04/26/1998

“真空のエネルギー”と数値積分法


"真空のエネルギー"と数値積分法, ("Vacuum Energy" and Numerical Integration) Kiyoshi Shiraishi, November 1992, 論叢第50号(秋田短期大学), (Ronso No.50 (Akita Junior College)), 55-62.
           “真空のエネルギー”と数値積分法

                              白石 清


 概 要
 二枚の平らな金属板を非常に微小な距離だけ離しておくと,板の間に力が働く。これは板
の間の”真空”が負のエネルギーを持つからである。この論文では,このエネルギーの値を
計算する際に現れる数学的技巧と数値積分との関連を解説する。

 現代物理学の見いだした“真空”のイメージ1は,我々が小中学校で習うような,あるいは
アリストテレス時代のギリシャ自然哲学における(実現されないと考えられていた)“から
っぽ”,“空虚”な空間の概念とは異なり,非常に豊かな内容を持ったものである。本論文
では,“真空”のエネルギーの計算について紹介する。ここで紹介する例は“カシミア効果
(Casimir effect)2”と呼ばれており,実験的にもその存在が確かめられているものである。3
以下では,その計算を操作的に定義し,値を求めてみる。本来この種の計算は高度な数学
的な技巧の裏付けによって確かめられているが,ここでは数値積分との関連に注目し,直感
的な理解を得られるような方法を考えてみよう。
 近現代の物理学の発展により,真空中のいたるところに“場”というものが存在している
ことが明らかとなった。4例えば,荷電粒子どうしが力を及ぼしあうのは,ひとつの荷電粒子
が“場”の状態を変え,もう一方の荷電粒子が“場”を通じて力を受けると解釈される。又
ある種の場の励起状態は光の量子に対応する。この例における場を我々は“電磁場”と呼ん
でいる。つまり電磁場中の“波”が光であり,また状態の変化が電磁気力を伝える。
 さて量子力学によれば,電荷のない空間でも,場は揺らいでいる。何もない真空中では,
無限個の揺らぎが存在している。したがって,真空中の電磁場の揺らぎのエネルギーは無限
個の揺らぎのエネルギーのたし合わせとなり,後で示すように,無限大となる。しかしこの
エネルギーは普遍的に存在するため,我々はそれを感じることも測定することもできない(
あるいは,と解釈する)。しかしながら,真空の状態が変化すれば,エネルギーの増減分は
観測にかかることとなる。ではそのような状況を考えてみよう。

 平らな金属板を2枚,平行に配置してみよう。簡単のため,板は一辺がLの正方形とし,
板の間隔のaはLに比べて非常に小さいものとする。(図1)





                図1
 導体内部に電場が存在しないという条件から,金属板の内側では,板上に節をもつ定常波
(定常波)のみが許される。このため,金属板の存在しないときの“真空”とは状態が変え
られてしまう。
 さて板も何もない真空を“真空1”,板の間の真空を“真空2”として,それぞれの真空
のエネルギー(密度)を計算してみよう。
 量子力学では,波の量子のエネルギーは振動数に比例する。5また,揺らぎの持つエネルギ
ーは“零点振動のエネルギー5”として知られ,大きさはエネルギー量子の半分である。した
がって,”真空1”でのエネルギーは図式的には次のように表される。

   E=(1/2)Σm hνm,       (1)

 ここでhはプランク定数5,νmは揺らぎの波の振動数を表し,和は全ての揺らぎの和を取るこ
とを表している。揺らぎの種類は連続無限個あるので,実際には上の“和”は積分を使って
表される。このエネルギーは明らかに発散する。一方,“真空2”のエネルギーも全く同様
に表されるが,その表現では,板に垂直方向の揺らぎの成分はあるとびとびの“量子数5”を
持ったものしか許されないので,(量子数に関する)無限和を使って表される。しかし,許
される揺らぎはやはり無限個あるので,真空のエネルギーは発散する。
 そこで,“真空2”と“真空1”のエネルギーの差を考えてみる。先にふれたように,こ
のような差だけが物理的観測の対象となる。今の例では,途中の計算は適当な教科書6と本論
文の付録Aを見て頂くこととして,結果のみを記すと次のように(無限大)-(無限大)の
形となる。

