英語教師のための認知科学・認知哲学

Cognitive Science and Cognitive Philosophy for English Language Teachers

ここでは英語教師が、その仕事をする上で知っておくべき教養(専門的教養)をつけるため、認知科学と認知哲学の入門書を読み進めてゆくことにします。

広島大学教育学部での「心と言語の認知科学」という授業では、前半で以下の認知科学・認知哲学について学び、後半でそれらで得た視点で英語授業ビデオを観察し、英語授業に対する認識を深めることを目標にします。評価は、授業への積極的な参加態度と、前半後半それぞれについてのレポート提出、によって総合的に評価します。前半のレポートは、テキストで扱われたテーマについて関連図書を参考にしながら掘り下げた場合はA、テキストに扱われたテーマを正しく理解しそれを表現しているならB、テーマの理解がおざなりならCとします。後半のレポートは英語授業を認知科学・認知哲学の点から捉え直して深く理解しているならA、英語授業を表面的観察以上に理解しているならB、英語授業をおざなりにしか理解していないならCとします。


脳科学が教える効果的な英語学習法(2001/11/8)

ここでは脳科学に関する啓蒙書や入門書から英語学習に関係の深いところをまとめて、英語教育を根本的に考え直す一助にしたいと思います。しかし言うまでもなく私は脳科学に関しては素人ですから、批判的な解説をすることはできません。私ができるのはせいぜい抜書きをする程度です。ですがそのようなまとめは、(1)私が正確さよりもわかりやすさを重視した啓蒙書・入門書を曲解して抜書きをする危険性をはらみ、(2)著作権の侵害をしかねない可能性があります。この両方はぜひとも避けなければなりません。従いまして(1)に関しては、興味をもったら必ず紹介されているオリジナルの本を読むことをお勧めし、(2)に関しては決定的な情報などはこのページに掲載せずに、オリジナルの本を入手しないときちんとした情報が得られないようにして著作権を尊重してそういったリスクを回避することにします。


大島清(監修)『脳のしくみが解れば、英語は自然にできるようになる』(2001年、KKベストセラーズ)(2001/11/8)

この本は京都大学名誉教授である大島清先生が監修し、具体的な英語学習のアドバイス・情報までも含んだ英語学習者にとって非常に親切な本です。ここでは、このページの読者が一番知りたいであろう英語の具体的な学習法について触れられた箇所は紹介せずに、一般的な学説に関する箇所の抜書きをします。

>バイリンガルの言語中枢:日本語と英語の両方を話せるバイリンガルの人は、日本語を聞いたときと英語を聞いたときでは脳の中で血液の流れる場所が違う。英語が話せない人が英語を聞くと、日本語も英語も同じところが反応する(英語を日本語として聞こうとしていると解釈できる)。(p.20)

>音読の効用:英語の文章を実際に声に出して(できるだけネイティブのように)読む音読は、耳の中に入る雑多な音声から英語の音声を選び取り意味を確定したり、自分の考えていることを英語として発声したりするなど「英語脳」(英語を処理する言語中枢)を作るためには非常に効果的な方法である。(p.33)

>言語中枢の古典的な考え方:45ページの図を参照。ブローカーが発見 (1861年) した言語中枢とウェルニケが発見 (1874年) した言語中枢についての解説あり。前者が損傷すると言葉の聞き取りはできるが、話はできなくなる。後者が損傷すると言葉を話すことはできるが、聞き取ることができなくなる。

>言語に関わる脳の部位に関する現在の考え方:現在、言語活動は単なる記憶や言語中枢だけの働きだけではなく、運動に携わる部分や深い情緒に関する部分までも含む広範な領域で、複雑に関係し合って行われていると考えられている。

>言語を処理する脳の部位:49ページの図を参照。言語入力の処理(聴覚連合野、視覚野、角回)、および言語出力の処理(ブローカー中枢、運動野、小脳、補足運動野)についての解説あり。

>脳神経細胞の発達:75ページの図を参照。脳神経細胞が、軸索を通じて神経伝達物質を他の脳神経細胞の樹状突起に伝えることについての解説あり。

>脳の構造:89ページの図を参照。大脳新皮質、大脳辺縁系、脳幹に関する解説あり。知的な活動を司る部位、本能的な行動力を生み出す部位、生命維持活動をコントロールする部位が多重構造化し互いに補完しあっている。

>大脳新皮質の役割:95ページの図を参照。前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉についての解説あり。

>ヤル気の脳の正体:99ページの図を参照。行動意欲に関する側座核、記憶に関する海馬、好き嫌いに関する扁桃体に関しての解説あり。

>ヤル気の好循環:101ページの図を参照。大脳辺縁系と大脳新皮質に関しての解説あり。

>左脳と右脳の違い:論理脳とも呼ばれる左脳、イメージ脳とも呼ばれる右脳、およびその二つの橋渡しをする脳梁に関する解説あり。

>記憶のメカニズム:157ページの図を参照。海馬、側頭葉、扁桃体、尾状核の役割に関する解説あり。


池谷裕二『記憶力を強くする』(2001年、講談社ブルーバックス)(2001/11/8)

この本の概要と評価は著者自身によるホームページに(http://www.f.u-tokyo.ac.jp/~ikegaya/bluebacks.htm)示されていますが、それからもわかるようにこれは最新の脳科学の様子を非常にわかりやすく書いた素晴らしい本です。是非みなさん、お買い上げの上ゆっくりとお読みになることをお勧めします。以下は、一般的な学説に関する抜書きです。皆さんが一番興味があるであろう、具体的な記憶力増強法(第6章)に関してはここでは紹介しません。また、池谷先生のオリジナルな発見(記憶増強の薬 第7章)のことも触れません。いずれにせよ、この本の面白さは読んでみないとわかりません。著者のホームページ(http://www.f.u-tokyo.ac.jp/~ikegaya/ikegaya.htm)もご覧の上、ぜひ本書をお読みください。

追記:池谷裕二・糸井重里『海馬』(朝日出版社、1700円)は、楽しくわかりやすい対談でありながら、どこか深いところをついている好著です。ご一読をお勧めします。

>脳の特徴:脳の重さは体重の2%程度。しかし酸素やグルコース(ブドウ糖)などのエネルギー源は全身の20-25%も消費する。(p.5)

>神経細胞:(脳)神経細胞(ニューロン)は約1000億個あり、それらのニューロンどうしの接点(シナプス)は1000兆個にも及ぶといわれている(一つの神経細胞が一万個の神経細胞と神経回路を作っている計算)(p.6)。ちなみに一個の神経細胞の直径は10-50ミクロンで、これは髪の毛の太さの二分の一から十分の一に相当(p.19)。

>神経細胞の減少:神経細胞は一日数万個というペースで死んでいる。頭をコツンと叩いただけで数千個もの神経細胞が死んでしまう(p.25)。

>増える海馬の神経細胞:海馬は「記憶」を頼りにあれこれと考察するときに使われ、そしてまた使われることによって海馬が鍛えられ膨らみ、記憶力が増大する(p.30)。ただし海馬の中でも増えるのは歯状回の顆粒細胞のみ(p.54)。

