柳瀬の基本方針

----ですがまだまだ未熟もいいところというのが現実です!----


広島大学教育学部公式ホームページ「教育学部研究者総覧」の記述より(1999/6/17)

研究・活動内容:哲学的思考により、英語教育の論点の発見と整理に努めています。特にウィトゲンシュタインの心と言語の哲学の枠組みでもって、英語教育内容を「言語使用」という点から捉え直そうとしています。その過程で英語教育における言語学理論の位置を相対化できないかと考えています。

メッセージ:「日本の英語教育は昔から批判されているわりには進歩・変革のペースがのろい」と言われています。私はこういった状況は是正されなければならないと思います。そのための努力の一環としてホームーページ「英語教育の哲学的探究」を個人の資格で運営しています。自ら知り得た知見をできるだけ公開し批判を仰ぐ一方、様々な立場の方との開かれた討論を促進しています。ご興味がある方は是非一度ご覧ください。まだまだ私が研究者としても教育者としても発展途上の人間ですが、英語教育をよくしようという志を持ち、辛抱強く勉強することに静かな喜びを感じたいと思う方は是非広島大学教育学部で一緒に勉強しましょう。

宣誓書(1999/4/1に広島大学教育学部へ提出)

「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。」平成11年4月1日 柳瀬陽介(署名)

合理的なシステムに支援された人格主義

人格こそは、社会的存在としての始まりであり、終わることのない追求目標だと思います。私はどんな人でも----頭が良い人でも悪い人でも、地位の高い人でも低い人でも、お金を持った人でも貧乏な人でも、権力をもった人でも無力な人でも----その年齢にふさわしい人格の成熟が見られない人は軽蔑します(だから私は自分という人間に愛着を持っていますが、反面自分を軽蔑しています(^^;))。人格の成熟を目指しての探究の浅深こそは、世の中で最も信頼できる物差しだと思っています。私は基本的に自分も含めてあらゆる人を人格の点から判断しようと努力します。

ですが、一方で人間は弱いものだと思います。どんな人格者も脆いものだと思います。ですから私は合理的なシステムで、互いが互いをチェックし、また励まし合うことが必要だと思います。それぞれが人格者になることを目指すだけではよい社会は実現しないと思います。逆に合理的なシステムだけを整備してもよい社会は到来しないと思います(それで到来するのは窮屈な全体主義社会なのかもしれません)。私は人格を基本に置ながらも、その堕落を合理的なシステムで牽制する社会がベストだと考えています。(1998/3/31)

自由な社会のための努力

私はハイエクに影響を受けています。数々の欠点にもかかわらず、自由な社会こそが生身の人間がもちうる最もまともな社会かとも思います。(善人の指導者による全体主義社会は残念ながら必ずといっていいほど独裁社会へと転じて行きます)。私は自由な社会に賛同します。しかし自由な社会とは、自由奔放で全てが許されている社会ではありません。自由な社会を作り維持するためには、それなりの(一般的)規則と慣習と高い文化的教養が必要です。自由な社会のための努力を忘れないようにしたいと考えています(1998/3/31)

Mission, imagination, vision and communication

自分のmissionを自覚し、柔軟で大胆なimaginationでvisionを描き、それをcommunicationを通じて進化させたいと思います。(1998/3/6)

Mission

日本の英語教育をよりよくすることが私のmissionです。

そのためには何がよい英語教育なのか、といった根本的な問題も避けて通ることはできません。英語教育の問題点を発見し、整理しなければなりません。幸い私は哲学的に考えることが好きなようなので、英語教育に関して根本的、抜本的に考え直して、問題点を発見し整理することを当面の研究上のテーマとしています。(1998/3/9)

Imagination

私の研究活動が、よりよい英語教育のための、分散的で開放的なネットワークの一つの結節点になることを、私のimaginationは描き出しています。

哲学的な抽象的思考は、徹底した具体的な観察があってはじめて活かされます。現実の実践のなかに反映されてはじめて役に立ちます。沢山の人と会い、様々な現実を知り、私が学び、様々な物事と人々を結び付けることによって少しでも世の中のお役に立ちたいと思います。(1998/3/9)

Vision

生きたネットワークによって英語教育をよりよいものにすることが私のvisionです。

学問的には、徹底的に(日本の)英語教育の現実を観察し思考することによってまずは独自性を確立してゆきたいと考えています。英語教育研究者が、言語学者・心理学者・認知科学者・哲学者・コンピュータ科学者、等などの真似をしても、それは誰にも相手にされない二流三流の業績をつくりだすだけなのではないかと考えます。それよりも自分のフィールドを(日本の)英語教育の現実に特化することによって、他の学問分野の研究者の方々と対等な立場で協同研究できるようになれるようにしたいと思います。英語教育というのは複雑な現象です。一人だけで研究を完結させようとするよりか、ゆるやかな結合による研究チームによる様々な専門知識・技術をコーディネイトする柔軟な体制で研究を勧める方が望ましいのではないかと考えています。さらにはその研究成果がネット上で公開されれば現場教師の方にも非常に有益だと思います。(1998/3/9)