  ΔE“=”-(πhc/12)(L2a/a4)(Σn=1 n3-∫0 dx x3),  (2)

 ここで,cは光速度を表す。このままだと,実際には発散しているので,“ ”を付けた。
 発散するところをもっとうまく扱うには,次のように表現する。

  ΔE=-(πhc/12)(L2a/a4)limε→0(Σn=1 n3f(εn)-∫0 dx x3f(εx)),  (3)

 ここで,f(x)は右辺のそれぞれの項が無限大となるのを避けるために導入したもので,

   f(0)=1,   f(∞)=0,                         (4)

を満たし,式(3)ではε→0の極限で求めるエネルギー差ΔEを定義する。(fは滑らか
な(C級の)関数であると仮定する。)
 このΔEの値は,適当なfを定めて,きちんと求めることができる。また,ここではふれな
いが,式(2)の括弧内第一項めだけを解析関数として考えて,複素平面上での解析接続に
よって有限の値を求めることができる。7
 ここではもっとも一般のべき

  Δ(k)≡limε→0(Σn=1 nkf(εn)-∫0 dx xkf(εx)),  (5)

について考えてみよう。
 一見して分かるように,この量はある関数の積分の真の値と,その面積を細かく区分して
計算する際の近似値との誤差と密接な関連が存在する。このようをもっとはっきりさせるた
め,次のような変形を行う。

  Δ(k)=limε→0(1/εk+1)(Σn=1 εF(εn)-∫0 dx F(εx)),  (6)

 ここでF(x)=xkf(x)とした。
 式(6)の括弧の中の第一項に現れる級数は,ちょうど区間幅をεとしたときの台形公式8
によるFの積分値の値であることが分かる。
 もっとも簡単な場合は,fとして

   f(x)=e-x,   (7)

とした場合である。この場合,無限級数は解析的に計算でき,第二項の正確な積分の値も分
かっている。(付録B参照)
 即ち,7

  Σn=1ε(εn)kexp(-εn)=k!+Σn>(k+1)/2(-1)n+k-1Bnε2n/(2n(2n-k-1)!),(8)

 そして7

  ∫0 xkexp(-x) dx=Γ(k+1)=k!,  (9)

であるから,

  Δ(k)=(-1)(k+1)/2B(k+1)/2/(k+1),(kが奇数の場合)(10)

  Δ(k)=0,                  (kが偶数の場合)(11)

というように求まる。ここで はベルヌイの数である。7
 先のエネルギーの表現の中にでてきたΔ(3)はしたがって

  Δ(3)=1/120,                                                  (12)

である。(そして一般にΔ(k)=ζ(-k)であることが分かる。ただしここで
zeta関数ζ(z)はΣn=1n-zを解析接続して得られる関数である。)
 さて,式(5)に戻り,一般の関数fを用いた場合はどうであろうか。一般には級数を解析
的に求めるのはもし可能であるとしても難しい。したがって,数値計算によってΔ(k)を求め
てみることを考えよう。式(5)の後半の積分の値が正確に知られていれば,実際に計算機
でΔ(k)の値を求めることは可能である。(単純な形のfならば文献7などに定積分の値が載っ
ている。)しかしながら,より広範にΔ(k)がfの形に依存するか否かを知りたいし,また(5)
の形のひき算をそのままするとnの大きいところでの誤差の取り扱いも少し考慮しなければ
ならない(ことが実際に計算してみると分かる)。
 そこでここで工夫を施してみよう。
 まず一般に級数は次のように表されるだろう。

  Sin=1ε(εn)kf(εn)=∫0 xkf(x) dx+εk+1Σm=0Cmεm,(13)