>脳の中の海馬:海馬は脳にとって大切な部位であるため、脳の中では深いところに安全に格納されている(p.45)。

>海馬の役割:ひと口でいうなら「記憶情報の管理塔」。さまざまな情報を収集し、それを統合したり取捨選択している(p.48)。

>スクワイアの記憶分類(p.68)

(1)短期記憶:30秒から数分で消える記憶。七個ほどの小容量(cf.チャンク化)。

(2)長期記憶

(2.1)エピソード記憶:自分の経験や出来事などに関連した記憶

(2.2)意味記憶:抽象的な「知識」

(2.3)手続き記憶:いわゆる「体で覚える」how to

(2.4)プライミング記憶:いわゆるサブリミナル効果、勘違い

また、思い出すことに自分の経験が付随して意識にのぼる記憶のことを「顕在記憶」といい、自我(意識)が介入しない記憶である「潜在記憶」と対比される。上の分類では短期記憶とエピソード記憶が顕在記憶であり意識的に思い出すことができる。意味記憶、手続き記憶、プライミング記憶は潜在記憶である(意味記憶を思い出すには何らかの「きっかけ」が必要)。

>タルビングの記憶システム相関(p.72)。

下から順に、手続き記憶(潜在記憶)、プライミング記憶(潜在記憶)、意味記憶(潜在記憶)、短期記憶(顕在記憶)、エピソード記憶(顕在記憶)、と記憶は階層システムをなしている。高等な動物ほど上の階層の記憶が発達。人間の発達過程でも下の階層の記憶から発達する。10歳ぐらいまでが意味記憶が発達していて、それを過ぎるとエピソード記憶の方が優勢になる。

>記憶の種類と脳の部位:エピソード記憶と意味記憶には海馬、短期記憶とプライミング記憶には大脳皮質、手続き記憶には線条体(大脳皮質の裏にある基底核とよばれる部位)や小脳が主に関与している。ただし海馬は「記憶する」ことには重要であるが「思い出す」ことには必要ではない(海馬は記憶を一時的に(一ヶ月程度)留めはするものの、最終的には海馬以外の場所(側頭葉)に保存される)。

>記憶を作る海馬:目・鼻・手・耳・舌などのさまざまな感覚の情報が海馬に入力され、そこで統合されていると現在では考えられている。いつ、どこで、何を見て、何を聞き、何を感じたかといった材料を総合的に関連づけて「経験」という記憶が作られる。この経験こそがエピソード記憶になる(p.85)。

>二種類の条件反応(p.129)

(1)古典的条件反応:パブロフの犬が出すよだれのような生理学的反射

(2)オペラント条件反応:餌をもらうために「お手」などのように餌とは直接関係ない行動を自発的に行う反応

>脳とコンピュータの違い:オペラント反応を学んだネズミ(ブザーが鳴った時にレバーを押せば餌がもらえることを学習したネズミ)は、日頃のブザーのドの音の代わりにソの音を聞かせてもレバーを押す。ドとソの音はヘルツ数で1.5倍も違うのでコンピュータではこうはいかない。脳の記憶はかなりおおざっぱで曖昧だといえるが、この曖昧さは生命にとってきわめて重要な意味をもっている。なぜなら生活している環境は日々刻々と変化しているからである(p.135)。もし記憶が厳密なものであったら、変化を続ける環境の中では、活用することのできない無用な知識になってしまう(p.136)。

>大きな違いの区別から小さな違いの区別へ:上のオペラント反応を示したネズミも、ドの音のときだけ餌を与えて、ソの音の時には与えないと、ドの音の時だけレバーを引くようになる。こうしてドとソの区別がつけば、次にドとファの区別、ドとミの区別もできるようになる。さらにはドとド♯の区別さえできるようになる。しかし音の区別のできていないネズミにいきなりドとド♯を聞かせる訓練をしても、いつまでたってもこれら二つの音の区別はできるようにはならない(p. 139)。

>神経回路による記憶:ひとつの神経回路にひとつの記憶しか貯蔵できなかったら、記憶の容量は限られてしまう。したがって脳はいわば神経細胞を「使い回し」、複数の神経回路の結びつきのパターンを一つの記憶に使う(144ページの図19参照)。

>宿命としての記憶の曖昧さ:上の結果として、一つの神経回路にはさまざまな情報が同時に雑居してたくわえられ、それらの情報は互いに相互作用してしまう。これが人間の間違いや勘違いの原因である(p.143)。

>コンピュータにはできないこと:しかし保存情報が相互作用するということは、「連想」をはたらかせ、まったく異なるものごとを関連づけるというができるということである。さらにはまったく新しい組み合わせにより「創造」すらすることができる。これらは正確無比を誇るコンピュータには不可能な芸当である(p.144)。

>扁桃体と海馬:情動は海馬のすぐ隣にある扁桃体から生まれるが、扁桃体が活動すると海馬のLTP(Long-term pontentiation 長期増強)が大きくなる。また通常ではLTPを生じさせないような微妙なテタヌス(LTPを引き起こすための高周波の電気刺激)でも、扁桃体が刺激されるときはLTPが形成される。つまり普段だったら記憶されないような些細なことでも情動が絡むと記憶される(p. 181)。

>神経細胞の数と神経回路の数:神経細胞の総数は歳とともに減ってゆくが、シナプスの数はむしろ反対に増えてゆく。つまり神経回路は年齢を重ねるにしたがって増加してゆく。この事実は、若い頃よりも歳をとったほうが記憶の容量が大きくなることを意味している(p.187)。


松本元『愛は脳を活性化する』(岩波書店、1000円)(2002/1/23)

私はこの本の存在を知りながらも、タイトルに違和感を覚えて長い間、読まないままでいました。しかし著者の松本元さんは理化学研究所脳科学総合研究センターのグループ・ディレクターで、読んでみると私の懸念は悪い偏見に他ならないことがわかりました。

松本元さんの主張の啓蒙的な部分は、日経サイエンス社が1992年11月14日(土)、東京・大手町の日経ホール(日本経済新聞社8F)で行った、シンポジウム「第2回サイエンティフィックライブ・サピエンス」(『心と脳のサイエンス』)の報告。http://www.hitachi-hitec.com/sapiens/002/ および http://www.hitachi-hitec.com/sapiens/002/ajsa0024.html で知ることができますが、ここでは私が同書を読んで勉強になったことをまとめておきたいと思います。ご興味のある方はぜひ同書をお読みください。

 

>二種類の脳研究

脳の研究には大きく分けて二種類があります。一つは脳が獲得したアルゴリズム(=処理方法。コンピュータにおけるプログラムのこと)を分析するアプローチで、このアプローチでは「脳を理解する(脳を知る)」とは「脳が獲得したアルゴリズムを知る」ことと考えられています。このアプローチをコンピュータ工学へ応用したのが、ATRの川人光男さんの言う「計算論的神経科学」で、「脳の理解を、その機能と同じ方法で実現できる計算機のプログラムあるいは人工的な機械を作れる程度に、深く本質的に理解するアプローチ」と規定されています。

