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ソクミル

今月のコート ( 従来版 ) / 来月のコート
川内の状況 / 今日の天気
会計報告 (2021年2月分)
WHAT'S NEW
出欠事前通知
次回 宮城野原コート<自主練> 4/12 月 9:00-11:00 ①+②
参加者自己負担 出欠事前通知欄から参加申込可
市営コートがすべてコロナ休館中 ( 3/27 - 5/5 ) のため休会中です 予定
★ コロナ禍の 穢れ祓へる 仏の手 ★
《 大庭ミラーサイト ( 準備版 ) 👉 こちら
前回 <自主練> 4/7 水 16:00 -18:00 宮城野原 報告
参加者 6 蛭子 大庭 宍戸 三浦 宮田夫妻
  ( 会員募集 )
2021 / 4 / 8 ★ レーヴィット " ウェーバーとマルクス " が論じているのはドイツ観念論の末裔たち ( ヘーゲル / マルクス) その議論で気づいたのだが若い頃はごく自然に感じていた<精神 Geist >の捉え方はもろドイツゲルマン系の民間信仰 ( Naturgeist / Erdgeist ) から来るのではなかろうか 哲学と言えばドイツ哲学であった我が国では見過ごされがちなことだが国家神道の八百万の神とゲルマン的な自然霊 / 地霊はかなり似ている ドイツ観念論の言う精神 ( Geist ) とは我が国の " こころ " に相当するものだろう アングロサクソン系の " mind / spirit " とは一味も二味も違うものだ 若い頃からずっと疑問に思ってきた 勉強を続けていると見えてくるものが色々とある : レーヴィット " ウェーバーとマルクス " のヴェーバー分析は深い しかし同じドイツ文化圏 ( ドイツ国家興隆期のそれ ) の人間がヴェーバーを観る眼というのは限られたものではなかろうか ふとそう思った フランス人はヴェーバーを嫌っていたはず 熱っぽく迎え入れたのは大日本帝国万歳の日本人くらいなもの 社会科学という学問は自然科学以上に相互主観的な<文化> つまりは個性ある千差万別のユニークな社会常識とか社会通念に基づくものだ : シュッツ&ルックマンとヴェーバーを交互に読む 両者とも書いていることは違っていても似たようなことを言っている ( 国と県みたいだ ) そのことに気づく 人間の生活にはルーツ/基本/原点があるという信念だ — それがヴェーバーの場合は権力意志でありシュッツ&ルックマンの場合は生体験の本源性(すべての体験の源であること ) : シュッツ&ルックマンの生活世界論からヴェーバーに戻る 驚いたことにヴェーバーの " 法社会学 " がやたら宗教社会学めいている 法社会学において彼の経済社会学と宗教社会学とが結びつくとは思わなかった 法は歴史的には古代の呪術信仰における贖罪から発しているというのだ : 愛国的なヴェーバーによるフライブルグ大学教授就任講演 " 国民国家と経済政策 ( 未来社 2000 ) " を読む エマニュエル・トッドの反グローバリズム論また国民国家論に通じる演説 トッドと違うのは血気盛んな過激さと自民族(ドイツ民族)に対する誇りだろう トッドには英国系とユダヤ系の血が流れているからフランス万歳とまではいかないしまた言わない しかし自民族国家の尊厳や誇りを取り戻すため自由貿易(グローヴァリズム)万歳と徒に叫ぶような経済政策を排し国民国家主体の経済政策を優先すべきだと主張する点ではまったく同じである ただドイツ人は優秀でポーランド人は劣等と独断的に決めつけるところはちょっとナチ的 しかしこの就任演説後二三年経つと彼の躁鬱病の症状はひどくなりこの鼻っ柱の強い若造は鬱的な沈思黙考へと沈みこんで行く そのせいだろう 基本的なコンセプトは変えぬまま自分の思想を丁寧かつ慎重に練り直すようになる 誇大妄想的な大風呂敷さは相変わらずだがその視点の大胆さ大きさが幸いしてデモーニッシュだが広く深い独特の思想世界を生み出して行く