる。

4.1.2.4.前期ハイデガー

こういった状況的認知の考えの源泉の一つは『存在と時間』の現象学的存在論に見られる。英語教育研究は言語観を理論言語学だけに依拠するのではなく、ハイデガー言語論(cf「世界内存在」「被投的企投」「語り」)などの系譜にも着目するべきである。むしろ状況的認知の考えからすれば理論言語学の言語観には批判的であるべきだとさえいえよう。

4.1.3.積極的規定

4.1.3.1.状況を認知の本質的要因の一つとして考える。状況的要因を捨象しない。状況の中に認知がどう埋め込まれ、さらには関係をどう編みなおすかという視点を重視する。

4.1.3.2.認知主体が埋め込まれた社会-文化-歴史的文脈を記述する(マクロ的視点)

4.1.3.3学習者を、代替可能な一般的処理機構とみなすのではなく、個性をもった存在として記述する(ミクロ的視点)。興味深いことにほとんどの英語教育研究で学習者は個性をもった存在としては描かれていない。

4.1.4.消極的規定

客観世界を反映する表象による記号計算のみで知性が説明できるという古典的な規則計算主義/情報処理モデルを廃棄する。

4.2.複雑性

4.2.1.必然性

英語教育研究の対象は以下の三点を満たす意味で複雑系であると認識する。(1)系を構成するエージェントが中規模である。(2)エージェントが知性と適応能力を持つ。(3)エージェントが局所的な情報に基づいて判断をくだす。(cfキャスティ)

4.2.2.学問的潮流

ウィトゲンシュタイン-クリプキは「規則のパラドックス」によって、行為は単純な規則の適用には還元されないことを論証した。ハイエクは「組織(的秩序)/構築者的合理主義」とは異なる「自生的秩序/進化論的合理主義」の概念設定により複雑性研究の先駆けの一つをなした。人工知能研究の橋田と松原はフレーム問題の考察を発展させ、規則を「手続き」と「制約」に区別した。「制約」としての規則の考えは複雑な世界に対応するための規則記述の一つの方法を示したといえる。

4.2.3.積極的規定

英語教育研究の対象を複雑系ととらえ、(1)大局的なパターンの認識と記述、(2)相互作用の結果パターンを生成させている諸原理の推定と解明、(3)それら諸原理の妥当性を「検討」する(=厳密な意味での実験検証はできない)ためのシミュレーションの試み、という順番で研究を進める。ただし英語教育研究では当面のところ(3)のレベルからは程遠いところにあるため、しばらくは(1)の観察法に集中する必要があると考えられる。

4.2.4.消極的規定

現状の英語教育研究者に広く共有されている単純系の前提を廃棄する。したがって単純系認識の帰結である表面上の研究結果の整合性は重視しない。

ちなみに単純系とは以下の四つの特徴をもつ系のことである。(1)予測可能な振る舞いからなる。(2)相互作用とフィードバック/フィードフォワード・ループがほとんどない。(3)集中的意思決定が可能。(4)構成要素を分解しても全体の性質は失われない。(cfキャスティ)

4.3.自己組織性

4.3.1.必然性

言語学習とは、ある意味で新しい「自己」(=「私」という言語的存在)を創り出し更新することであり、コミュニケーションとは、関連の薄かった複数の話者がコミュニケーションという新しい自己(=「私たち」という言語的存在)を創り出し更新することであるとするなら、自己が自己を作り替える自己組織性に関する理解は必要不可欠であると考えられる。特に、もし今までの英語教育が、英語に関する客観的知識は豊富でも、英語で自己表現することが不得手な学習者を多く産みだしてきたとするならば、この自己組織性の議論の重要性は増すと考えられる。

4.3.2.学問的潮流

河本のまとめによるなら、自己組織性をめぐるシステム論は三つの世代に分けられる。第一世代はキヤノン、ベルタランフィらによるシステム論で開放系の動的平衡システムの論となっている。入力と出力の流れの中でシステムが諸要素間の関係を保つさまが強調されている。第二世代は開放性の動的非平衡システム(自己組織システム)としての論である。システムは、開放系として環境と物質代謝、エネルギー代謝を行いながら自己形成し、しかもシステムの形成を通じて周辺条件を絶えず変化させていく機構と考えられている。第一世代の主要視座が「関係」であるとすれば第二世代のそれは「生成」である。第三世代のオートポイエーシス論は、「観察者」の存在を問題にする点で、先行世代の論と異なる。システム(「自己」)は、システム自体の産出プロセスの結果によって成立するものであり、システムは、観察者から設定した根拠にしたがって行為しているわけではない。

このことは表現上の微妙な差のようにも思えるが、英語教育研究においては例えば「規則と言語産出」の問題に関して、教師が規則の提示という言語産出の観察者的立場に徹して、その結果学習者までも言語産出の観察者にしてしまう一方の極と、もっぱら教師と学習者がそれぞれの「自己」をどう関与させるかを考えるもう一方の極の二極をめぐっての議論を深めることができると考えられる。

4.3.3.積極的規定

学習者の自己組織化(自己生成)に着目する。

コミュニケーションの非予定調和的な連鎖的産出性を重視する。(cf.深谷・田中)

4.3.4.消極的規定

言語のみならず言語使用までも第一世代システム論でしかとらえないことを止める。つまり(広い意味での)構造言語学的言語観を、一定の意義を認めつつも、英語教育研究の唯一の根拠とすることを止める。言語習得/使用者を少なくとも第二世代のレベルでとらえ、極端な(静的)知識伝達観を廃棄する。