これに対して松本元さんらが目指している脳研究は、「脳がアルゴリズムを自動獲得するためのアルゴリズム」(戦略)を解明し、この戦略を具現化する素子とアーキテクチャ(構築)を見出しシステム化して、このシステムがはたして情報処理のアルゴリズムを自動獲得するかどうかを検証するものです。この背後には「脳は、情報のアルゴリズムを自動的に獲得するシステムである」という基本的な認識があります。

>脳のアルゴリズムと遺伝のアルゴリズム

さて、人間にとってのアルゴリズムには、脳のアルゴリズムだけでなく遺伝のアルゴリズムもあります。遺伝によって人間が所有しているアルゴリズムは、DNAの順序に起こる偶発的変化(誤り)によって作られる産物が環境との適合性を試され、適合していると認められたDNAの順序列が生き残ったものですが、脳は、こうした進化の過程で獲得されてきた遺伝情報が生後の環境の中で発現することにより形作られ、情報を処理する獲得という機能を発揮していくわけです。このとき、脳のアルゴリズム獲得の戦略と獲得できるアルゴリズムは、遺伝情報によって制限されているわけですが、脳はこの制限の中で、十数年を経ずして、目的とする情報処理のアルゴリズムを自動獲得できるようになるわけです。

>内部にあるものを出力してアルゴリズムを獲得する脳

このように脳がアルゴリズムを獲得する際の重要な戦略が学習性です。松本さんはこう表現します。

脳に新しく入力された情報は、すでに獲得した神経回路を活性化するための、いわばトリガー(引き金)として使われ、これによって脳は出力を行う。そして出力を行うことによって学習効果が生じ、アルゴリズムが書き変わるのである。(p.6)

松本さんはさらにこう説明を続けます。

例えば今この本で述べている内容も、第一次的には、読者の方々の脳の中にある「答」を引き出す検索情報として使われている。皆さんの脳に答えがすでにあるなら、多少粗く述べても「なるほど」とわかっていただける。答のない場合には、今読まれた情報(つまり入力情報)が答を作るための作業(学習効果)として作用する。これが、入力情報の第二次的効果である。この学習効果によって、「ここで言っていることはこんなことか」と、読者の脳の中で最も関連する答を仮に立てることができ、これによって何らかの出力が得られれば理解が深まるのである。出力することで学習効果が上がるというわけである。(p.7)

ここのところはわかりにくいかもしれませんが、プラトンの『メノン』に出てくる、幾何学の問題をソクラテスの助けを借りながら解く少年の話を思い出していただければわかりやすいかもしれません。脳は、入力をきっかけに、自ら既に知っていたことを出力してアルゴリズムを獲得し、もし入力が自ら既に知っていたことと完全には一致しなかったら、入力に何らかの形で関連した出力を行ってアルゴリズムを獲得するとでもいえましょうか。

>柔らかい情報処理と固い情報処理

このように、脳は何らかの出力をすることで学習効果が上がっていき、そのうちに脳の中で新しく答が形成されて、次々の入力情報に対し辻褄があって、「わかった」となるわけですが、松本さんはこのような情報処理を「柔らかい」情報処理と呼びます。これに対して現在のコンピュータは「固い」情報処理システムで、プログラムに書いてあることはそれに従って忠実に実行しますが、プログラムに書いてないことには何も対処できないわけです。実世界(リアルワールド)ではプログラムにない不測の自体が必ずといっていいほど生じるわけですから、「柔らかい」情報処理の方が実世界に対応しやすいわけです。

>脳の中の価値と認知

さて、それでは脳は獲得すべきアルゴリズムをどのように選択するのでしょうか。まず脳はその情報に「価値」があるかどうかを大雑把に判断し、その後、より詳しい分析を「認知」の機能によって行うと松本さんは説明します。つまり大脳皮質の古皮質系にある「価値情報システム」が、入力情報の価値をまず粗く判断し、脳が情報処理するべき方法を設定します。その後大脳新皮質系にある「認知(運動)情報システム」がその論理の裏付けを与えるように働くわけです。このことを指して松本さんは、脳は「仮説立証主義」を採用していると表現します。

>二重性の進化論的意義

このように脳が二重のシステムを持っていますと、生物は危険な状態にある時に、時間をかけて緻密な判断をするのではなくて、「危ない!」と思ったら、とにかく粗いけれど時間的に速い価値判断を行って、すぐに身体的出力へと直結させることが可能になるわけです。また、このような危険な場合とは逆に、入力情報が「快」と判断された場合には、活性化物質である生体アミン(ドーパミン、アドレナリン、ノルアドレナリン、セロトニンなど)が、大脳皮質に放出されます。すると認知情報システムの活性化が行われ、出力がより出しやすい状態へと変化し、学習効果が高まります。つまり脳は価値と認知の二重システムを持っていることにより、生物は危険に対しては(時には過剰なほどに)迅速に反応し、自らを有利にすることに対しては学習を促進することができるわけです。

>第二次判断系での価値の再評価

第一次の価値判断で情動が深いと判断しても、大脳皮質の認知情報処理系による第二次判断でその情報に対する価値が再評価される場合があります。たとえば、不登校の傾向のある生徒は、「学校に行きたくない」と意欲(=脳全体が活性が高まることによって起こる心理的状態)が持てなくても、「それでも学校に行くことは大切なのだから、行かなくては」と体を動かす(アルゴリズムを作る)ことができます。

>好きこそ物の上手なれ

しかしこのような第二次判断系で価値を再評価して「本来は好きでないが、せざるを得ないからする」つまり「頑張ってする」という強制的行為は、第一次判断系で価値を認めて脳回路を作る場合に比べて非効率なものです。第一次判断系で価値を認めた場合は、脳が「好き」と認めた情報の処理系を作ることになるので、学習効率は高く疲れにくいわけです。ある仕事に熟練するとは、脳にその仕事のための回路を作ることであり、そのためには一次判断系がその仕事そのものを快であると認めることが第一です。好きな仕事に取り組み始めて、ますますその仕事そのものの面白さに気づかされ、ますます熟練することは日常でもよくあることです。

とはいえ第二次判断系での価値再評価も、ともかく行動を起こせば、取りあえずそのための目的が設定され、脳はその目的に向かって脳内の必要な神経回路が自然と活性化しますので、嫌いな仕事もまずは何かをやることで何とか突破口が見つかるといえるでしょう。

