中国地区英語教育学会(2003/6/21)

コミュニケーション能力論における「能力」関連諸概念

広島大学 柳瀬陽介

http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/

(草稿ですので引用はしないでください)


要約:英語教育の目標をコミュニケーション能力の育成とすることは一般に認められているが、その「能力」概念について必ずしも明確な理解がなされているとはいえない。本論文では「能力」関連諸概念を英語文献において検討し、それらの差異と類似性を表現できる訳語を提示する。英語文献においてはcompetence, ability, capacity, capabilityに関して、ある程度の使い分けが成立しているのにもかかわらず、多くの日本語文献ではこれらが一括して「能力」と訳されて、それらの差異が失われた議論がなされている。これらにはそれぞれ「能力」、「力」、「対応力」、「総合力」という訳語を与えることによってそれぞれの用語のニュアンスが伝えられると考えられる。またproficiencyと(language) facultyに対しては、それぞれ「熟達度」、「(言語)機能」という訳語が定着しているが、これらが能力概念と関連していることを示すためには「実力」、「(言語)才力」という訳語が考えられる。

1 はじめに

英語教育の目標の一つを「コミュニケーション能力」とすることには異論が少ないだろうが、この用語が正確に何を意味するかに関しては必ずしも共通理解があるとは言えない。とりわけ「能力」という日本語は安易に使われているのかもしれない。以下に詳しく検討するように、英語文献でのコミュニケーション能力論においてはcompetence, ability, capacity, capability, proficiency, (language) facultyといった用語が、ある程度の使い分けをされながら議論が進められているのだが、日本語文献ではこれらが一括して「能力」と訳されることが多く、用語・概念の差異が無視されたままになっている。

以下、この論文ではこれらの用語の使用の代表例を検討することによって、これらの用語の意味やニュアンスを明らかにし、それらの差異が反映するような訳語を提示することを試みる。訳語の提示においては、これらの用語が関連概念であることをはっきりさせるためどの訳語にも共通要素(漢字)を入れることを原則とする。無論、このような共通要素を持たない訳語群の提示も可能であるが、以下の辞書的定義からしてもこれらの用語が類義語関係にあることは明らかである。よって訳語はこれらの類似性が明らかになるようなものとすることをこの論文では原則とする。

COMPETENCE: the ability to do something well (LDOCE); range of ability or capability (Merriam-Webster)

ABILITY: the state of being able to do something (LDOCE); the quality or state of being able: physical, mental, or legal power to perform: competence in doing (Merriam-Webster)

CAPACITY: someone's ability to do something (LDOCE); mental power, capability, and acumen blended to enable one to grasp ideas, to analyze and judge, and to cope with problems: maximum potential mental ability (Merriam-Webster)

CAPABILITY; the natural ability, skill, or power that makes a machine, person, or organization able to do something, especially something difficult (LDOCE); the quality or state of being capable physically, intellectually, morally, or legally: capacity, ability (Merriam-Webster)

PROFICIENCY: a good standard of ability and skill (LDOCE); the quality or state of being proficient (Merriam-Webster)

FACULTY: a natural ability, such as the ability to see, hear, or think clearly (LDOCE); an inherent capability, power, or function -- now used chiefly of the living body or its parts (Merriam-Webster)

 