ヴェーバーにはどうもデーモンが取り憑いていたような気がしてならない その彼の概念世界にこちらは今取り憑かれているわけだ : 古川哲史 " 心房細動のすべて: 脳梗塞 認知症 心ふ全を招かないための12章 ( 新潮新書 2018 ) " を読了 簡潔明瞭な本で次の一言に尽きる — 注意すべき生活習慣は 禁煙 禁酒 / 節酒 減塩 バランスの取れた食事 軽い運動 ストレスフリー の6項目です — 今まで気がつかなかったのが最後から二番目の ( paenultimus ) の<軽い運動> ( ウォーキング サイクリングなど ) 中等度の運動<ランニング サッカー スイミングなど>(いわゆるレジャースポーツ)は脳梗塞の発症とは関係がない ( 体に良くも悪くもない ) とのこと あとの項目は完全にクリアー 禁酒が節酒に変わっただけ でもそれだけでコロナ太り : ヴェーバーの社会学上の " 闘争 " 概念には明らかに俗流ダーウィニズムの影響が見られる スミスの経済学にダーウィンの進化論をそのまま上乗せして自然選択(自然淘汰)は完全自由競争市場(神の " 見えざる手 invisible hand " )という最適解 ( 現実には存在しない理想型 Idealtypus ) を見つけたという論法 ニーチェと違ってそれが人間社会の明るい面を成すということらしい シカゴ学派に影響を受けたと思われるマクニールと同じでちょっとムシが良すぎはしないか 清水幾太郎の訳者解説にはヴェーバーの文章には異常さが見られるとの指摘があった さすが慧眼だと思う こちらは " プロ倫 " のやたらくどい論調にすでに異常さを感じていた 論旨は実に明快なのだ それだけにちょっと異様なところ : ヴェーバー " 社会学の根本概念 ( 岩波文庫 1972 ) " を読み直す 清水幾太郎の訳は大変に判りやすい さすがだ : 体を休めていたら大分楽になった 今まで結構無理していたらしい 潰瘊性大腸炎もやっと寛解期に入った模様 : 昨日広南病院で自分の脳のMRI画像を見せてもらう 最近の痺れや眩暈の原因が手に取るように判った 末梢毛細血管の血流(血のめぐり)が少し悪くなっているらしい 画像中のかすかな白濁が末梢血管の血流の悪さを示しているとのこと fMRIの脳画像を観察研究している仏コレージュ・ドゥ・フランスのスタニスラス・ドゥアンヌの感激がモロ伝わってくるようで妙に興奮 担当医(長澤治夫医師)がMRI画像データをCD-ROMに焼いてくれた(無料) 帰宅後早速IMG-BURNでコピー いずれ心臓の専門医であるかかりつけ医に診せる それにしても実に親切な脳神経科専門病院 東北大医学部付属病院長町分院が今の場所に移った昭和23年に新設されたものらしい これから年一回通って脳画像を撮ってもらうことにした お気に入りの病院というのは珍しい : 日記風にHPを書き換えていると生活にメリハリが付く 自分の生き方が手に取るように見えてきて今現在の生活設計がしやすくなる 書くというのは<考える>だけでなく<生きる>こと<生活をする>ことでもある : 以前使っていたチェロが思いがけず戻ってきた 人に貸していたものだ 久し振りに弾いてみると鼻声のような寝惚けた音を出す(ドイツ製) 今使っている楽器はバカ鳴りをして少しウルサイ(フランス製) これからは両者を弾き分けながら使ってゆくことにする 弓も戻ったがこちらは安物ではない 人から貰ったマトモなもの 緒止めを替え抜けている毛も張り替えてもらおう 弘法筆を選ばずではなく荒法筆を選べず ( 2021/3/20 ) : ヴェーバー " 社会主義 " の訳者解説を読む マルクス主義の社会学者浜島朗氏のもの ヴェーバーの仮想敵マルクスのサイドから見たヴェーバー像(ブルジョワ社会学者ヴェーバー)でなるほどそうだよなと感心させられる ただマルクス主義でいただけないのはヒトラーの先駆者ヴェーバーという浅薄なヴェーバー観 