自然科学における思考 I


ありきたりのはなしだなあ...KS
総合科目: 思考と学問(平成10年度前期;火曜日3・4限 10:20〜11:50)

第四回(5/12) 自然科学における思考 I(自然法則と思考)
         ---素粒子論・宇宙論における”モデル”の進化---
                           理・物理 白石 清

 ここに掲げたものは,いうまでもなく私個人の見解(というほどまとまってもないが)である。というより,私自身の(講義のための)備忘録にほかならない。さらに悪いことに,大部分は誰かの(本の)受け売りである(にもかかわらず,いちいち出典を明らかにはしない)。それでも,みなさんのなにかの興味の元となれば,幸いである。ただし,ここでの話題は,理論物理(素粒子論と宇宙論)に偏っていることに留意せよ。私の視野は非常に狭いと言うことである。

1 理論物理学とは何か

 理論物理学の内容を一言で表すと,「自然現象を<うまく>模したモデルを造り,それを研究すること」である。ここで注意すべきなのは,研究対象は,モデルであって,自然界の現象ではないことである。
 実験物理学では,もちろん自然現象の分析に重きをおかれるわけだが,測定される物理量の,測定条件を記述するパラメータに対する依存性等を当然,主眼として考察するわけである。これらを研究成果としてまとめるには,その数量的関係を数式にあてはめて(簡単な関数でフィットするなどして)考察する。これは,現象を記述するモデルをつくるために必要なこととなる。
(余談: 実験物理学の測定前にも「仮説」としてモデルの基礎的なものが必ず物理屋の頭のなかに存在すると思われる。実際の「仮説」-->「モデル」への進み方は,実験技術(の限界)とも関連してなかなかストレートな道筋にならないことが多い。)
 モデルは,物理量間の関係を与えるだけでは一般には物理的モデルとはみなされない。ひろく言われているところでは,単なる現象論的公式を超えなければならないということである。まず最小限物理のモデルとして要求されるのは,なんらかのその時点で知られていない物理量あるいは知られている物理量間の関係を「予言」できる,あるいは原理的には予言できるということである。もっとも,いちばん消極的な見方では,内挿・外挿によって他の条件での現象が説明できれば,物理モデルといえるかもしれない。
 しかしモデルには,今まで知られていた物理現象の説明をも要求される場合が多い。この要求により,いくつかの別々のモデルの「統一」がなされることも多い。たとえばニュートンの万有引力のモデルがそうである。(月も林檎も地球に引かれて落ちている。)だから,チコ-ケプラー-ニュートンと発展していった力学法則の理解の「流れ」においては,「統一」という観点からすればニュートンが本質的ということになる。こういった統一の要求を自然なものとみなせば,モデルのうち「本質的」なものの内容を「法則」のかたちで抽象できるという一般的に認められた立場となる。
{余談: ガリレオ・ニュートン以前は物理はなく,すべて哲学であった。どういうことかというと,哲学者は宇宙の中のすべてのことを説明しなくてはならないと言う,一種の強迫観念にとらわれていた。このため,現象を分析していくという見方がなおざりにされていたと考えられる。だから実験/観測における条件の明確化から物理が始まったともいえる。}
 自然法則とは,モデルの性質および現象(における物理量)との対応関係を述べたものに他ならない。モデルをつくる際の中心となる考え方といってもよい。要するに,法則よりもモデルが存在することが重要だと私は考える。いわゆる,「究極の法則」というものはなんだろうか。モデル間の優越は,どれだけ便利に使えるかなどの,本来は個人的好みの問題である。2で詳しく述べる。法則を見い出そうとする人間の要求はまったく不思議なものである。