2 「能力」関連諸概念の使い分け

2.1 Competence

'Competence'という用語はその後'communicative competence', 'sociolinguistic competence'などなどの連語を作る基となった語であるが、この語が言語論に流通するようになったのは周知の通りChomsky (1965)による。チョムスキーによれば'competence' とは'the speaker-hearer's knowledge of his language'であり、その反映である 'performance (the actual use of language in concrete situations)'(Chomsky 1965: 4)とは峻別された。だが、この用語はHymes (1972)によって変容された。彼によって'competence'とは'Competence is dependent upon both (tacit) knowledge and (ability for) use.'(Hymes 1972: 282)である概念となり、チョムスキー言語論の枠外におかれていた(社会言語学的な意味での)言語使用が含まれ、さらにその言語使用を可能にする'ability'も含まれるようになった。その上で彼は(1)文法的可能性、(2)心理学的・生理学的実現可能性、(3)社会言語学的適切性、(4)遂行実績性を判断できるという意味での'communicative competence'という用語を提示した。Canale and Swain (1980)はこのチョムスキーとハイムズを折衷するような用語法を提案した。ハイムズを受けて彼らは'communicative competence'という用語を継承し、チョムスキーのいう'competence'を'grammatical competence'と称し'sociolinguistic competence'と対比させた。一方、彼らはチョムスキーの慎重な態度を受け継ぎ、'competence'は、'underlying knowledge'だけを指示するものであり、ハイムズの言う'ability for use'は、'competence'には含まれるべきではないと主張している(Canale and Swain 1980: 7)。しかしながら彼らはそれまで'communication strategies'と呼ばれていたものを論証抜きに'strategic competence'と呼び換え(Canale and Swain 1980: 27)、'competence'概念をいささか安易に拡張している。「安易」というのは'communication strategies'は'ability for use'と密接に関連した概念だからである。Canale(1983)はチョムスキーから一層離れ、'competence'を'knowledge and skill'からなるものと規定し、'competence'の獲得を自動車教習になぞらえて意識的な学習とその実践からなされるものとした。

 こういった'competence'概念の拡張と変容をTaylor (1988)は厳しく批判し、チョムスキーの'competence'概念には'ability'概念は含まれておらず、'competence'概念はあくまでも'knowledge'としてとらえるべきとした。実際、Chomsky (1986)でも'knowledge'を'ability'に還元することに対する反論が提示され、'competence'という用語は姿を消し、代わって'knowledge of language'が鍵概念として登場した。これを受けてか、Bachman and Palmer (1996)では従来の'language competence, organizational competence, grammatical competence, textual competence, pragmatic competence, illocutionary (functional) competence, sociolinguistic competence'という用語の'competence'がすべて'knowledge'に置き換えられ、'competence'は'matacognitive strategies'を意味する'strategic competence'だけに残るのみとなった('communicative competence'という用語もBachman(1990)では'communicative language ability'、Bachman and Palmer(1996)では'language ability'と称されるようになった)。

 しかし'competence'概念から'ability'概念をすべて排除するテイラーのチョムスキー解釈はやや極端であると考えられる。第一に、

(1) '[W]e stress again that knowledge of a language involves the implicit ability to understand indefinitely many sentences' (Chomsky 1965: 15)

という記述にも見られるようにチョムスキーの'competence'概念には無限の文を生成・理解することを可能にするという特徴が本質的にあり、これは現在にいたるまで変わらない。第二に'pragmatic competence'という概念には'ability for/to use'という概念が本質的に入らざるを得ないが、この'pragmatic competence'という用語はまさにその意味でチョムスキー自身が時折、'grammatical competence'と対比して使う概念である。

(2) 'Pragmatic competence underlies the ability to use such knowledge along with the conceptual system to achieve certain ends or purposes.' (Chomsky 1980: 59))

ちなみにこの'grammatical competence/pragmatic competence'という二分法は現在もチョムスキーは用いており(Chomsky 2000: 26)、'competence'という用語が消えてしまっているわけではない。

 Lyons (1996) は、こういった'competence'概念の混乱を解消するため、

(3) '[L]inguistic competence is the knowledge of particular languages, by virtue of which knowledge those who have it are able to produce and understand utterances in those languages'. (Lyons 1996:11)

という定義を提唱しているが、ここにも見られるように'competence'は「何かを可能にする知識」と理解するのが最大公約数的解釈であるように思われる。つまり'competence'とは'ability'の要素を含む'knowledge'である。(Chomsky(1986:9-10)の議論は、生理学的メカニズムの損傷によって'ability'は失われるが'knowledge'は無傷のままであるような症例が見られることを示すものであり、'competence'に'ability'概念が入りえないことを主張したものではない)。次の引用は最近のチョムスキーによるものである。