4.4.価値自由原理

4.4.1.必然性

教育研究は価値の実現をめぐる問題を扱うという点で、いわゆる「価値中立」のテーゼを掲げる自然科学と大きく異なる。教育研究が例えば心理学や言語学の亜流であることを止めるには価値問題の論議を本格的に導入し、その方法を整備してゆかなくてはならない。

これまで英語教育研究の多くは、ひたすら「教育技術」の問題を扱うか、「自然科学的」アプローチをしてゆくか、のどちらかの方法をとることで価値の問題と正面から向き合うことを回避していた。この状況は劇的に改革されるべきだと考えられる。

4.4.2.学問的潮流

社会科学においては、例えばウェーバーによって、「理想や価値判断に対する科学的批判とは何を意味するか」や「手段-目的と、予期せぬ結果や他の価値との衝突、に関する自己省察」などに関する価値をめぐる方法論的考察が行われていたが、社会諸科学はしばしば古典物理学をモデルとして過度の数量化を目指し、それに伴って価値問題の切り捨てをおこなってきた(もっとも数量化と価値問題の切り捨ての間には本質的結び付きなど何もない)。

その結果として社会諸科学がひたすら数量化と価値問題の切り捨てに邁進し発展したかといえばそうではなく、例えば経済学はその傾向への反省から制度派経済学といった分野を産みだした(cf.ガルブレイス)(だが依然として理論経済学の主流はもっぱら数量経済学である)。公共政策学も「陳腐な学問だというそしりを受けたために、かえって過剰反応をしてしまい、必要以上に複雑で理知的になろう」として「難しい数式や理屈で凝り固まった学問として出発」しまったためかえって見捨てられてしまい、近年それを現実的な学問に再構築するための努力が重ねられてきている(cf.薬師寺)。

人間諸科学においても、例えば認知科学が価値づけられた私たちの生活世界(状況)を射程にいれはじめたことは先ほど確認したとおりであり、心理学内においても臨床心理学は方法論的厳密さを一時犠牲にしてまでも新しい臨床の知のあり方を模索しその成果を着実にあげてきている(cf.河合)。

4.4.3.積極的規定

英語教育研究が志向するのは、価値の押し付けも無視もせず、価値の連関を客観的にとらえる試みである。英語教育研究は、ある研究対象に対して、その人が持っている(はず)の「理念を指摘し、その論理的な帰結を追究することによって、その人が欲したり選択したりする目的が、どういうつながりと意義を持つかを知らせる」ことを目指す。価値の問題を排除しないことによって、はじめて価値から「自由」になって、実践的な問題にアプローチすることが可能になる。

 この価値自由原理に従うためには、英語教育研究者はウェーバーに倣って、常に次の二つの義務を負わなければならない。第一の義務は「どんな尺度にそって現実が測られ、価値判断が導きだされるのかを、いついかなる瞬間にも、読者と自分自身とに明らかにしておくこと」である。異なる価値と価値との間の闘争に目をつぶり、全く別々の価値を混ぜ合わせて、どれにも何かを提供しようとする態度をウェーバーは厳しく戒める。第二の義務は、理想を提示する場合は、「考える研究者が発言をやめ、意欲する人間が発言しはじめているということ」を読者と自分自身に対して明らかにしなければならないことである。「議論はどこでは理性に、どこでは感情に訴えかけているか」を英語教育研究者ははっきりとさせておかねばならない。「自分の立場をはっきりさせないことと科学的な『客観性』との間には、内面的になんの縁もゆかりもありはしない」というウェーバーの戒めを英語教育研究者は謙虚に受けとめる必要がある。

4.4.4.消極的規定

価値問題に無自覚な研究は英語教育研究ではなく、諸自然科学研究の一種としてとらえる。ただしこのことは価値問題を主に扱っていなければ英語教育研究ではない、ということは意味しない。依拠する価値に自覚的なら技術的論考も十分英語教育研究として認められるべきだと考える。

4.5英語教育自体の変容

4.5.1.必然性

教育行為は価値づけられた行為だが、その行為を情報論的に考えるなら、価値づけとは独立して、行為の多くの側面はデジタル情報に還元される。デジタル情報革命で英語教育のあり方自体が大きな変動を受けると考えられる。また情報化はパワーシフト(権力関係の大変動)をもたらす(cf.トフラー)。パワーシフトは定義上、従来の(権力)図式で物事を考えることを無効にする。英語教育の多くの側面が情報に関わる営みである以上、英語教育研究者はITがもたらす情報革命を常に視野に入れておかねばならない。

4.5.2.学問的潮流

情報メディアの変遷によって、英語(外国語)学習のあり方も大きく変化してきた。限定的に輸入が認められた洋書が唯一のメディアであった時代は、『解体新書』の解読スタイルこそが外国語の唯一の方法であったのかもしれない。大正時代のラジオ放送は、英語の音声をはじめて広く日本国に伝えた。テープレコーダーの普及は英語音声をさらに家庭に伝えたが、家庭環境によりその利用の様子は異なった。Assistant Language Teacherという「メディア」は口語英語を一方的なものから双方向的なものに変えた。インターネットは英語の流通量を爆発的に増加させようとしている。ただしL.L.への投入予算と効果に関する批判的見解にも示唆されるように、メディアの普及がそのまま英語(外国語)教育の発展につながるとはいえない。ITの健全な発展に不可欠なのは思想である。

4.5.3.積極的規定

英語教育のあり方(制度、方法など)は変わりうるものだとして、英語教育の思想の充実と、それに関する想像力の発揮を英語教育研究者に求める。

4.5.4.消極的規定

現状の英語教育のあり方を固定的なものとして考える発想を廃棄する。

 

以上のような考えを、新しい英語教育研究のデザイン案として提言します。

批判は謹んでお受けします。

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