>脳は内部志向のシステム

これまでの話で、脳は外からの入力を自ら選び取って、それをきっかけに自らの内部にあったものを出力し、その出力によってアルゴリズムを作り上げてゆくという脳の姿が明らかになってきたと思います。このように脳は内部志向の、主観的な情報処理システムであるといえます。脳は自分の狭い経験の中で作った内部世界をもとに言動出力し、外界に対処するので、自分と異なる学習経験で作られた内部世界をもとに言動出力する他人の振る舞いをなかなか理解できないわけです。自分の内部世界だけに基づいて他人を裁いてしまうのは、ある意味、脳のしくみからすると当然ともいえることなのです。一方で、困難や苦しみに遭遇した時というのは、自分の内部世界を変える機会が与えられたと考えることができます。また、脳の内部志向性ということから注意すべきことは、全ての脳の出力情報はわれわれの内部から引き出される、ということです。悲しいことや嬉しいことがあるというのは、外部の情報が悲しい(嬉しい)からではありません。外部の情報によって、悲しい(嬉しい)感情が内部世界から引き出されるからです。

>遺伝的な欲求としての関係欲求

遺伝的な欲求として食欲、飲水欲、睡眠欲などの生理的な欲求が備わっていることは、よく知られていますが、人は集団の中で社会的な動物として進化してきたことから考えると、人には生まれつき人とのかかわりを求めようとする関係欲求が遺伝的に備わっていると考えることができます。現在、私たちは物質的に豊かな環境にあり、生理欲求はまず満たされています。ですから私たちの関心は関係欲求の充足・不充足へと集中します。現在のさまざまな問題はこの関係欲求が充足されないことに起因していると考えられます。

>科学と宗教

科学と宗教について松本さんは脳科学の知見に基づいた非常に説得力のある議論を展開します。ここでは少し長くなりますが、その核となる部分を引用します。

脳における情報処理は「仮説立証型」であることを第一章で述べた。こうした方式は、学習によって獲得した答の中から自分が必要とする答を効率的に引き出す方法として脳が採用したものであった。またこの方式は、脳の発生・分化の過程で能がアルゴリズムを自動獲得する方式としても、きわめて合目的的なものである。

脳は「できる」と確信する(仮説を立てる)と、その「確信」の論理的な後ろ盾を与えるべく認知情報処理系がフル活動をする。そのため「できる」と確信したことは必ずできるようになる。逆に「できない」と確信してしまうと、脳は「できない」ことの論理的理由を明らかにするように働き、できる可能性をどんどん縮小する方向に働く。また、確信するものが何もない場合には、脳は情報処理の向かうべき方向が与えられず混乱してしまう。核心とは、脳の向かうべき方向の強固さの尺度であり、これなくして脳は十分に働くことができないのである。

われわれは、こうした脳の特性によって、自分が望んでいる事柄や未だ経験したことのない事柄に対し、自分をどの方向に誘導すべきかの「確信」を常に求めている。信仰とは、脳のもつこうした性質から生じているのではないだろうか。したがって、信仰に対する欲求はきわめて「合脳的」なものであると言える。

新約聖書「ヘブル人への手紙」11章1節に「信仰とは望んでいる事柄を確信し、未だ見ていない事実を確認することである」という信仰の定義が述べられている。われわれは何かを確信することによって、自分でも思ってもみなかったような大きな力を得て、大きな仕事を成就したりするという経験に遭遇することがある。こうしたとき、人はそこに「見えない存在」を実感することがある。こうした実感が信仰する喜びを与え、それが自分を動かす大きな存在としての「神」を思うことにつながるのではないだろうか。そしてそうした信仰の喜びが、時代を経て、宗教という体系へと発展していったのではないかと思われる。

宗教がそうであったように、科学も文明の誕生とともに進展してきた。しかし科学は、論理の積み上げによる自然の理解をめざすものである。科学を探求する人々は、こうあってほしいという期待を持って研究に携わることはあっても、「こうある」という確信をあらかじめ持つことは禁忌(きんき)とされる。科学では、事柄の追求の結果として、確信が得られるのである。

こうした筋道の違いが、科学と宗教の決定的違いであり、科学と宗教がえてして水と油のように融合しない原因であると考えられる。同じように確信を与えてくれるものではあるが、それがあらかじめ与えられそれに向かって行動するのと、何らかの論理的な思考の結果、ある確信へと達するのでは、脳にとっての意味が大きく異なるのである。

脳は直観的な確信をまず得て、その後その確信を検証する論理の後ろ盾を導くように認知情報処理が進むと述べた。この認知情報の結果と最初の確信が整合していると判断されると、この確信はさらに深まり、われわれは納得してその方向に進むことができる。脳の情報処理がこうした特徴をもつために、われわれは複雑で見通しの得にくい現実世界の中で、論理とは異なる次元で何かを「信じつづけること」を欲するのであろう。(pp.85-88)

このようにこの本は、自然科学に基づきながらも、従来人文・社会系で扱われていたトピックも扱うきわめて良質な啓蒙書です。皆さんのご一読を心よりお勧めします。


酒井邦嘉『言語の脳科学』中公新書(900円、ISBN 4-12-101647-5) (2002/9/9)

はじめに

>この本は、「言語がサイエンスの対象であることを明らかにしたい。言語に規則があるのは、人間が規則的に言語を作ったためではなく、言語が自然法則に従っているためだと私は考える」(iii)という基本姿勢によって書かれれています。この時点でのあなたの考えを述べなさい。

第一章 脳-心-言語

>6ページ:著者は「問題1:人間にしかない言語機能は、文法を使う能力だと考える。文法は脳のどこにあり、他の認知機能とどのように分かれているのか。問題2:文法はどのようにして脳に作られるのか。その基本メカニズムが、言語の違いや個人差に依存しない普遍的なものであるのはなぜか。問題3:言語はそれ以外の認知機能とどうして違うのか。その違いを支える神経メカニズムあるいは分子メカニズムは何か」という言語の脳科学の目標を掲げています。この中であなたにとって「ひっかかる」(納得しにくい)箇所はどこですか。

>7ページ:ここでいう「再帰的」(reflexive)とはどのような概念ですか。図1-1も使いながら説明しなさい。

>9-10ページ:図1-2を参照しながら「言語学は心理学の一分野である」というチョムスキーの言葉の含意を説明しなさい。

>12-13ページ:「チョムスキー革命」についてまとめなさい。

>15ページ:「文字そのものは、自然言語ではない」とはどういうことですか。次のページの「脳によって決まった言葉しか、われわれは話せない。自然言語というのは脳によって決められた「文法」に従っていて、人間が話す言葉の構造は、勝手気ままに変えられるわけではない。逆に、人工的に決めた規則に従う言語は、「特別な訓練なしに自然に習得し使用する」ことができないのである」と合わせて説明しなさい。

>20-22ページ:「言語の特徴(1a)自然言語は、あいまいさに満ちている。(1b)文の複雑さには上限がない。(1c)文法は変わりやすい。」および「文法は生成的であり構成的でもある一方で、柔軟性に富んでいる」を絡ませながら説明しなさい。

>22ページ:まずあなたなりに言語の定義をして実際に書き出しなさい(あるいは普通の人がするであろう常識的な言語の定義を想像してい書き出しなさい。次に本書の言語の定義「言語とは、心の一部として人間に備わった生得的な能力であって、文法規則の一定の順序に従って言語要素(音声・手話・文字など)を並べることで意味を表現し伝達できるシステムである」とあなたの定義を比べて、その違いについて論じなさい。