そういう観方こそナチが用いた世論操作的なデマに近いものではなかろうか なお浜島氏の訳者解説(1980年の文庫本化の時点で書かれたもの)は1991年のソヴィエト連邦崩壊を考慮に入れていないことは断っておかねばならない しかしヴェーバーの言っていること(社会主義体制がその原理からして存続できないことを主張するもの)はその推論が当たったという点で優れているわけではない 彼の理路整然とした説明そのものが現実の資本主義の社会構造をよくとらえている点で優れているのだ ヴェーバーの途轍もない魅力はこの的確な現実把握にあるのである : 寝室にはCASIOの丸形壁掛け時計が二台ある アマゾンから初購入したのが2017年11月 四年前のことである トータル三台買ったのだがそのうちの一台はこの間の大<余震>で壁から落ちて壊れてしまった その丸時計が今日ベッドで目覚めたとき正午12時前で秒針停止をしながら時を刻んでいた あまりにも異様なのでしばらくじっと眺めていた どうやら正午の12時を待って秒針合わせをするようだ その時までじっと待つことにした まるでロケットの打ち上げを固唾を呑んで待っているようだ だが正午になると二台とも見事同時に12時のところで止まっていた秒針を音もなくルルルと40秒ほど進めたのである それを見て妙に感動した CASIOの時計職人いや科学技術者はスゴイ仕事をしている 年に一回弱電池交換をするだけで2~4年間ひっそりと時間補正をしながら時を精確に刻み続けている あまりにも感動したのでアマゾンの購買記録を調べてみた 最初の二台が2017年11月に最後の一台が2019年8月に購入されている 商品のタイトルは<CASIO(カシオ) 掛け時計 電波 ホワイト 直径26.8cm アナログ 夜間秒針停止 IQ-1060J-7JF > 自分はカシオのイヌでもスポークスマンでもない カシオの一ファンに過ぎない ただのフェティシズムなのかもしれないが佳いマシンはヒトのように息をして同じように息をするヒトを捉えて離さない 家内が階下の台所で昼食を作る その音もまた着実に時を刻む ( 2021/3/16 ) : ヴェーバーは " 宗教社会学 " 関係より ” 経済と社会 ” 関係の方が断然面白い 前者の系統はなにやら経済人類学みたいで少なくとも自分にとっては <この道はいつか来た道>みたいなお話 ( デュルケームから甥のマルセル・モースに受け継がれた<象徴交換経済>めいたお話 ) になってしまいかねないという点でまああまり新味のないものだが後者は西欧経済社会 ( 合理的 / 理性的な経済社会 ) が成立するまでの歴史や西欧経済社会(ひいては欧米経済社会)の基本構造をうまく説明してくれている点で実に有益なのである ヴェーバーが西欧現実経済社会の根本を見抜く力にはいつも圧倒されてしまう まさに自分と同じ目で社会関係を支える根本的な力を実に明哲に捉えてくれているような気がするのだ 正直言って<宗教ノイローゼ>めいたヴェーバーにはついていけない 宗教社会学の問題というのはむしろキリスト教だけが彼の言う合理化を生み出せたのはなぜかという論点先取めいた問題ではなく東洋人を含めた人類が非合理な社会をなぜ合理的な社会に変えようとするのかその理由を見極めようとすることではないのか : ドゥアンヌを読み終えて神経科学的な学習のコツが呑み込めてきた 学習は毎日繰り返し行ない毎夜たっぷり睡眠を摂る そうやって短期記憶を長期記憶に移し替えるのだ 練習ちょっぴり睡眠たっぷり 楽器練習では今まさにそれを実践している 前に何かの本で読んだ覚えがあった 佳い本は実用にもなる : HP上で毎日気候の変化や感染者のデータを調べては書き写しているとこれから雪や雨が降るかどうかまた感染者が増えるかどうか多少とも見えてくるような気がする 明らかに気候は春に向かい春先の気候の変わりやすさは減少しつつある またコロナ感染者の数は国内外ともに多少とも減少傾向にある