宇宙論における“モデル”の進化と自然法則の究明


「思考と学問」での話。(改訂版というか,軽量版)
総合科目: 思考と学問(平成11年度前期;火曜日3・4限 10:20〜11:50)

第弐回(4/20) 宇宙論における“モデル”の進化と自然法則の究明
                           理学部 白石 清

 ここに掲げたものは,いうまでもなく私個人の見解(というほどまとまってもないが)である。というより,私自身の(講義のための)備忘録にほかならない。さらに悪いことに,大部分は誰かの(本の)受け売りである(にもかかわらず,いちいち出典を明らかにはしない)。それでも,みなさんのなにかの興味の元となれば,幸いである。

1 理論物理学とは何か

 理論物理学の内容を一言で表すと,「自然現象を『うまく』模したモデルを造り,それを研究すること」である。ここで注意すべきなのは,研究対象は,モデルであって,自然界の現象ではないことである。
 実験物理学では,もちろん自然現象の分析に重きをおかれるわけだが,測定される物理量の,測定条件を記述するパラメータに対する依存性等を当然,主眼として考察するわけである。これらを研究成果としてまとめるには,その数量的関係を数式にあてはめて(簡単な関数でフィットするなどして)考察する。これは,現象を記述するモデルをつくるために必要なこととなる。
(余談: 実験物理学の測定前にも「仮説」としてモデルの基礎的なものが必ず物理屋の頭のなかに存在すると思われる。実際の「仮説」-->「モデル」への進み方は,実験技術(の限界)とも関連してなかなかストレートな道筋にならないことが多い。)
 モデルは,物理量間の関係を与えるだけでは一般には物理的モデルとはみなされない。ひろく言われているところでは,単なる現象論的公式を超えなければならないということである。まず最小限物理のモデルとして要求されるのは,なんらかのその時点で知られていない物理量あるいは知られている物理量間の関係を「予言」できる,あるいは原理的には予言できるということである。もっとも,いちばん消極的な見方では,内挿・外挿によって他の条件での現象が説明できれば,物理モデルといえるかもしれない。
 しかしモデルには,今まで知られていた物理現象の説明をも要求される場合が多い。この要求により,いくつかの別々のモデルの「統一」がなされることも多い。たとえばニュートンの万有引力のモデルがそうである。(月も林檎も地球に引かれて落ちている。)だから,チコ-ケプラー-ニュートンと発展していった力学法則の理解の「流れ」においては,「統一」という観点からすればニュートンが本質的ということになる。こういった統一の要求を自然なものとみなせば,モデルのうち「本質的」なものの内容を「法則」のかたちで抽象できるという一般的に認められた立場となる。
{余談: ガリレオ・ニュートン以前は物理はなく,すべて哲学であった。どういうことかというと,哲学者は宇宙の中のすべてのことを説明しなくてはならないと言う,一種の強迫観念にとらわれていた。このため,現象を分析していくという見方がなおざりにされていたと考えられる。だから実験/観測における条件の明確化から物理が始まったともいえる。}
 自然法則とは,モデルの性質および現象(における物理量)との対応関係を述べたものに他ならない。モデルをつくる際の中心となる考え方といってもよい。要するに,法則よりもモデルが存在することが重要だと私は考える。いわゆる,「究極の法則」というものはなんだろうか。モデル間の優越は,どれだけ便利に使えるかなどの,本来は個人的好みの問題である。2で詳しく述べる。法則を見い出そうとする人間の要求はまったく不思議なものである。