 

第二章 獲得と学習

>28ページ:ミツバチの8の字ダンスを「言語」として認めるわけにはいかない、とありますが、それはなぜですか。

>29ページ:著者は「「言語」や「手話」という用語は、動物のコミュニケーション能力を指して使われるときに、必ずその定義が自然言語よりも広いものになっていることに注意する必要がある。立花氏は、「チンパンジーも手話なんか覚えられるんじゃないかしら」と言っているが、人間がチンパンジーやゴリラに教えたのは、意味を持つ「ジェスチャー」であって、自然言語としての手話ではない」ことの理由として二つを挙げていますが、それらの理由について説明しなさい。

>30ページ:NHKの番組「カンジ」でも有名になったボノボが、人間の言葉を「言語学的に」(あるいは「言語として」)理解しているかを確かめるためには、どのようなテストが必要だと言っていますか。

>31-33ページ:類人猿の「言葉」には語順がないことから、どのようなことが言えますか。まとめなさい。

>36ページ:「チンパンジーはもともと言語を使う能力があるが、人間ほどうまく話せないだけであるという説は、人間はもともと空を飛ぶ能力があるが、鳥ほどうまく飛べないだけであるというのと同じである」「どこかの島に、飛べない鳥の種があったとして、どうやって飛ぶかを教えてくれる人間を待っているということがあるだろうか。類人猿が言語の能力を持っていることを証明しようとするのは、それと同じことである」というチョムスキーのたとえのポイントは何ですか。説明しなさい。

>37ページ:「そもそも、言語が何かの必要性から生まれたと考えるのは誤りである」とありますが、これについて説明しなさい(必要ならば進化論の入門書を読みなさい)。

>41ページ:「生得説(獲得説)」と「学習説」を簡単にまとめなさい。ちなみにあなたはどちらの説により親近感を覚えますか。

>42-43ページ:スキナーの行動主義についてまとめなさい。

>43-44ページ:「プラトンの問題」とは何ですか。それはなぜ行動主義では説明できないのですか。「刺激の貧困」(poverty of stimulus)という用語を使って説明しなさい。

>44ページ:(2a)太郎は学校へ行った。(2b)太郎が学校へ行った。(3a)*誰は学校へ行ったの。(3b)誰が学校へ行ったの。(4a)今日は(天気が良いので)、コートはいい(=不必要)(4b)今日は(天気が悪いので)、コートがいい(=必要)という一連の例文から言語獲得についてどのようなことがいえますか。

>46-47ページ:言語獲得の三つの謎である「決定不能の謎」「不完全性の謎」「否定証拠の謎」をそれぞれ説明しなさい。

>47ページ:これらの謎に対するチョムスキーの解答をまとめなさい。

>47ページ:著者は「言語行動」や「言語学習」という用語は適切ではない、と述べています。それはなぜですか。

>50ページ:表2-1の獲得と学習の相違点を各項目について説明しなさい。納得のゆかない項目があればそれを指摘しなさい。

>53-54ページ:「言語が心の他の機能のすべてと同調して発達することなどあり得ない」「もちろん両者が関係していることは否定しないが、視覚的能力や論理的思考能力などの発達を待つことなく、言語は独自のプログラムに基づいて発達すると考えるのが正しい」と著者は述べていますが、それはなぜですか。

 

第三章 モジュール仮説

>58ページ:(1a) Colorless green ideas sleep furiously. (1b) *Furiously sleep ideas green colorless.という文からどんなことが言えますか。

>60ページ:「文法は離散的」とはどういうことですか。

>60-61ページ:(2a)東京は都会だ(2b)東京は砂漠だ(2c)東京は絶壁だ、といった例文から意味判断についてどんなことがいえますか。

>61-63ページ:サピアとウォーフの仮説についてまとめなさい。

>64ページ:「外延」(extension)と「内包」(intension)<綴りに注意>とはそれぞれ何ですか。

>68ページ:「翻訳の不確定性」とは何ですか。例文(6)時計をお持ちですか、を使って説明しなさい。

>69ページ:認知言語学と認知脳科学の違いを簡単に説明しなさい。

>71ページ:「音素と形態素の関係は、原子と分子の関係に似ている」というのはどういうことですか。説明しなさい。

>74ページ:(7)花子、友子、洋子、田井子、てるみ、さゆり を音読することによって音韻法則の習得についてどのようなことがいえますか。

>74-75ページ:「モジュール」(module)とは何ですか。説明しなさい。

>75ページ:脳科学における還元論(reductinism)と全体論(holism)に関して簡単にまとめなさい。

>76-77ページ:筆者は「言語は、知覚・記憶・意識の各モジュールから独立したモジュールであるという立場」をとっていますが、その根拠は何ですか。

>78ページ:図3-2の言語内部のモジュール構造を説明しなさい。

>80ページ:(8b)太郎は花子の写真をとった次郎をほめた、といった例文は何と呼ばれますか。このような例から文処理(sentence processing)についてどのようなことがわかりますか。

>81ページ:ワーキング・メモリーというモデルについて簡単にまとめなさい。

>81-83ページ:著者は、ワーキング・メモリーのモデルによって、言語処理も説明できるので、言語のモジュール性は必要ないと主張している認知科学者に対して批判的です。その理由をあげなさい。

>83-84ページ:「失文法」(agrammatism)とはどのような言語障害ですか。(9)トラがライオンにおそわれた、という例文を使って説明しなさい。

>86-87ページ:ウィリアムズ症候群(Williams syndrome)とはどのような遺伝病ですか。また、このことから言語と学習能力の関係に関してどのようなことがいえますか。

>87ページ:サヴァン症候群(savant syndrome)とはどのような症状ですか。

>87-88ページ:クリストファというサヴァンはどのような能力を示しましたか。また「ベルベル語」(クリストファがすでに知っている言語とは起源も類型も異なる北アフリカの自然言語)と「エブン語」(自然言語の規則に従わない構造を持った人工言語)の習得に関して、クリストファはどのような結果を出しましたか。このことからどのようなことが示唆されますか。

 

第四章 普遍文法と言語獲得装置

>93ページ:「言語を言語学や脳科学でとらえるときには、共通語と方言の違いを、日本語と英語の違いと同様な変化の一形態と見なしている」とはどういうことですか。説明しなさい。

>94ページ:「名前」のことを英語ではname(ネーム)と言い、ドイツ語ではName(ナーメ)と言いますが、どちらも日本語のnamaeに良く似ています。このことから日本語と英語に共通な起源があると結論すべきですか。