こういった<…のような感じ>はパース流のアブダクションによるものだろうがひょっとしたらドゥアンヌの言う<ベイズ推定> ( チューリングがエニグマの暗号解読に用いた統計数学 ) をする脳の無意識の働きであるのかもしれない <数覚 numeral sense >( 2,3程度の数の大小を即座に感じ取る能力 )はどんな人間(つまり幼児)にも備わったものらしい なるほど 音楽は無意識に行なわれる計算である — ライプニッツ — おそらくは整数関係にある拍と対数関係にあるばい音の整数演算のことであろう ( マックス・ヴェーバー " 音楽社会学 ( 経済と社会 創文社 1967 ) " 参照 ) : 昨夜遅く老猫の息遣いが荒くなった 家内がすぐ深夜の救急病院に連れて行きその帰りをずっと待っていた 猫は胸の水 ( 胸水 ) を抜いてもらって無事復調 人間なら百歳超えの猫 獣医が言うには水を抜くときフ~ッと威嚇して歳の割には元気 こちらは寝ぶそくになった 川内レッスンはお休み 読書&静養 スタニスラス・ドゥアンヌの理路整然とした説明にはいつも感心させられる もちろん<人間一生学び続ける>という彼の主張にも 生きることは学ぶこと なにかに気づくこと ( awareness ) ところで昨晩また木の弓2本とカーボナイトの弓1本を注文 あまりにも安いから どうも自分にはコレクターの気があるらしい だが気づいただけでまだ学んではいない 陽明学の知行合一 ( ちこうごういつ ) によれば知るというのは行なうこと 気づくだけではまだ知ることではない 身をもって知る それが学ぶこと 悪癖に気がついたらそれを直さなければならぬのだ : ヴェーバーの " 権力と支配 " の続き(封建制 )を読む 弁護士資格を取るために彼が法学の勉強をしていたことを思い出し得心した 彼の発想のそもそもの原点は<法社会学>にあったのではなかろうか : ヴェーバーの政治社会学 ( " 権力と支配 " ) をめぐるモムゼンの議論を読む ヴェーバーの言う政治におけるカリスマ的支配とは第一次世界大戦終了以前にすでに<硬直化していた官僚制に民主的な風穴を開けるべく直接選挙で選ばれた大統領による統治>のことであってヒトラーやトランプのような<破壊的>なカリスマによる政治支配のことではない つまり彼のカリスマとはシュンペーターの<商機や営為について独特の勘や才やをもつ起業家 entrepreneur> のような存在なのである 彼は十代の若い頃には崇拝していたプロシャの現実政治家 ( Realpolitiker ) ビスマルクでさえ後には批判している 事実ヴェーバーがもしヒトラーやトランプのカリスマ政治を目のあたりにしていたら間違いなく反対の声を上げていたであろう 彼はなるほど短気な躁鬱症のマッチョ(予備役軍人=大尉)ではあったがけして暴力好きな人間あるいは暴力をふるうような人間ではなかった : 積雪4センチ 二人で雪搔き 指先がかじかむ でも雪搔きはしなきゃならない 義務の感じ方には二通りある とにかくやらなきゃという切迫感 そして自分がやらなきゃ誰がやるといった自負感 むろん後者が望ましいオトナの義務感 だがふつう人間は前者である 大抵の人間はやらなきゃいけないという切迫感を感じながらそこから逃げたいと思う そしてそこから逃げ出すためにいやいやながら義務を果たすことになる だが結局そうやって義務を果たすことになるのならともかくそれすら果たそうとしない子供のような人もいる かつての自分だ 今日お隣さんから雪搔きの御礼の言葉を聞かされたときふとそのようなことを思った 自分にとって雪搔きは相変わらず前者の状態 しかし御礼の言葉がハゲミとなりそれによって見事な社会化(社会復帰)を果たせるかどうか まさにその瀬戸際にいるようである 雪が降るたびにひとり必ず雪搔きをしていた家内がたくらまずしてセッティングすることになった更生劇 それが果たして功を奏するか否か 