2 モデルの構築と評価

 モデルは現象論的公式化から造られることが多い。しかし、モデルの基本部分がいろいろな意味でしっかりとしたものになっている場合,理論的整備から新しいモデルが造られていく場合もある。
 モデルは「数学的、論理的」に「動く」。ある現象を記述するモデルを純粋に数学的に調べていって,他の現象をも包括的に記述することを見い出すこともありうる。これは,モデル自体が自然現象と切り離すことが出来るにもかかわらず,起こることである。モデルの数学的解析により,モデルをより完成されたものにしていくということで,数学と物理の相互交流が歴史的になされてきた。また,数学的によくわかった部分を「パーツ」として,物理現象を記述するモデルを造るという態度も存在する。(例として,いろいろな物理系において,調和振動子に似た構造を見い出すことなどがあげられる。)こういう態度が「要素還元主義」とか,大げさにいわれることが多い。
 これに関連して,モデル構築の際に「アナロジー」がしばしば用いられることがあげられる。これは人間の思考方法の本質的性質と考えられる。類似のものを見いだし,ひとつの「カテゴリー」の中にいれていくという考え方といってもよい。広い意味での「同定」については,湯川秀樹が数々の著作の中で述べているので,ここではふれない。また,ある程度「抽象的」な「名前」をつけられた「概念」は,いろいろな場面に適応されるたびに,それの持つ意味を広げながら有効に使用されていく。
 そういった(単なる数学的応用部品以上の)ものとして,たとえば「場」の概念など、いろいろな場面で有効な概念が作り出されてきた。このような場合,それを用いたモデルはいろいろな応用を通して,「しっかり」したものになっていく。モデルが「しっかり」しているためには,ある程度数学的に閉じた体系をなしていることが必要である。そうでなければ,広範な分野での使用に耐えられない。ただし,場の理論モデルで有効な手段でも,厳密な数学としては認められないものも多数含んでいる。(量子場の理論における,経路積分等。)
 理論物理では,「指導原理」と呼ばれるものがしばしば登場する。これはいろいろな現象を統一的に理解するための鍵だといわれる。原理は,多くの種類の実験/観測結果のなかから「抽出」されるモデルの中心をなす機構である。何を原理と考えるかには,定まった基準はないと思われる。例えば,量子力学の基本原理は何か?波と粒子の二重性,不確定性関係(,あるいはその他)のうちどれが基本としても,おそらく,量子力学は構成されうるであろう。(ホントか?)
 ”理論の美しさ’についてはアインシュタイン以来強調されてきた。記述の簡潔さは、人間の認識のパターンとして美しさとどうしても結び付くものなのであろう(思考の経済)。いままでの歴史的経験から見ても、有効な概念を元に造られたモデルは、簡潔で美しいものになっている。
 美的感覚をわきに置いておくと,モデルの善し悪しはモデルだけを見ていたのでは、いっさい評価することは不可能である。もちろんそれは、モデルに使われている数学が完全に整備されていることを前提とするが。評価基準としては,より少数の「簡潔な」原理からより多くの物理現象を記述できること,などがある。しかしこのことは,現実に「役にたつ」モデルを選ぶこととは独立である。たとえば地球の回りの人工衛星の運動の解析にはニュートン理論が便利であり,一般相対論を使って計算することはほとんどないだろう。
 モデルの構築にはいろいろな「哲学」が入りうるが(「統一」も哲学であろうか),最終的には評価は哲学にではなく,モデルに下される。数学的に完璧で面白いモデルでも,物理現象の記述とほとんど関係ないモデルは,物理では忘れられていくことになる。

3 理論物理におけるモデルの性質

 ほとんどの物理学者は,「素朴な実在」を認めていて,認識論についてあれこれ反省することは,滅多にない。実在という場合,原子とかクォークとかの「存在」の他,物理量の間の関連の様式についても,素朴に存在を受け入れる。たとえば「現象の再現性」というよく考えると不可思議なことを素朴に受け入れている。
 このことから,「因果関係の存在」がいわゆる基本的なモデルの満たすべき性質,あるいは「法則」として,共通の認識となっている。(AならばBが「いつも」成り立つ,という意味。数学では「いつも」は問題とならない。)さらに,多くのモデルでは,因果律はモデルが「時間発展」のしかたを記述することを要求する。モデルが陽に時間を含まない場合も,因果律と適合するか,あるいは暗に因果律の要請を含んでいる。
 このことはたとえば運動の方程式で「(いわゆる)法則」と「初期条件」を分離することを導く。これはガリレオ・ニュートン以降の物理学の理論モデルのすべてに共通する基本認識となっている。ニュートン以来の物理理論モデルについては、適切な本を見よ。もちろん「最小作用の原理」「変分原理」など一見異なった定式化もあるが,基本的に因果法則からはずれたものではない。因果関係とは,インプットとアウトプットを基本としたものの捉え方の様式から必然のものなのだろう。
 おそらくレベルの異なる話題であるが,物理モデルにおいて「摂動論」の有効性については注意しておく。モデルの解析において,ほとんどすべての場合摂動という手法に頼っている。これはどんなモデルにおいても基本的に「安定な」状態が存在するものとし,そこからのずれとそれによるモデルの振る舞いの変化をインプット・アウトプットとしてとらえるものである。非線形なモデル,「複雑系」の取り扱いにおいてさえ,最終的にインプット・アウトプットとして認識できるものが要求されるとすれば,結局摂動を超えたものというのは本質的にあり得ないのではないだろうか。

