『子ども・学校・社会』第二部第四章 「かわいいおばあちゃん」 
 

註1 なおその後、栃木県宇都宮市においてランダムダイアリング法により、20代から60代までの女性を対象に調査を行った(2007年1月)。その結果、非該当(会社や男性単身者家庭など)番号を除いた210世帯のうち、58世帯の女性58名から有効回答を得た。「20歳の頃、お年寄りに対してかわいいと感じたことがあるか」という質問に対し、50代前半以前と50代後半以降で「かわいい」と感じる比率に大きな差が見られた(50代前半まで 33名中24名(72.7%)、50代後半以降25名中6名(24.0%)。ここから学校教員以外においてもこのような年齢差が存在し、1970年以前・以後を境として大きな変化が起こっていることがわかった。もっとも50代後半以上の女性においても、「かわいい」と感じたという女性は少数派ではあるが存在しており、それは四方田(2006)による、明治時代の小説における父親に対する「かわいい」という語用例の指摘とも重なる。またここには地域差が存在する可能性もある。井上(2003)の示すように、新語の多くはもともと方言だったものが何らかのきっかけで全国に広まっていったことがわかっている。宇都宮以外の地域における調査も現在企画中である。

註1訂正部に関する註 四方田p. 35で二葉亭四迷の『平凡』から次の文を引用し、それを明治時代から老人に対し「かわいい」と形容する習慣があったことの証としている。
「父は馬鹿だと言うけれど、馬鹿気て見える程無邪気なのが私は可愛ゆい」
 しかし実はこの文は次のような文脈におかれている。

ポチは大様(おおよう)だから、余処(よそ)の犬が自分の食器へ首を突込んだとて、怒(おこ)らない。黙って快く食わせて置く。が、他(ひと)の食うのを見て自分も食気附(しょくきづ)く時がある。其様(そん)な時には例の無邪気で、うッかり側(そば)へ行って一緒に首を突込もうとする。無論先の犬は、馳走になっている身分を忘れて、大(おおい)に怒(いか)って叱付ける。すると、ポチは驚いて飛退(とびの)いて、不思議そうに小首を傾(かし)げて、其ガツガツと食うのを黙って見ている。
 父は馬鹿だと言うけれど、馬鹿気て見える程無邪気なのが私は可愛(かわ)ゆい。尤も後(のち)には悪友の悪感化を受けて、友達と一緒に近所の掃溜(はきだめ)へ首を突込み、鮭(しゃけ)の頭を舐(しゃぶ)ったり、通掛(とおりがか)りの知らん犬と喧嘩したり、屑拾いの風体を怪しんで押取囲(おっとりかこ)んで吠付いたりした事も無いではないが、是れは皆友達を見よう見真似に其の尻馬に騎(の)って、訳も分らずに唯騒ぐので、ポチに些(ち)っとも悪意はない。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000006/files/3310_8291.html インターネット「青空文庫」より引用
もちろんこれでわかるように語り手が「可愛ゆい」と形容しているのは犬のポチであって、ポチを「馬鹿だ」と言う父に対し反論あるいは別の見方を示しているのだ。

註2 このモデルはアメリカでの調査結果をベースにして形成されているが、後の調査から上記の傾向は高齢者に関し、日本を含む複数の国、文化圏で確認されている(Cuddy et al. 2005)Harwood et al. 1996も太平洋沿岸の六の国と地域で高齢者イメージに関して同様の二次元性を報告しているが、そこでは温かみの次元が「賢さ(wise)・親切さ」として成立している。FiskeCuddyらの調査では、「知的である(intelligent)」が有能さの因子と結びついている。この二種類の調査のもう一つの違いは、自分自身の感覚を尋ねている(Harwood et al.)か、それとも社会としてのイメージを尋ねているか(Fiske Cuddyらのグループ)にある。これらの違いが結果の違いをもたらしたのであろう。本章3節で見るように、日本の新しい意味での「かわいさ」は、「賢さ(wise)・親切さ」という次元で本人自身のイメージのもとに成立している。

註3 本文中で言及した調査以外に、吉尾他(1994)、西川他(1994)、大谷他(1995)、今井他 (1998)など様々な調査が行われている。

註4  このコマーシャルは84年から96年の12年間にわたり続き(962月以降は新シリーズ)、「チャーミーグリーンを使うと手をつなぎたくなる」というキャッチフレーズとともに老夫婦が手をつないで散歩したり踊ったりするシーンが含まれていた。