家内が凍結防止剤を撒いた雪はすでに溶け始めている : ベッドの中でふと思った 自分が動いて活動していたところでそれだけでは虚しい それで喜んでくれる人がそばにいないと張り合いがない 脳科学ではそのように感じる脳細胞や脳組織が発見されつつあるらしい むろんそのような脳神経組織は人によって様々だろう : 幼い時に受けたクリスチャン教育(神の愛 / 神への愛 )を最近よく思い出す ヴェーバーの本ばかり読んでいたせいか 自分を超えた神の声に従おうとするのは人間の自由意志 キリストあるいはキリスト教徒というのは最初から神への愛に従っている そしてその選択を唯一可能なものとする点では理性的合理的な判断を下しているわけだ だとすれば彼らはただ盲目的であるだけの 立派な理性主義者ということになる なにやらパスカルやキルケゴールの逆説的な弁神論めいてきた しかし結局のところこれがヴェーバーが " プロ倫 " で言いたかったことのような気がする 信仰心のない彼にしたって鬱状態に悩まされていた間ひょっとしたら神にもスガるつもりで聖書を何度も何度も読み直したのかもしれない 自分にもそんなことがあったことをふと思い出した : ずっと日本関係の本を読み続けていてようやくまた西欧関係の本に戻ってきたわけだが日本文化にしても西欧文化にしても最初にして最後の問題となるのは生き方の問題ではないのか : A. ミッツマン " 鉄の檻 ― マックス・ウェーバー 一つの人間劇 ( 創文社 1975 ) " を読み始める 鉄の檻とはヴェーバーの内面世界における躁鬱病の檻と彼の外部における鎖された官僚組織の檻の両者を意味する ミッツマン ( 米国経済史家 ) は両者の構造が同型 ( isomorphe ) だと言うのである 羽入辰郎よりずっと説得力があると思う こちらが考えていたヴェーバー像にかなり近い とはいえヴェーバーの責任は果たして彼の死後第二次世界大戦を惹き起こした後の世代にまで及ぶのだろうか もう少し読み進まねばならない : ヴェーバー の " プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 " における文献の引用解釈ミス ( 学者としては大チョンボ ) を綿密かつ詳細に論じた羽入辰郎の本 ( 博論 ) を読み始める ふむふむと腑に落ちる ちょっと彼に入れあげ過ぎていたようだ 大いに反省 あとヴェーバーの語学の才というのは思ったほど当てにならないようだ 前から内心ほんまかいなとは思っていたことだがロシア語やスペイン語を月単位で<マスター>できるなんてことはまずない 日本人が中国語韓国語を<マスター>するのにどれだけの時間がかかるか考えていただきたい 西欧語なら何十年もかかる 西欧語を年単位で(学生時代に)マスターした気でいる理系の研究者は多いが話すと読むとでは大違いなのである こんなことを言うとなにかこの本を読んだ後の後だしジャンケンのように聞こえるかもしれないが<感心しながらも眉唾>といったペンディング状態は自分の場合よくある 結果眉唾が当たったところで驚きもしない なるほどねとなる 若いころフッサールから " エポケー(判断停止) " ( ヴェーバーなら価値自由 wertfrei ) を学んだせいだろうか " 門前の小僧習わぬ経を読む " と言えるほど身に着いたということか ちょっと眉唾である 思考をいつも囚われぬペンディング状態にしておくことはたしかに思考にとってはけっして経済的なことではない だが物事をじっくりと判断する場合にはつねに必要なことだ むろん現実の行動においてペンディング状態というのはフダンから優柔フダンなだけ じっくりと考えて果断に行動する それが思考の理想的なあり方なのである といったところでそれで人生という問題が解決したわけではない そう言うだけでは足りない あくまでもそれを<実際に実践し続けること>が肝心なのである : 羽入辰郎 " マックス・ヴェーバーの哀しみ ―一生を母親に貪り喰われた男 ( PHP新書 ) " を読了 本の体裁内容人間観すべて薄っぺらい ヴェーバーのうちに(六年間ソーシャル・ワーカーをした経験がありながら)マザコンしか読み取れないとは浅薄 ヴェーバーの病気にはもっと根深い血統またそこからくる社会関係人間関係がある これではまるでヴェーバーやヴェーバー研究者たちに対するコンプレックスのかたまりのようだ それにヴェーバーとしてはプロシャの伝統と近代の資本主義をなんとか結び付けようとする大きな物語を語っている 当時の理想に燃えたドイツ人(騎士の末裔)や日本人(武将の末裔)のインテリたちに政治家の時局的な演説以上のものとして熱狂的に支持された所以である 伝統主義者でありながら理想主義者でもあるこちらとしても彼の<大きな物語>には大いに共感し感動させられたがさてそれで問題がどうなるのかということになるとイマイチ物足らぬものがある それがヴェーバーの限界だろう そのことは実に聡明な当人にもよく判っていたことで二十年来の躁鬱病に悩まされた末大学の教職に戻ったとき彼が社会科学の方法論や宗教社会学という殊更アカデミックなことに手を出し始めた所以である しかし時間的にも空間的にもリーチのある壮大な歴史ロマンとして彼の物語は実に読み甲斐のあるもの そういったど派手な政治経済話とはまったく関係のない本来の経済史の研究者をお探しということならヴェーバーに較べれば切れ味が悪いがなによりもまず学問的でありかつまた良心的であるカール・ポランニーがピカイチであろう 嘘のない誠実さ — ふつうの人間にも研究者にもまさに必要なのはそれなのである : 住谷一彦 " マックス=ヴェーバー ( Century Books 1987 ) " 及び 長部日出雄 " マックス・ヴェーバー物語 ― 二十世紀を見抜いた男 ( 新潮選書 2008 ) " を読み始める どうやらヴェーバーはゲーテ(またかなり小粒だが北杜夫)と同じように躁鬱症 ( 双極性障害 ) の気があったようだ ひょっとすると躁状態の時に論文をじゃんじゃん書きまくったのかもしれない とはいえ筆の乱れが多少目につくものの彼の論理は異常なまでに透徹している ゲーテというのは ( " 詩と真実 " にも書かれているように ) どちらかと言えばいつも鬱状態のようで重苦しいのだがそれとは正反対 それでもゲーテもヴェーバーも敬虔なプロテスタントの家系に生まれ法律家の父親から過度の期待を受けながら法律家(弁護士)になった長男という点では共通している それに二人ともかなりなマザコン 二人と同じように法律を学んだプロシャの音楽好きプロテスタント作家E.T.A. ホフマン(作曲家また指揮者でもあった玄人はだしの素人)の幻想小説に見られるような鬱蒼としたドイツの森 ( Schwarzwald ) の靄に包まれた感じなのだ ( ホフマンも一時的に精神に変調を来たした: 彼の日記にはドッペルゲンガーを見たという記述がある ただしマザコンの気はない ) しかしなにはともあれもう少しヴェーバーの伝記を読み込まなければなるまい ヴェーバーは1920年スペイン風邪で死んでいる — 新コロナ スペイン風邪の 百回忌 : ヴェーバ-がアメリカ資本主義の代表であるかのように挙げているベンジャミン・フランクリンの " ベンジャミン・フランクリン 富に至る道 ( アチーブメント出版 2019 ) " を読む 内容は小粒だが大いに共感できるようなことが書かれている よくよく考えたら金儲け(営利殖財)のこと以外は小さい頃プロテスタントの牧師であった叔父 ( 工学部を出てレッドパージで日本鋼管を辞めさせられ牧師に転身 ) から言い聞かされてきたことばかり イソップのギリシャ人的な明るいだけの人世訓処世訓とはまったく違って天にはいつも神がいて我々を見張っている その神に恥じるようなことは絶対してはならない 恐るべし父なる神 そして三つ子の魂 