>96ページ:ソシュールの「共時言語学」の考えを簡単にまとめなさい。

>96ページ:ブルームフィールドの「構造主義言語学」の考えを簡単にまとめなさい。

>97ページ:大学二年目で学問にほとんど興味を失いかけていたチョムスキーにハリスはどんな助言をしましたか。

>100ページ:「世界にどの位の数の言語が存在するか」という問いはほとんど意味をなさないだろう、というのはどういうことですか。

>103ページ:『広辞苑(第五版)』の文法の三つの意味を比べなさい。

>104ページ:「英文法の教科書をいくら完全にマスターしても英語がうまく話せるようにならないのは、むしろ当然である」というのはどういうことですか。説明しなさい。

>106-107ページ:(5)(6)などの例から日本語の母語習得にしてどのようなことが言えますか。

>108ページ:よく「外国語が達者な人は一般的に記憶力のいい人だ」といわれますが、筆者はこのことについてどのような考えを持っていますか。

>110ページ:チョムスキー以前の言語学における文法と、チョムスキーが提唱した(生成)文法を、「帰納的」「演繹的」という言葉を使って区別しなさい。

>110ページ:「言語の理想化」とは何ですか。説明しなさい。

>111-112ページ:チョムスキーのいう四つの言語研究の中心的問題を述べなさい。

>112ページ:「意味論や語用論を扱わないからチョムスキーは間違っている」という批判についてはどのように考えるべきと著者は言っていますか。

>115ページ:「人間が話すことは本能であって、創造的な学習や文化の産物として生まれたものではない」というのはどういうことですか。

>116ページ:「言語獲得装置」(Language acquisition device, LAD)とはどのような仮定ですか。

>116ページ:「普遍文法」と「個別文法」という用語をそれぞれ説明しなさい。

>116-117ページ:言語獲得を原理とパラメーターの観点から説明しなさい。

>120ページ:文法理論の「観察的妥当性」「記述的妥当性」「説明的妥当性」とは何ですか。

 

第5-7章 省略

第8章 自然言語処理

>196ページ:人間の知能の一部分を人工的に実現させようとする人工知能研究は、私たちにどんなことを逆説的に気づかせてくれましたか。

>197ページ:脳をハードウェア、心をソフトウェアとして考えるたとえは、当たっているところもあれば、外れているところもあります。説明しなさい。

>198ページ:1997年にチェス・コンピュータ「ディープ・ブルー」は、人間のチェス世界チャンピオンとの勝負に勝ちました。こういったことから人間の思考の一端が解明されたといえますか。

>199-201ページ:「チューリング・テスト」について説明しなさい。

>201-202ページ:「機械は心を持つ」と考えることができますか。あなたの考えを述べなさい。

>202-204ページ:ウィノグラードのプログラムはチューリング・テストに合格するといえるでしょうか。

>204-205ページ:機械翻訳の難しさを説明しなさい。

>211-212ページ:ゴールドの「文法推論」の議論から、人間の言語獲得に関してどのような結論が得られますか。

 

第9-11章 省略

第12章 言語獲得の謎

>276ページ:乳幼児の言語獲得を簡単にまとめなさい。

>277ページ:「母語の不思議」を説明しなさい。

>278-279ページ:ピジンとクレオールについて説明しなさい。

>279-280ページ:手話のクレオール化について説明しなさい。

>281-282ページ:幼児の言語獲得の特徴をまとめなさい。

>282-283ページ:マザーリース(motherese:母親語)とは何ですか。説明しなさい。

>283-284ページ:母音の獲得に関する「母語マグネット理論」を簡単にまとめなさい。

>286ページ:乳幼児の文法獲得に関する実験を簡単に説明しなさい。

 

第13章 感受性期とは何か

>298ページ:「臨界期」(critical period)とは何ですか。「刷込み」という用語を使って説明しなさい。

>298ページ:ウィーゼルとヒューベルによるネコの視覚の実験をまとめなさい。

>299ページ:脳の可塑性とは何ですか。

>299ページ:「脳の発達には、遺伝子による形成(formation)と環境による改良(refinement)の両方が重要である」とはどういうことですか。

>299ページ:どうして「感受性期」(sensitive period)という用語が好まれるのですか。

>300ページ:カスパール・ハウザーやジニーの例はどのようなことを示していますか。

>300ページ:生まれつき全く耳が聞こえず、手話を学ぶ機会もなかった子供はどのように成長しましたか。

>301ページ:言語獲得の感受性期についてまとめなさい。

>302ページ:文法能力の感受性期に関するジョンソンとニューポートの実験をまとめなさい。

>304ページ:脳の発生についてまとめなさい。

>304-305ページ:これまでの「獲得説か学習説か」という二者択一的論争の不備は何ですか。

>305ページ:図13-2「言語獲得の多段階仮説」を説明しなさい。

>311-312ページ:バイリンガルの言語発達段階を簡単に説明しなさい。

>313ページ:第二言語獲得では普遍文法は完全に使われているか、全く使われていないかのどちらかだ、という議論はどこが間違っていますか。

>314ページ:第二言語獲得の困難性をパラメーター設定の点から説明しなさい。

>314ページ:「ナチュラル・アプローチ」とは何ですか。

>315ページ:クラッシェンの言う、「意識的な文法の学習を表出に結びつけるための条件」とは何ですか。


信原幸弘『考える脳・考えない脳』(講談社現代新書、660円)(2002/9/13掲載)

はじめに

>5ページ:最初に、心の哲学(philosophy of mind)の問題意識が導入されます。せんじつめれば「心の働きが脳の働きと同じであるとしても、私たちは、それらが同じであるとはどのようなことなのかを、なかなか理解することができないのです」ということになります。どういうことか、あなたなりに説明しなさい。

>7ページ:哲学的な心身二元論について説明しなさい。

>7ページ:常識的な素朴二元論について説明しなさい。

>8-11ページ:「素朴二元論では、このように心の働きと脳の働きのあいだに、念力や透視のような超能力現象が日常茶飯事として起こることになります」とあります。どういうことか説明しなさい。

>11-13ページ:なぜ「心を脳に帰着させる一元論のほうが有望そう」なのですか。説明しなさい。

 

第一章 古典的計算主義

>21-24ページ:「表象」(representation)、「表象主義」(representationalism)とは何ですか。説明しなさい。

>23-24ページ:表象を含まない心的状態は存在しますか。

>24-27ページ:表象の「内在的特徴」と「志向的特徴」とは何かをそれぞれ説明しなさい。

>27ページ:もし内在的特徴を持つことが志向的特徴を持つことに直結したらどうなりますか。また逆に、もし志向的特徴を持つことが内在的特徴を持つことに直結したらどうなりますか。

>28-30ページ:哲学でいう「内容」(「志向的内容」「表象内容」)とは何ですか。

>28-30ページ:「私たちは信念(belief)に含まれる表象について、その志向的特徴は知っていても、内在的特徴は知らないのです」とありますが、これはどういうことですか。

>30-32ページ:「古典的計算主義によりますと、心的表象は日常言語の文と同じく「構文論的構造」をもちます」とありますが、これはどういうことですか。

>30-32ページ:「思考の言語」について説明しなさい。

>32-34ページ:「心的状態は志向的内容の観点から把握されるのにたいし、脳状態は内在的な特徴の観点から把握されます」とあります。説明しなさい。

>35-39ページ:「絵が文脈独立的な要素を含まない」とはどういうことですか。

>35-39ページ:「構文論的構造をもつことにとって重要なことは、どのような文脈に現れてもつねに同じ形を保つ文脈独立的な要素からなる」というのはどういうことですか。