4 素粒子理論におけるモデル

 量子論と相対論から生まれた場の量子論は,基本的粒子を記述するのに適したモデルであることは、現在までに確立していると思ってよい。それは主に量子電磁力学(QED)の成功,すなわち,多方面において,定量的に実験と適合する結果を与える、ということによっている。
 自然界に知られている力は、電磁気を含めて4つある。自然な成り行きとして、各々の力に対して,QEDと同じ様なモデルを造ることが考えられた。QEDはゲージ理論の最も素朴なものであることがわかった。そこでそれを拡張したモデルを各々の力のもたらす物理現象にあうようにあてはめる。
 核力のモデルには,最初湯川によって造られたものがあった。クォークモデルの粒子の分類/記述/予言における成功により,クォーク間の力を考えることで,核力をも含む記述が出来るものと信じられた。現在クォーク間の力は、QCDというゲージ理論によりモデル化されている。
 弱い力の理論は電磁気力と統一されたモデルでうまく記述できることがわかった。このモデルの構築の際には,「自発的対称性の破れ」という概念が重要な鍵となった。これは「繰り込み可能性」というモデルの数学的性質の分析から必要となった概念である。しかし,もともとは物性の理論(相転移など)を記述するモデルからの転用でもある。このように理論物理の研究においては,多方面からの情報がモデル構築に必要であり,不可欠であろう。もちろん,現象論との合致が一番重要であろう。そうでなければ弱い力と電磁気の統一の必要性が理解できない。なぜ中性カレントが存在するか,といわれれば,そこにあるからだ、というのが現時点での答えだろう。
 現在標準モデルといわれているものと矛盾した実験結果はえられていない。こういう場合、モデルは完成しているのだろうか?個々のモデルに対称性が付与されているが、それらより大きい対象性を考えたモデルを造ってもよい。そしてその際知られている機構として,「自発的対称性の破れ」をもちいる。そうすると,今度は理論(GUT)が新しいまだ知られていない物理現象(陽子の崩壊)を予言し、実験的にそれを確かめる必要が出てくる。つまり,理論が実験に先行する。新しい実験結果があまり出なくなる分野では,どうしてもこの傾向となる。ただし,GUTの場合,宇宙論的要求もあったので少し複雑な状況であった。いまのところ,GUTモデルを支持する実験・観測結果はひとつもない。
 素粒子理論の話題では,すべての物質と力の理論の統一が必ず強調される。この方向性は、新しい現象がなかなか見つからない昨今,理論物理学を推進させる唯一の,大きな原動力には違いない。ただし,モデルがたぶんにパズル的になり、研究がマッチポンプ式仕事になりがちなことに気をつけるべきである。
 (余談:ノーベル賞物理学者グラショウは毎朝いくつもの素粒子理論のモデルをつくって,夕方までにはそれらをほとんどつぶしてしまうそうである。)
 また前にも述べたように,モデルの数学的構造を拡張していって,新しいモデルを作り上げることもある。純粋に「理論的」要求から、超対称性モデルがつくられた。すくなくとも素粒子の現象論においては,モデルを積極的に支持する実験結果は一切ない。しかしながら,現在手詰まりとなっている種々の問題の解決に,不思議と役に立ちそうなのである。

5 宇宙論におけるモデル

 宇宙論が理論的科学となったのはアインシュタイン以降である。すなわちアインシュタイン方程式により宇宙空間の構造の時間的発展を考えることが出来るようになった。
 インフレーション理論は,1980年頃素粒子論的宇宙論と結びついて生まれたモデルである。このモデルでは自発的対称性の破れのさい導入される宇宙項が重要な役割を持つ。宇宙項はアインシュタインが最初に導入したものであり,こういうモデルの「部品」の「再利用」(リサイクル)は現代の理論物理の共通した特色と考えられる。(素粒子論での例:カルツァ-クライン理論、ハドロンの紐モデル--->超弦理論、など。)
 ひとたびシンプルなモデルが提出されると,その基本的性質・概念を用いた多くのモデルが研究される。(観測結果に適合したインフレーションを起こすモデルを造る/既存の素粒子理論モデルのなかにインフレーションを起こす機構を見い出す。)こういう場合に,パラダイム(この定義を,私はよく知らないが)がつくられたという人もいる。特に実験・観測的データの少ない分野ではこういうかたちで理論モデルが進化していくことが多い。
 しかし宇宙論では,観測装置の飛躍的発展(CCDなどの開発,コンピュータによるデータ処理,光学像の補償機構,宇宙空間の観測装置,等々)により,新しい観測結果がまだまだこれから出る。科学技術が科学の発展に貢献するもっともよい例となっている。宇宙論はこれから「精密科学」となって行くだろう。
 それでも,宇宙全体に対する物理というのは,特殊性を持っている。宇宙は一つしかないからである。人間(中心)原理のように,「”かくあるべき”すがたを説明するというのは,ただいろいろなモデルの整合性を要求するだけ」という,うがった見方を完全に否定することはできない。