 (式(8)と比べてみよ。)
 次に偶数番目の値の和を考える。これを求めるには式(13)においてε→2εの置き換え
を行えば良い。
 結果は

  Sen:evenε(εn)kf(εn)=(1/2)∫0 xkf(x) dx + εk+1Σm=02k+mCmεm,(14)

 となる。また,奇数番目の和は

  So=Si-Sen:oddε(εn)kf(εn)=(1/2)∫0 xkf(x) dx - εk+1Σm=0(2k+m-1)Cmεm,(15)

となることが分かる。
 これらを用いて次のものを作る。

     Sr≡2{rSo+(1-r)Se},       (16) 

ここで

     r=(1/2)(1/(1-2-k-1)),                           (17) 

 こうすることによって,

  Sr-∫0 xkf(x) dx = O(εk+2),(18)

となることがただちに分かる。(読者は実際にεk+2の係数を調べてみることができる。
)したがって,Srを定積分の値の十分正確な近似として用いることができる。それだけで
なく,以下に示すようにΔ(k)を美しい形に書き直すことができる。
 (ちなみに,r=2/3(k=1のときに適応)の場合は,よく知られたシンプソン公式に
よる定積分値である。)
 式(13)-(17)を用いると,(6)は次のように書き直せる。

         Δ(k)=limε→0{Si-Sr}/εk+1

              =limε→0{So+Se-2(rSo+(1-r)Se)}/εk+1

              =limε→0(2r-1){Se-So}/εk+1

              =limε→0(1/(2k+1-1))Σn=1(-1)n(εn)kf(εn)/εk .          (19)

 我々はΔ(k)=limε→0Δ(k,ε)としたとき,有限のεについてΔ(k,ε)をいくつかの
f(x)について求めた。

            1. f(x)=exp(-x)
            2. f(x)=exp(-x2)
            3. f(x)=(1+x6)-1
            
 それぞれの場合,表1のような結果が得られた。

Δ(1,ε)1.2.3.
ε=0.1-6.615*10-2-9.909*10-2-9.865*10-2
ε=0.01-8.166*10-2-8.170*10-2-8.166*10-2
ε=0.001-8.317*10-2-8.350*10-2-8.317*10-2

      正確な値:Δ(1)=-8.333*10-2
Δ(2,ε)1.2.3.
ε=0.1-5.374*10-35.856*10-36.982*10-3
ε=0.01-5.360*10-4-7.279*10-47.141*10-4
ε=0.001-8.932*10-57.140*10-5-7.143*10-5

      正確な値:Δ(2)=0
Δ(3,ε)1.2.3.
ε=0.11.160*10-21.103*10-24.823*10-3
ε=0.018.666*10-38.682*10-38.000*10-3
ε=0.0018.366*10-38.300*10-38.367*10-3