>39-44ページ:「心には、知覚や信念を形成したり、ものごとを記憶したり、どうしたらよいか思案したり等など、さまざまな種類の心的過程がありますが、これらはすべて心的表象をその構文論的問題にもとづいて処理する過程であるというのが、古典的計算主義の考え方です」とあります。説明しなさい。

>44-46ページ:古典的計算主義とコンピュータの関係について述べなさい。

>46-49ページ:心的表象が構文論的構造をもつことを示す議論としての「認知能力の体系性」について説明しなさい。

>49-51ページ:「推論能力の体系性」について説明しなさい。

 

第二章 コネクショニズム

>54-57ページ:「コネクショニズムにおいては、心的表象はニューロン群の興奮パターンにほかならない」とはどういうことですか。説明しなさい。

>54-57ページ:コネクショニズムでは「心的過程も構文論的構造にもとづく形式的な処理過程とはみなされていません」とありますが、これはどういうことですか。

>57-58ページ:コネクショニズムと脳の関係について述べなさい。

>60-63ページ:シナプスの「重み」とは何ですか。図2-5を参照しながら説明しなさい。

>60-63ページ:「同じ人でも、撮る角度や表情などによってさまざまな顔写真ができてきますが、そのようなさまざまな顔写真にたいしてネットワークは正しくその人の名前を出力することができます」とはどういうことですか。

>60-63ページ:「ネットワークは同じ重み配置でもって、ひとりの人の顔だけではなく、何十人もの人の顔を識別することができます」とはどういうことですか。

>63-66ページ:ネットワークはどのようにして適切な重み配置を学習するのですか。「誤差逆伝播法」という用語を使って説明しなさい。

>66-67ページ:ネットワークの「般化能力」とは何ですか。説明しなさい。

>68-70ページ:隠れ層の役割を「プロトタイプ」という用語を使って説明しなさい。

>71-72ページ:空間的パターンの識別と時間的パターンの識別の違いについて述べなさい。

>72-75ページ:回帰ネットワークについて説明しなさい。

>76-78ページ:「手を挙げる」ことと「糸を針穴に通す」ことを回帰ネットワークの働きの観点から記述しなさい。

>79ページ:私たちの実際の脳のニューラルネットワークは三層で構成されると考えられますか。

>81-82ページ:分散的表象について説明しなさい。

>82-84ページ:隠れ層における「笑っている太郎」の表象は「笑顔」の表象と「太郎」の表象という別々の二つの表象であると考えられますか。

>85-89ページ:分散表象は構文論的構造を持っていると考えられますか。「空間的に分離された実在的な要素」「文脈独立性」という用語を使って説明しなさい。

>89-91ページ:分散表象のメリットとデメリットを、再合成と表現効率の点から説明しなさい。

 

第三章 直観のメカニズム

>94-97ページ:直観的判断とはどのような判断ですか。単純な判断だけですか。

>91-101ページ:「古典的計算主義は、本人によって直接的に知られる意識的な過程を手がかりにして、無意識的な過程を理解しようとします。古典的計算主義によれば、意識的な過程と無意識的な過程は、意識的かどうかの違いはあるにせよ、そこで生じていることは実質的には同じです。」という考えから直観的判断を説明しなさい。

>101-103ページ:古典的計算主義による「善悪を導き出す過程」を説明しなさい。

>103-105ページ:無意識的な過程を意識的な過程と同じ推論的な過程と見ることの困難点を二つ挙げなさい。

>105-109ページ:善悪を判断する直観的能力はどのように習得したと考えられますか。その習得を古典的計算主義で説明することとコネクショニズムで説明することはどちらが容易ですか。

>109-112ページ:知覚と直観はどのような点で似ていますか。

>109-112ページ:「「同じ釜の飯を食った仲」になることが、善悪の判断を一致させる一番いい手だてである」とはどういうことですか。

>112-114ページ:文法と辞書にもとづいて行う、外国語としての英語習得は「意識的過程の無意識化」と考えられますか。

>115-117ページ:「英語の文の適格性を意識的な推論によって判断する初期の段階から、それを直観的に判断する熟練の段階に移行するとき、古典的計算主義のメカニズムからコネクショニズムのメカニズムへと、メカニズムの切り替えが起こるのです」とはどういうことですか。説明しなさい。

>117-118ページ:技能習熟(テニス)を古典的計算主義のメカニズムで説明するとどうなりますか。

>118ページ:「熟練者は初心者のようにボールの打ち方を意識的に考えて打とうとうsると、かえってうまく打つことができません」ということからどのような理論的疑問が生じてきますか。

>120-121ページ:テニスへの習熟をコネクショニズムのメカニズムで説明しなさい。

>122ページ:「しかし、この過程は、初心者の意識的な過程とちがって、ボールの知覚から規則の適用によって運動を産み出すわけではありません。ボールの知覚からシナプスの重み配置によって運動を産み出すのです」とはどういうことですか。

>124ページ:「熟練者の場合、ボールを打つためのコネクショニズム的な過程が作動するとき、ボールの知覚はボールを打つ運動から切り離すことができません」とはどういうことですか。

>125-127ページ:「初心者が熟練者となるためには、知覚能力と運動能力の両方を向上させなければなりません。そしてそれと同時に、知覚と運動をうまく協調させる能力も獲得しなければなりません」という観点から、古典的計算主義とコネクショニズムについてまとめなさい。

>130ページ:「一般に、わたしたちは、どのような無意識的な過程であれ、それを意識的な過程になぞらえて考えがち」ですが、著者はそれに対してどう提言していますか。またそれはなぜですか。

 

第四章 フレーム問題

>132-134ページ:古典的計算主義のメカニズムで設計されたロボットにコーヒーの入ったカップを台所からリビングへ運ぶ作業をさせる場合にはどのような事態が生じると考えられますか。(ちなみにこの章のロボットは、古典的計算主義のメカニズムで設計されていることが大前提となっています)。→慣れない第二言語で話そうとする人がこのフレーム問題に悩むことは考えられますか?