Communication

コミュニケーションによって自分の研究を社会の中で進化させて、社会のためになる研究に少しでも近づけるようにしたいと思っています。

自分の研究を公表し、フィードバックを得るコミュニケーションによって、研究を少しでも現実的で優れたものにしたいと考えています。コミュニケーションの支援のためにはコンピュータを最大限に活用したいと思っています。私は文系で、コンピュータの知識もほとんどなく、使っているマシンも古くて安いものですが、それでも"computer for communication and community"という言葉を自分に言い聞かせて、このホームページの試みにも今後とも力を注いでゆきたいと思います。(1998/3/9)

情報洪水時代のネットワーク

情報洪水時代は既に来ていると思います。とにかく情報が多く、毎日が忙しすぎるようにも思えます。ネットワークによる研究チームでないときちんとした研究ができなくなっているのではないか、とも思えます。考えてみれば理系の研究は、チームで行うことがほとんどではないでしょうか。ビジネスでもstrategic allianceが組めないところは淘汰されかねない状況になっています。文系の研究者にとっても「一人でコツコツ」とやっている時代に終わりが訪れかけているのかもしれません。

ネットワークとはいえ、ただ質の低い情報が流通するだけでは、状況はますます悪くなるばかりです。ネットワークのためには、それぞれがmission, imagination, visionに基づいてcore-competenceを培い特化し高度化して、さらにそのcore-competenceの力をcommunicationで伝え、必要なoutsourcingに成功し、strategic allianceを組み、社会へ積極的に働きかけることが必要かとも思います。

私はこういった考えを様々な本や事例から学んだつもりですが、なかでも『トム・ピーターズの経営破壊』(TBSブリタニカ)、『ボランティア----もうひとつの情報社会』(岩波新書)、『ネットワーク型ベンチャー経営論』(ダイヤモンド社)などの本からは多くのことを学んだような気がします。研究者にもこれから研究の「経営」を考え実行することが要求されているのではないかと思います(でもそんな「会社ごっこ」ばかりに興じていると肝心のR&D(研究開発)部門がおろそかになったりして・・・・^^;)。

一貫してfairであることを志したい

Fairでありたいと考えます。そのため積極的に自分の活動を公開し、不特定多数の人の批判を得て、少しずつ部分修正し、進化させるというのを自分というシステムとしたいと思っています。(1998/3/9)

自分の頭で考える

日常生活の素朴な疑問を大切にしようとしています。権威あるといわれる説も自分の頭で考えて納得できるまでは受け入れません。逆にもし日常生活の経験があることをしばしば訴えかけてくるなら、たとえそれが学説として人気がなくても打ち捨てることはしません。このような態度は一歩間違えば単なるひとりよがりになってしまいますが、自分の頭で考えずに権威に頼ることをすれば、自分の中の何か大切なものが崩れてしまうような気がします。研究面で言えば「英語教育研究/英語教育学」という社会的要請に忠実でありたいと思います。教育面で言えば通説・偏見にとらわれず学びの可能性をさぐってゆきたいと思います。(1997/9/15)

自分の言葉で語る

手垢のついた言葉が嫌いです。わかったような気になるだけで、問題を先送りばかりしていることが多いからです。頭だけでなく心と身体でも同時に納得できる言葉を探すこと、その言葉を使って現実を広く深く知ることをめざしています。研究面ではいわゆる英語教育の「業界用語」に気をつけて語るようにしています。教育面では理想と本音を限りなく一致させようとしています。(1997/9/15)

自分の責任で行動する

「よい」あるいは「悪い」と思ったら、批判に耳を傾けフィードバックによる自己修正を図りながらも、断固として自分で責任をもって行動をおこしたいと思っています。「なれあい」こそは私たちの最大の友人であり敵であるのかもしれません。「責任ある生き方」を恐れながらも目指そうとしています。研究面では私の考える英語教育研究をできるだけ公の批判にさらしてゆきたいと思います。教育面では謙虚に学生さんの批判に耳を傾け続けたいと思います。(1997/9/15)

社会と深くかかわりあう

「他の全てがあって自分が成立している」ということが少しずつわかりはじめてきました(これが一気にわかったりするとインチキな新興宗教になってしまう^-^;)。職業生活を通じて、できるだけ他人と社会と深くかかわりあってゆこうと思います。研究面では読者に何か深いものを残せる著作が書ければと思います。教育面では10年か20年後に感謝されるような教師になれればと思います(現状はそれとは程遠い)。(1997/9/15)