      正確な値:Δ(3)=8.333*10-3           表1  計算で注意するのは,和の中のnの上限は(十分大きくすれば良いが)実際には無限大に はできないことで,ここでは,nの大きい側の裾野の部分で(εn)kf(εn)<εk+1となるところで打ち切っ た。このような単純な切り方にしては,驚くほど手早く正確な値が得られることが分かる。  この結果(表1)から,ε→0の極限でどのf(x)を用いても,Δ(1)=-1/12,Δ(2)=0,Δ(3)=1/120 となるであろうことがみてとれる。また,この結果から,Δ(k)の値はfによらないことが容 易に推察される。  特に,Δ(1)およびΔ(3)の場合で更に1.と3.のケースでは,ε-Δのプロットを外挿 することにより,更に良い近似値を得ることが出来る。和の打ち切り方をきちんとすれば, 他の場合にも良い近似値を外挿法で得られるだろう。  理論的考察はここではしないが,上の結果の他に計算してみると次のようなことが分かる 。まず,f(x)=exp(-xm)の形に取ったときは,mを大きくすればεが非常に小さいときでも速やか にnによる和の値が収束する。また,収束の判定を(εn)kf(εn)<εk+2としても,収束に要する時間は ほとんど変わらず,またよりよいΔ(k)の近似値が得られた。  本論文では,2枚の平行金属板を置いたときの真空のエネルギーの変化量を求める際に現 れる”無限大-無限大”の形式の量について考察した。素粒子論においては,このような ”無限大”のひき算,割り算がいろいろな場面で登場する。計算技法に惑わされないために は,本論文で紹介したようなもっとも素朴で直感的な方法も調べておく価値がある。  実際,物理科学においては(ここで用いたfのような)カット・オフ関数を用いた計算は いたるところに現れるので,物理量がカット・オフによらないことを確かめる作業になれて おくと良いと思う。  台形公式やシンプソン法の式がこのような意外なところに見いだされるということは,数 理物理の奥の深さ(?)を表しているのかも知れない。  さらに計算精度を上げるための,誤差の検討については,別の機会に謙りたい。また,オ イラー・マクローリンの公式との関連や,ベルヌイ数との関係も別の論文で紹介したい。  謝 辞  理化学研究所の比連崎悟先生には本論文の初校を読んでいただき,有益なコメントを頂い た。深く感謝の意を表したい。また,秋田短期大学の小山内幸治助教授,藤田哲雄教授をは じめ商経科の先生方には常日頃から暖かく見守って頂いていることを深く感謝致します。  付 録 A  図1のように板に垂直方向にz軸を取る。まず真空2について考える。x,y方向の波は 何の制限もない(Lは十分大きいと仮定)ので,振動数は実数νxyで表される。  しかしz方向は金属板の性で最低の振動数の単位が存在する。波長は最大2aなので,νz=nc/(2a)  (nは整数)を得る。  真空2のエネルギーは(ピタゴラスの定理を使って,)(発散するので)形式的に   E“=”2(L2/c2n=1-∞xy(h/2)(νx2y2+n2c2/(4a2))1/2,  (A1) と書き表される。(注:先頭の係数2は電磁波の偏光に2通りあることによる。νx,yの積分 範囲が-∞から∞であるのは,波の進む方向が各々2方向あることによる。)  積分を分離して実行してしまいたいので,次の恒等式を使う。 Ad/2={Γ(-d/2)}-10 t-(d+2)/2exp(-At) dt. (A2)  これにより,積分はガウス積分に帰着する。  (注:∫-∞ exp(-tx2)dx=(π/t)1/2.)  積分実行後再び(A2)を使うと   E“=”-(πhc/12)(L2a/a4)Σn=1 n3,  (A3) を得る。真空1ではnを連続変数とみなせば良い。  付 録 B  式(8)を導くには,次の式をεでk回微分すれば良い。 Σn=1 exp(-εn)=1/(eε-1)=1/ε-1/2+Σn=1 (-1)n-1Bnε2n-1/(2n)!,(A3)  (収束条件はReε>1。)  ここでBnはベルヌイ(Bernoulli)の数。詳しくは文献7を見よ。  参考文献(敬称略)   1.広瀬立成・細田昌孝「真空とは何か」講談社ブルーバックス    矢吹治一「真空・物質・エネルギー」サイエンス社   2.H.B.G.Casimir,Proc.Kon.Ned.Akad.Wat.51(1948)793.    最近の解説として    G.Plunien,B.Mullerand W.Greiner,Phys.Rep.134(1986)87.    V.M.Mostepanenko and N.N.Trunov,Sov.Phys.Usp.31(1988)965.   3.M.Y.Sparnaay,Physica 24(1958)751.2.の解説もみよ。   4.都筑卓司「「場」とは何か」講談社ブルーバックス   5.武田暁「素粒子」「場の理論」裳華房   6.C.Itzykson and J.-B.Zuber,“Quantum Field Theory”,McGraw-Hill.   7.森口繁一他『数学公式。』岩波書店及びその中の参考文献   8.たとえば,J.P.キリングベック(有馬・川合訳)「パーソナルコンピューターによ    る量子力学」サイエンス社。ここで扱っている例では,端点での値は0なので「台形    公式」と「中点法」を区別する必要がないことに注意。




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