註5「どのように感じることが正しいのか」という判断を行動に反映させる、韓国人学生における規範的傾向は、次の調査からも確認できる。Williams et al. (1997)では、環太平洋の9の国と地域の大学生から見た高齢者とのコミュニケーションについてたずねている。韓国の学生は他の国・地域と比較すると、「高齢者とのコミュニケーションにおいて、もっとも敬意を強要されている感があり、高齢者との心理的な距離を感じかつ、そのコミュニケーションが楽しめない」という結果が出ている。日本は韓国とそれ以外の国々との中間的な値となっている。こうした結果からも韓国の学生は、高齢者との関係における規範性が強く、しかもそれを押しつけられている感覚があることがわかる。
 なおこうした韓国と日本の規範性の違い、メタ感情規則の違いを、本稿では「同じ儒教の伝統」からの逸脱の程度の違いとして解釈しているが、このような解釈が間違っている可能性もある。つまり日本は韓国とは異なり、もともと伝統的に、規則に対し個人の感情を優先するようなメタ感情規則を備えており、それが新しい「かわいい」が機能する基礎となった、という考え方である。たとえばスミス(1974=1983)は、日本の祖先崇拝が中国に比べ、出自よりも私的情愛からきているとしている。これは保田(19961997)の言う状況依存性やさらには川島(1950)から村上他(1979)のイエ社会論の論理として捉えることも可能だろう。
 ただし本節で見るように、日本社会がもともとそうしたメタ感情規則を持っていたとしても、それがさらにより個人的感情を優先する方向に深化していることも確かなので、ここではその問題にはこれ以上立ち入らない。

註6 新語の機能に関して、言語学の側からの研究はまだはじまったばかりのようである。日本における若者語の研究にはたとえば米川(1997)や、辻(1999)などがある。

註7  ウが前提としているのは、感情は人間に普遍的な基礎があるというダーウィニズム的な感情理論であり、言葉が変わっても基礎的な感情は異文化間で翻訳可能であるという考え方である。Ekman and Davidson (1994)を参照。

註8 引用は大辞林(第二版)からだが、広辞苑 (新村 1998)の説明もほぼ同様。広辞苑には「かわいい」では大辞林の1、3、5の意味が載り、「かわゆい」では大辞林の挙げた語義以外に「見るに耐えない」という意味も載せている。

註9〈かわいい〉と〈かわいそう〉の意味が同じ語によって担われるのは、日本語においては他の語でもよく見られる。たとえば上記の「いとしい」の語源「いとほし」には〈不憫だ〉という意味と〈かわいい〉という意味の両方あったし(新村 1998)、その「不憫」にしたって、もともと〈かわいそう・気の毒〉と〈かわい・いとおしい〉という両方の意味があった(松村 1995)。

註10 宮台 (1994)は、ここで言う「そちらの赤ちゃん、かわいいですね」というような、相手との感性の同一性を確認する共感のコミュニケーションを「人格的コミュニケーション」と呼び、近代西欧においては、<公−私>の軸上における<私>に位置づけられる場面においてのみ存在するとしている。一方、日本においてはこうした共感的コミュニケーションが<公>の場面においても必要とされたと論じ、それを近代日本のコミュニケーションの主要な特徴として挙げている(宮台 1994:259-267)
 このような<近代西欧vs.近代日本>という対立の図式は過度の単純化によっており、上記のような例を見れば、日本に限らず、どの社会の<公>の場面においてもありふれていることがわかる。
 一方、まる文字などの使用によって特徴づけられる新人類女性の「かわいい共同性」について、差異化を前提としない、その意味で「無内容な形式性」によるとした議論のほうも、その実証的基盤は怪しいと言わざるをえない。というのも、その世代の「かわいい共同性」が、「まる文字を使用するものと使用しないもの」を区別するという、世代を差異化する示差的意味を持ったことは間違いないからだ。その意味においては、宮台の論じるような団塊世代と新人類世代の差異などは存在しないのである。
 ゆえに、宮台(1994)が「かわいい文化」の特徴として論じた議論は、立脚すべき基盤を失っていることがわかる。

註11 宮台(1994)はこうした差異の曖昧化という「かわいい」の機能に着目し、その機能の延長上に「無害化ツール」という機能を読み込んでいる(宮台 1994:48-50) 。こうした「無害化」はレイプや近親相姦などと言ったリアルであるはずの危険に対しても、妄想的な対応を呼び起こし、「光と闇の対照のぼやけた平坦な世界認識」を産むとしている。藤原(1984)も同様の傾向を「カ・ワ・ユ・イ」の呪術的性格として論じている。こうした一種病的な認識を、「かわいい」という言葉を用いる女性たち一般にあてはめることは、彼女達が「かわいい」といったんひとくくりにした事象を、別の豊かな語彙によって再描写することができるという点を失認している。

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