叔父と似たような状況からヴェーバーもまた宗教社会学に転向する前にこのような父なる神と真剣に向かい合うことになったのだろう 目下ヴェーバー伝を注文中 : ヴェーバー " プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 ( 岩波文庫 1989 ) " を読む 思いつくまま書きなぐったキライはあるが非資本主義的な非合理性から資本主義的な合理性(西欧近代)がなぜどのようにして生まれたのか 唯物論的な下部構造ではなく資本主義精神の基礎をなす宗教的倫理とはどのようなものか この本は彼の宗教社会学の出発点を成すもの(なにか神経症的なこだわりとか執拗さを持った本 晩年に南太平洋の原始宗教を研究したデュルケーム ( " 宗教生活の基本形態 オーストラリアにおけるトーテム体系 1912 " ) がもつ明るさとは好対照 ヴェーバーの転換期というか彼の思想の転向期の書物であったような気がする : アルフレート・シュッツ " 生活世界の構造 ( ちくま学芸文庫 2015 ) " が届く 若い頃 ( 40歳前後 ) 社会学の学生に頼まれて " Der sinnhafte Aufbau der sozialen Welt " ( < 社会的世界の意味構造 > ) を読んだ その学生も交通事故で世を去ってしまった なんとも痛ましい想い出だ それにしても当時の自分は社会を<内なる社会>と感じていたようである 今ようやく<外なる社会>の存在を実感し始めている 社会世界というのは単なる意識上の存在ではない ヴェーバーの理解社会学 ( verstehende Soziologie ) の物足らなさはその辺にある 物事は概念や頭で理解して捉え切れるようなものではない つねに頭や意識や概念からはみ出してしまうような捉えようのない現実 — それが社会という存在なのである : ヴェーバーのピューリタニズム=資本主義論はごくごくマトモなもの ヴェーバーは " 一般社会経済史要論 下巻 " の最終行で18世紀英国の潔癖な初期資本主義は19世紀ドイツ(プロシャ)の興隆期についに<鉄の時代に入った>と述べている 鉄の時代とはヘシオドスの<仕事と日々>に出てくる言葉で < これからの人間はもう鉄の時代だ 陽のあるかぎり苦労をまぬがれず夜の一刻も悲嘆をわすれえず衰滅の道を歩むにちがいない ・・・正義は力にありとする輩で互いにその国を侵すことになるであろう > と歌われた時代つまりは第一次世界大戦のこと 早速彼の " 権力と支配 " を読み始める <当確師> ( テレ朝系 12/28 放送 ) というTVドラマの中で主人公(香川照之)がこんなことを言っていた — <どんなに志の高い政治家でも権力の座につくと独裁者になる> — 言い得て妙である まるで現政権そのまんまで小さな人ほど大きな権力を欲する そのような輩はどこにでも掃いて捨てるほどいる 物欲 金銭欲 性欲と並ぶ権勢欲というやつだ : ウェーバーの研究仲間でありながら<資本主義は戦争によって発展してきた>と主張してウェーバーから批判されたヴェルナー・ゾンバルトの " 戦争と資本主義 [ 講談社学術文庫 2010 ] " が届く 第一次大戦のドイツに対するウェーバーの姿勢を知るためだ 西欧近代資本主義を生み出したのはピューリタニズムの精神だとするのがマックス・ヴェーバー ( 1864 - 1920 ) そのピューリタニズムの精神が戦争 ( 軍隊の規律 ) と密接な関係を持つとするのがヴェーバーの研究仲間ヴェルナー・ゾンバルト ( 1863 - 1941 ) 彼の反ユダヤ主義 — ヴェーバーに逆らって後に資本主義を生み出したのはユダヤ教徒たちだと主張し始める — がヒトラーに影響を与えたことはよく知られている ヴェーバーの西欧近代資本主義史の本は説明の仕方が理屈っぽくて実に面白い フッサール現象学の本質主義・本質直観との関係が少し見えてきた 