2 モデルの構築と評価

 モデルは現象論的公式化から造られることが多い。しかし、モデルの基本部分がいろいろな意味でしっかりとしたものになっている場合,理論的整備から新しいモデルが造られていく場合もある。
 モデルは「数学的、論理的」に「動く」。ある現象を記述するモデルを純粋に数学的に調べていって,他の現象をも包括的に記述することを見い出すこともありうる。これは,モデル自体が自然現象と切り離すことが出来るにもかかわらず,起こることである。モデルの数学的解析により,モデルをより完成されたものにしていくということで,数学と物理の相互交流が歴史的になされてきた。また,数学的によくわかった部分を「パーツ」として,物理現象を記述するモデルを造るという態度も存在する。(例として,いろいろな物理系において,調和振動子に似た構造を見い出すことなどがあげられる。)
 これに関連して,モデル構築の際に「アナロジー」がしばしば用いられることがあげられる。これは人間の思考方法の本質的性質と考えられる。類似のものを見いだし,ひとつの「カテゴリー」の中にいれていくという考え方といってもよい。広い意味での「同定」については,湯川秀樹が数々の著作の中で述べているので,ここではふれない。また,ある程度「抽象的」な「名前」をつけられた「概念」は,いろいろな場面に適応されるたびに,それの持つ意味を広げながら有効に使用されていく。
 そういった(単なる数学的応用部品以上の)ものとして,たとえば「場」の概念など、いろいろな場面で有効な概念が作り出されてきた。このような場合,それを用いたモデルはいろいろな応用を通して,「しっかり」したものになっていく。モデルが「しっかり」しているためには,ある程度数学的に閉じた体系をなしていることが必要である。そうでなければ,広範な分野での使用に耐えられない。ただし,場の理論モデルで有効な手段でも,厳密な数学としては認められないものも多数含んでいる。(量子場の理論における,経路積分等。)
 ‘理論の美しさ’についてはアインシュタイン以来強調されてきた。記述の簡潔さは、人間の認識のパターンとして美しさとどうしても結び付くものなのであろう(思考の経済)。いままでの歴史的経験から見ても、有効な概念を元に造られたモデルは、簡潔で美しいものになっている。
 美的感覚をわきに置いておくと,モデルの善し悪しはモデルだけを見ていたのでは、いっさい評価することは不可能である。もちろんそれは、モデルに使われている数学が完全に整備されていることを前提とするが。評価基準としては,より少数の「簡潔な」原理からより多くの物理現象を記述できること,などがある。しかしこのことは,現実に「役にたつ」モデルを選ぶこととは独立である。たとえば地球の回りの人工衛星の運動の解析にはニュートン理論が便利であり,一般相対論を使って計算することはほとんどないだろう。
 モデルの構築にはいろいろな「哲学」が入りうるが(「統一」も哲学であろうか),最終的には評価は哲学にではなく,モデルに下される。数学的に完璧で面白いモデルでも,物理現象の記述とほとんど関係ないモデルは,物理では忘れられていくことになる。

3 理論物理におけるモデルの性質

 ほとんどの物理学者は,「素朴な実在」を認めていて,認識論についてあれこれ反省することは,滅多にない。実在という場合,原子とかクォークとかの「存在」の他,物理量の間の関連の様式についても,素朴に存在を受け入れる。たとえば「現象の再現性」というよく考えると不可思議なことを素朴に受け入れている。
 このことから,「因果関係の存在」がいわゆる基本的なモデルの満たすべき性質,あるいは「法則」として,共通の認識となっている。(AならばBが「いつも」成り立つ,という意味。数学では「いつも」は問題とならない。)さらに,多くのモデルでは,因果律はモデルが「時間発展」のしかたを記述することを要求する。モデルが陽に時間を含まない場合も,因果律と適合するか,あるいは暗に因果律の要請を含んでいる。
 このことはたとえば運動の方程式で「(いわゆる)法則」と「初期条件」を分離することを導く。これはガリレオ・ニュートン以降の物理学の理論モデルのすべてに共通する基本認識となっている。ニュートン以来の物理理論モデルについては、適切な本を見よ。もちろん「最小作用の原理」「変分原理」など一見異なった定式化もあるが,基本的に因果法則からはずれたものではない。因果関係とは,インプットとアウトプットを基本としたものの捉え方の様式から必然のものなのだろう。