>134ページ:「フレーム問題」とは何ですか。

>134ページ:この章の目的は何ですか。

>135-138ページ:フレーム問題の核心とは何ですか。「関与することがらとそうでないことがらを効率的に区別するためには、それぞれのことがらを、それが関与するかどうかに応じて選別するというようなことすら行ってはいけません。それを行ってしまいますと、関与しないことがらはほとんど無数にありますから、膨大な時間がかかってしまうのです。関与しないことがらをいかなる仕方でも問題にすることなく、関与することがらだけを取り出さなければなりません」といった記述を参考にしながらまとめなさい。

>139-140ページ:「スキーマ」とは何ですか。私たちは例えばレストランに行くときどのようにして「スキーマ」を使いますか。→第二言語として英語を話す人にとっての「スキーマ」としてはどんなものが考えられますか。

>141-142ページ:フレーム問題をスキーマの導入で解決するには落し穴があるといいます。それは何ですか。

>143-144ページ:フレーム問題をあくまでもスキーマで解決しようとすればどのような結論に到達してしまいますか。

>144-146ページ:「典型的な状況におけるスキーマをもっていれば十分です」とはどういうことですか。

>147-148ページ:「典型的な状況におけるスキーマ」によるフレーム問題の解決に関する問題点を述べなさい。

>149-150ページ:私たち人間がフレーム問題に悩まないように思えるのはなぜですか。

>151-152ページ:「状況ごとのスキーマ」→「典型的な状況におけるスキーマ」という考え方をもう一歩進めればどのような考え方になりますか。

>152-154ページ:コネクショニズムの原理でフレーム問題を解決しようとするとどうなりますか。

>154ページ:「経験による反復的学習の必要性」とありますが、これは全く同一の事を繰り返すことですが、それとも類似した経験を繰り返すことですか。

>155-158ページ:「並列処理」という用語を用いて、古典的計算主義によるフレーム問題の解決を試みなさい。

>159ページ:古典的計算主義によるフレーム問題の解決の問題点を述べなさい。

>160ページ:並列処理で枚挙を行うことの問題点を述べなさい。

>161-162ページ:「状況を構成するすべてのことがらをまず把握し、それから課題の遂行に関与することがらを取り出すというのではなく、端的に関与することがらだけを把握することが可能」とありますが、これはどういうことですか。

>162-163ページ:フレーム問題の解決のためには、私たちの問題の立て方を変えなければなりません。「課題の遂行という観点から直接、状況の把握を行う」といった言葉を使って、フレーム問題を解決可能な問題として述べ直しなさい。

 

第五章 心のありか

>170ページ:古典的計算主義の方がふさわしいと考えられる心の働きは何ですか。

>172ページ:「脳のなかではなく、むしろ主として外部の環境のなかで展開される」心の働きとはどんなものですか。説明しなさい。脳が全く関与しないのですか。

>172-173ページ:古典的計算主義がもっともよく当てはまると考えられる心の働きは何ですか。

>173-175ページ:「語ることは思考そのものではなく、思考の表現である」という考えに合致する点、合致しないと思われる点を挙げなさい。

>175ページ:「言葉を用いて意識的に考えるとき、考えることは言葉を用いることであり、それゆえ思考は脳のなかで行われるわけではない」とは誤解を招きやすい表現です。ここでは「思考は脳のなかだけで行われるわけではなく、脳は言葉という外部的表象の助けを借りて思考をするといえる」などと読み替えてください。

>175ページ:計算(筆算)はどのような例として取り上げられているのですか。

>176ページ:「紙のうえに数字を書きならべながら掛け算を行うとき、掛け算は脳のなかではなく、まさに紙のうえで行われるように思われます。紙のうえに数字を書きならべることが、掛け算を行うことにほかならないのです」とはどういうことですか。

>177ページ:「脳のなかで行われるのが構文論的構造をもたない興奮パターンの変形であるのに対して、紙のうえで行われるのはまさに構文論的構造をもつ表象の変形です」とはどういうことですか。

>178-181ページ:「暗算の場合、掛け算は視覚皮質で行われるということになりそうです」とはどういうことですか。

>181ページ:「やはり掛け算は脳のなかで行われるといわざるをえないでしょう」とはどういうことですか。

>184-188ページ:「視覚的表象が他の知覚的表象と同じく、一般に構文論的構造を欠くとすれば、数表現を表す視覚的表象も構文論的構造をもたないと考えるのが妥当でしょう。暗算で掛け算を行うとき、わたしたちは構文論的構造をもたない視覚的表象によって数表現を表象し、そのような視覚的表象を変形していくことによって数表現の操作を表象しているのです」とはどういうことですか。

>189ページ:「発話がなされるのは、そうしなければ、考えることができないからです」という主張について説明しなさい。

>191-193ページ:著者がいっている(典型的な)思考と、発話傾向としての思考はどのように異なりますか。→このような混乱から、日常概念を自然科学化することの困難を推測しなさい。

>193ページ:発話傾向をもつためには、必ずしも脳のなかに構文論的構造をもつ表象が存在する必要はありません、とはどういうことですか。

>193-195ページ:著者のいう無意識的な思考過程というのはどのような特徴を持っていますか。(著者のいう「思考」を、構文論的構造の点から定義しなさい)

>198-199ページ:コネクショニズム的なメカニズムで習慣的な行動を説明しなさい。

>200ページ:「わたしたちは、発話や内語とは別に、構文論的構造をもつ信念や欲求のような思考の存在を認めたり、そのような思考それ自体を活用する思考過程の存在を認めたりしますが、じつはそのような思考や思考過程は存在しないのです」と著者は主張していますが、柳瀬はこの主張は「思考の言語」の仮説(31ページ)と反するように思っています。あなたはどう考えますか。意見が相違する場合、その相違がどれぐらい定義の違いから生じているか省察しなさい。

>200-202ページ:内語が運動皮質の微弱な興奮パターンだと考えることから著者はどのような結論を導き出していますか。

>203-204ページ:「外的表象を操作してなされる思考」について説明しなさい。その際に「脳はその外部の環境のなかにそろばんのたまの動きを引き起こし、それによってそこに計算を生じさせるのです」といった著者の表現を参考にしなさい。

>205-206ページ:「脳は、構文論的構造を欠くニューロン群の興奮パターンの変形装置です。脳はそのような変形によって、さまざまな心の動きをその内部に生じさせます。しかし、脳はそれだけではなく、そのような変形をつうじて、外部の環境のなかに外的表象を作り出し、それを操作することもできます。とくに、発話のような構文論的構造をもつ外的表象を作り出し、それをその構造にもとづいて操作することもできます。脳はこのようにして構文論的構造にもとづく思考を生み出すのです。つまり、脳は、構文論的構造にもとづく思考という、脳の内部では生じない思考を、その外部の環境のなかに生じさせるのです」という主張を説明しなさい。

>206ページ:ここで著者は「思考」の二つの異なる定義から、「脳は考える」「脳は考えない」という二つの異なる結論を導き出しています。説明しなさい。

>207-208ページ:「構文論的構造をもつ表象の操作としての思考は、この大きなシステム全体によって産み出されるのです。すなわち、脳の働きが身体を動かし、それによって環境のなかに構文論的構造をもつ表象が作り出され、それを脳が知覚して新たに身体を動かし、等などというふうにして、表象の操作がなされるのです。構文論的構造にもとづく思考は、脳と身体と環境からなる大きなシステムによって、そのサブシステムである環境のなかに産み出される思考なのです」、「身体や環境がなければ、心は完全な形では成り立ちません。脳と身体と環境からなる大きなシステムが心なのです」、「心は脳に尽きるものではありません。脳がなければ、心がありえないのはたしかですが、脳だけで、心が成り立つわけではありません。心には、身体と環境も必要です。心は脳と身体と環境からなる一大システムなのです」といった主張は、この章の議論を通じて著者がもっとも訴えたかったことのように思えます。説明しなさい。


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