6 量子重力

 宇宙論の場合と対照的に、新しい実験/観測結果が出そうな見込みがない。そこらに小さなブラックホールがころがっていればいいのだが。量子力学的に考えると,ブラックホールは輻射を出しているそうです。しかし,重力そのものの完全な量子化は,いかなる意味においても,未だ達成されていません。
 超ミクロなスケールや極端に高いエネルギーの場合、時空概念の根本的見直しが必要であろう。とすれば,時間発展というものの見方も変更させられるのであろうか。量子宇宙論では,宇宙という「現象」の再現性もどう考えてよいのだろうか?量子力学から考えられた,多世界理論などは実験で検証できるのか,またそれは「役に立つ」理論なのか?
 現在別の道筋の考え方で有力なモデルである「ストリング」理論では,ストリングのつくる2次元面上では因果律は厳密に成り立っている。これは必然的か,あるいはわれわれのものの見方(認識論)によるものなのか?量子力学と相対論を超えた「指導原理」が必要だという人もいる。最近,デュアリティーという性質が注目されている。数学の分野でも使えるようなモデルにもその性質があるそうである。これは「原理」というには弱すぎるような気がするが,モデルの性質の有効な分類には違いない。よくわかっていないものに対して,原理からすべて作り上げるのは,相当無理があると思う。(アインシュタインの重力は例外?)
 ペンローズは,人間の「こころ」の働きなども量子重力と関係があると大胆にも予想している。これはちょっとさきばしり過ぎであろう。このたぐいの「原理」から,有用なモデルをつくるにはまだ情報が足り無すぎるか,必要な概念・手法が欠けている。しかし,彼の本を読むとなぜかわくわくするのは,ちょっと危ない傾向かな?

7 理論物理と現代数学

 私はよくわかりません。「数理科学」「数学セミナー」などを読んで下さい。
 Wittenさんはフィールズ賞をとったあとも,次々と数学者も注目する仕事をしているようです。(Seiberg-Witten理論など。)(ちなみに隠れファンのわたしはWittenさんのビデオを2本も買いました。)
 彼のような一流はともかく,数学屋とも物理屋とも判別不可能な人が素粒子論業界に多くて,いいのか悪いのか。どう思いますか。(「おまえよりましだわい」という声が聞こえる・・・)

8 まとめと結論

 「モデルを造ること」=「イメージを造ること」。人間の思考様式がモデル,原理,法則をつくる,あるいは「要求する」。(<--ここで初めて言ってるので全然まとめになってない!)
 いずれにしても,???とは何か、という問はそもそも答えがでないことになっている。みんな似た様な認識であっても,こまかくは必ず違っている。だからこそ,たくさんの研究者(ひと)がいて,いろんなことを考えていて面白いのだと思う。

9 レポート課題(選択)

   1 物理学における「仮説」について調べよ。
 2 今回あまり扱わなかった,物理学における「分析的ものの見方」の有効性について調べよ。
 3 おなじく,「自然の階層性」について調べよ。
   ヒント: 異なるモデルが有効なのは、階層が異なるからか?
   階層の包含性とモデルの性質,構築法については?

参考文献

中谷宇吉郎 科学の方法 岩波新書青版313
柳瀬睦男  科学の哲学 岩波新書黄版260
池内 了  科学の考え方・学び方 岩波ジュニア新書272
岩波講座現代思想11 精密科学の思想
岩波新・哲学講義5 コスモロジーの闘争
高橋昌一郎 科学哲学のすすめ 丸善
小林道夫  科学哲学  産業図書
野家啓一  科学の哲学 放送大学教育振興会
宮原将平  物理学とはどういう科学か 大月出版
パワーズ  思想としての物理学 青土社
田中正   物理学と自然の哲学 新日本出版社
和田純夫  20世紀の自然観革命 朝日選書578
ペンローズ 皇帝の新しい心 みすず書房
ホーキング / ペンローズ(林一 訳) 時空の本質 早川書房
ペンローズ 心は量子で語れるか 講談社
Tim Maudlin, On the Unification of Physics, The Journal of Philosophy vol. XCIII, No. 3 (March 1996) 129.


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