哲学的探究による英語教育研究

以前の私は心理言語学の真似をして「実験」論文ばかり書いていました。でもそのうちそういった研究は「意味」「理解」「コミュニケーション」といった概念を通俗的なままにしているから成立しているものだということを痛切に感じるようになりました。「実験」研究に深さと面白さが感じられなくなりました。そういった研究にまず必要なのは概念分析だと思いました。それからソシュールを経てウィトゲンシュタインに至り以来英語教育の現象を哲学的に探究することがはじまりました。手垢のついた言葉にとらわれてしまわないためにも哲学的探究は必要だと思います(「教育研究と実験」に関してもう少し知りたい方はここをクリックしてください)。

哲学とは驚きから始まるとも言います。普段人が当り前と思っていることに「なぜこのようにありえるのだろう」と存在そのものに驚くことが哲学の始まりなのかもしれません。そこからwhyを追求すれば哲学も科学と連続することになります。そのwhyがwhat forとなると科学から工学・経営へと連続することになります。私が哲学的探究を目指すと言うとき、私は同時に科学的、工学的、経営的にもつながるような探究を志しているつもりです。(1997/9/15)

「とは言え、一言で言うならおまえは何をやろうとしているのか?」と聞かれたら今のところこう答えます。「哲学的思考により、英語教育界の論点の発見と整理に努めています」。(1998/3/6)

同時に現場重視!

哲学的な思考を試みるとはいえ、どんな分野でも現場を徹底的に知らなければ駄目だと堅く確信しています。本ばかり読んでいては駄目だとも思います。「哲学者は歩け、人類学者は考えろ」と言いますが、抽象的な思考と具体的なフィールドワークのバランスをうまくとりたいと思います。(1998/3/6)

個性と信頼に基づいたネットワークづくり

学閥や既得権益保護連盟といった結び付きではない、他ならぬあなたと他ならぬ私の多様な形のネットワークづくりを志向しています。別に同窓生であるとか、毎年年賀状を出すとか、いつも一緒に飲んでいるばかりが人間のつながりではないと思います。共有する志さえあれば、たとえわずかなつながりでも、それは大切なネットワークだと思います(単なる筆無精、電話嫌いの自己弁護だったりして^-^;)。(1997/9/15)

できれば「さん」付けで呼びあいたい

 私は人権という点での人間の平等性を尊重します。真理の前での人間の平等性を認めます(=「真理」を所有する存在からすれば人間はみんな馬鹿ということ)。真理探究のための議論には発言者の平等性が確保されるべきだという信念をもっています。ですから肩書きや年齢などを常に意識させるような言葉遣いは研究・教育の場ではできるだけ避けるべきだと考えます。学会発表の質問をするのに最初に所属と名前を言わなければならないのは悪習慣だと思います。もしよかったら研究仲間はお互い「さん」付けで呼びあえたらと考えています。(1997/9/15)

企業との関係

企業との癒着を避ける方針はここに宣言し、今後ともに徹底します。しかし、各種の英語教育関連企業との良質なコミュニケーション・連携がなくては英語教育界の発展はありえません。よりよい英語教育のためにという志と、具体的な企画が一致したら、私は積極的に企業と透明で公正な関係を結びたいと思っています。(1998/3/6)

このホームページの方針

私の研究・教育の概要を公開するこのホームページの目的は、(1)皆さんに英語教育(研究)にもっと関心をもっていただくこと、そしてできれば(2)皆さんから意見・批判・情報をいただいて私が自分の研究・教育を少しでも改善することの二つです。

まだできたばかりですが、ネットによる相互作用の力の大きさには自分自身驚いてもいます。極端な言い方をすればこのホームページを開設した97年9月15日から生活のあり方が変わりました。少しでも英語教育(研究)の向上につながるように試行錯誤を続けてゆきたいと思います。

ある方から教えていただいた文章で、私は「極私的展望台」という言葉を学びました。一人一人の人間が、それぞれの社会参加を通じて得た知見に基づいて、社会への「展望」を他人に伝える役割を担うこと、と私はその言葉を理解しています。もとより私は「展望台」と称することができるほどの知見はもっていませんが、健全な社会づくりのために、私なりの社会参加で得た考えをこのホームページを通じて責任をもって公開してゆきたいと思います。特に私見表明では、私の無意識の偏見が入っているかもしれませんが、それは批判をいただくことによって少しでも正してゆきたいと思います。また、一人でも多くの方が、それぞれの知見をWebで社会のために公開すれば、それぞれのホームページにはそれぞれの偏見が不可避的に入っているとしても、社会全体としては、私たちが健全な見識が得ることがより容易になると考えます。デジタル・テクノロジーは、健全な社会づくりという理想を、私たちにより近いものとすると私は楽観します。(97/11/11)

とはいえ、

毎日は飛ぶように過ぎ去り、理想のほんのわずかですら身近になろうとしません。このように基本方針を公表までして自分自身に言い聞かせているのは自分の焦りの現われなのかもしれません。「理想は低く」とは鶴見俊輔の言葉。「あるべきようは」とは明恵の言葉。さてどうしたものか。(1997/9/15)

 

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