4 宇宙論におけるモデル

 宇宙論が理論的科学となったのはアインシュタイン以降である。すなわちアインシュタイン方程式により宇宙空間の構造の時間的発展を考えることが出来るようになった。これもある意味では,「統一」になっている。すなわち,太陽と惑星の間の重力と宇宙の膨脹は,同じ法則で記述されるということである。
 宇宙論でのインプットは,ある場合には,物質の内容,量であり,アウトプットが宇宙の発展ということになる。もちろんこの区別は,考える事柄によっては複雑な絡み合いを見せる。物質の理論として,素粒子の理論があるわけで,宇宙論に適用することにより,元素の起源などの説明ができるようになった。
 インフレーション理論は,1980年頃素粒子論的宇宙論と結びついて生まれたモデルである。このモデルでは自発的対称性の破れのさい導入される宇宙項が重要な役割を持つ。宇宙項はアインシュタインが最初に導入したものであり,こういうモデルの「部品」の「再利用」(リサイクル)は現代の理論物理の共通した特色と考えられる。(素粒子論での例:カルツァ-クライン理論、ハドロンの紐モデル--->超弦理論、など。)
 ひとたびシンプルなモデルが提出されると,その基本的性質・概念を用いた多くのモデルが研究される。(観測結果に適合したインフレーションを起こすモデルを造る/既存の素粒子理論モデルのなかにインフレーションを起こす機構を見い出す。)こういう場合に,パラダイム(この定義を,私はよく知らないが)がつくられたという人もいる。特に実験・観測的データの少ない分野ではこういうかたちで理論モデルが進化していくことが多い。
 しかし宇宙論では,観測装置の飛躍的発展(CCDなどの開発,コンピュータによるデータ処理,光学像の補償機構,宇宙空間の観測装置,等々)により,新しい観測結果がまだまだこれから出る。科学技術が科学の発展に貢献するもっともよい例となっている。宇宙論はこれから「精密科学」となって行くだろう。
 それでも,宇宙全体に対する物理というのは,特殊性を持っている。宇宙は一つしかないからである。くりかえし宇宙をつくって実験することなどできない。したがって,人間(中心)原理のように,「“かくあるべき”すがたを説明するというのは,ただいろいろなモデルの整合性を要求するだけ」という,うがった見方を完全に否定することはできない。

5 量子重力

 宇宙論の場合と対照的に、新しい実験/観測結果が出そうな見込みがない。そこらに小さなブラックホールがころがっていればいいのだが。量子力学的に考えると,ブラックホールは輻射を出しているらしい。しかし,重力そのものの完全な量子化は,いかなる意味においても,未だ達成されていない。
 超ミクロなスケールや極端に高いエネルギーの場合、時空概念の根本的見直しが必要であろう。とすれば,時間発展というものの見方も変更させられるのであろうか。量子宇宙論では,宇宙という「現象」の再現性もどう考えてよいのだろうか?量子力学から考えられた,多世界理論などは実験で検証できるのか,またそれは「役に立つ」理論なのか?
 現在別の道筋の考え方で有力なモデルである「ストリング」理論では,ストリングのつくる2次元面上では因果律は厳密に成り立っている。これは必然的か,あるいはわれわれのものの見方(認識論)によるものなのか?量子力学と相対論を超えた「指導原理」が必要だという人もいる。最近,デュアリティーという性質が注目されている。数学の分野でも使えるようなモデルにもその性質があるそうである。これは「原理」というには弱すぎるような気がするが,モデルの性質の有効な分類には違いない。よくわかっていないものに対して,原理からすべて作り上げるのは,相当無理があると思う。(アインシュタインの重力は例外?)

6 まとめと結論

 「モデルを造ること」=「イメージを造ること」。人間の思考様式がモデル,原理,法則をつくる,あるいは「要求する」。(<--ここで初めて言ってるので全然まとめになってない!)
 いずれにしても,???とは何か,という問はそもそも答えがでないことになっている。みんな似た様な認識であっても,こまかくは必ず違っている。だからこそ,たくさんの研究者(ひと)がいて,いろんなことを考えていて面白いのだと思う。

参考文献

中谷宇吉郎 科学の方法 岩波新書青版313
柳瀬睦男  科学の哲学 岩波新書黄版260
池内 了  科学の考え方・学び方 岩波ジュニア新書272
岩波講座現代思想11 精密科学の思想
岩波新・哲学講義5 コスモロジーの闘争
高橋昌一郎 科学哲学のすすめ 丸善
小林道夫  科学哲学  産業図書
野家啓一  科学の哲学 放送大学教育振興会
宮原将平  物理学とはどういう科学か 大月出版
パワーズ  思想としての物理学 青土社
田中正   物理学と自然の哲学 新日本出版社
和田純夫  20世紀の自然観革命 朝日選書578
Tim Maudlin, On the Unification of Physics, The Journal of Philosophy vol. XCIII, No. 3 (March 1996) 129.


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