理想型 ( Idealtypus ) を扱おうとする彼の類型論はフッサール現象学の言う本質論に相当 若い頃はそんな表面的なことしか判らなかったが経済学という回り道をしてようやく<生活世界の現象学>を主張したフッサール晩年の考え方がよく判るようになった つまりフッサールの " 経験と判断 " の言いたいことがよく判るようになったのである ウェーバーはとにかくデカイ 今まではデュルケームと並ぶ社会学理論の一つとして関心を持っていただけなのたが社会経済史家としてもかなり大きな存在であることが判った 彼は1920年スペイン風邪のため57歳で早世している 今なら新型コロナで死ぬようなものだ 彼の " 権力と支配 [ 講談社学術文庫 2012 ] " を改めて注文 現代日本の権力構造権力形態を問い直すためだ : マックス・ウェーバーの言う資本主義の目的合理性とは19世紀後半に工業化を推し進め国力を強めやがて第一次大戦へと突入していったドイツをモデルとするものではなかろうか?そしてマクニールの戦争論における資本主義の文化のモデルもやはりまた自国アメリカの文化なのだろう 二人とも資本主義の祖はイギリスだとしながらも資本主義文化を支えているのはあくまでも自国の文化だという誇りを胸に秘めていたように思える 生き物というのはどうあがいても完全に没価値 ( wertfrei ) になることはできぬのであろう 🎾 2021年4月12日 () 11:10 16.2℃ 57% 南南東5m 市営コート休館 ( 期間延長 ) 3/27 - 5/5 <自主練>上記参照 花冷えに 身をすくめてや 家ごもり — 週末休み二日目 早朝にHPの書き換え 新聞休刊 ヨーグルト・ブランチ&薬&ワセリン 家内はペット病院 インターフェロンを射ちに週二回猫を連れて行く こちら昼食準備 今日は昼過ぎに運動のため<ひより台太白公園>に行く 桜を観る ついでにお隣の<セイユー>に : 昨日届いたサイレント・バイオリンは妙な代物 弓で軽く触れるだけでヘッドフォンに音が出てくる 実際に弾いている感じがしない まるでビデオ・ゲームのようだ 演奏することをPLAYと言うがまさにゲーム・プレーそのもの 三十前後で初めて任天堂のスーパー・マリオを弄った時の感覚だ 都立大でフランス思想を教えていた兄から手ほどきを受けた 二人ともゲーム機を持っていたのだ 最近亡くなった家族のことをよく想い出す 夢にも出てくる もうじき死ぬのかも : 県内感染者 7,164 [ + 72 ] ( 死者43 [ + 1 ] ) / 日本の感染者 507,607 [ + 2,777 ] ( 死者 9,422 [ + 17 ] ) / 世界の感染者 135,355,885 ( 死者 2,927,807 ) 🎾

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活動内容
会員15:写真とビデオ

年間日程表 2015 全期(済)< 年間日程表 2016 前期(済)
年間日程表 2016 後期(済)
年間日程表 2017 前期(済)
年間日程表 2017 後期(済)
年間日程表 2018 前期(済)
年間日程表 2018 後期(済)
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年間日程表 2019 後期(済)
年間日程表 2020 前期(済)
年間日程表 2020 後期(済)
年間日程表 2021 前期(今)

世話人への質問/要望/動議等
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Ludwig van Beethoven : Sonate A-dur op. 69 Nr.3 fuer Klavier und Violoncello ( 1808 )
( from IMSLP : Maurice Gendron )