(4) As is agreed on all sides, without innate structure there is no effect of the external environment in language (or other) growth; in particular, without innate structure Jones could not have developed in a specific way from embryo to person, and his language faculty could not have assumed the sate of mature competence that underlies and accounts for Jones's behavior. … Currently, the best theory is that the initial state of the language faculty incorporates certain general principles of language structure, including phonetic and semantic principles, and that the mature state of competence is a generative procedure that assigns structural descriptions to expressions and interacts with the motor and perceptual system and other cognitive systems of the mind/brain to yield semantic and phonetic interpretations of utterances. (Chomsky 2000: 60)

これによると'competence'とは'language faculty'と呼ばれる生得的基盤に基づいて成長するもので、この生成手続きにより人間は言語表現に構造表現を与えることができる(つまりは無限の文を生成・理解できる)となっている。いずれにせよ'competence'は何かを可能にする認知的基盤であるといえる。

 こうしてみると'competence'に'ability'を示唆するような訳語をあてることは決して間違いではなく、むしろ適切であることがわかる。'Competence'は他の議論の基礎となる用語であるので、通例にしたがって'competence'は以下「能力」と訳すことにする。

 ちなみに'competency'という用語であるが、これは通常非加算名詞とされる'competence'に複数概念を持たせたい時に'competence'の代用複数形として用いられることは通常の用法でもしばしば見られることだが、コミュニケーション能力論においてもそのような使用は見られる(Bachman 1990: 87)。Hymes (1972: 278)は単数形・複数形の使い分けとは無関係に'competency'という用語を登場させているが、これは'competence'とまったく同義表現として用いられている。したがって'competency'には専用の訳語は与えることはせず、この語には'competence'同様、「能力」という語をあてるものとする。

2.2 Ability

 続いて'ability'概念の検討に移る。この概念も'competence'同様に「能力」と訳すと先ほどの議論も「能力とは能力の要素を含む知識である」とか、「能力は知識と能力から成り立つとみなすべきか」といった日本語になる。'Ability'には'competence'とは別の訳語が与えられなければならない。

 今までの議論の中でも'ability'は使われてきたが、その使用は'competence'よりもより日常的・一般的な言葉として使われてきた。実際、最初にあげた英英辞典の諸定義からしても、'ability'という語は関連語の上位語(hypernym)である。このことはコミュニケーション能力論における専門的な使用においても当てはまる。バックマンは、

(5) The term ability includes both knowledge or competence and the capability for implementing that competence in language use.   (Bachman 1990: 108)

として、'ability'を'competence'と'capability'の上位語として用いている。

 こうすると'ability'の訳語の日本語も、他の関連語より上位語であるべきとなる。ここでは'ability'の訳語として「力」をあてる。「力」は「能力」にも含まれている語であり、以下に検討する関連概念の訳語も「力」を含むものとし、これらの概念が関連していることを日本語でもよくわかるようにする。'Ability'を「力」とすることによって、チョムスキーやハイムズの論点は「能力は知識と力から構成されるか」と、バックマンのまとめは「『力』は『能力』(つまり『知識』)と'capability'(訳語は後出)から成り立つ」などと、日本語で無理なく表現できる。

 

2.3 Capacity

三番目に検討する語は'capacity'である。これはチョムスキーとウィドウソンがそれぞれ専門的な用語として用いているが、これらには共通の特徴があり、共通の訳語でとらえることができると考えられる。

 最初にチョムスキーによる使用であるが、彼は主に'cognitive capacity'という用語で'capacity'概念を使っている。以下はLT(=Learning Theory)に関する引用の中の'cognitive capacity'の定義部分である。

(6) For any organism O, we can try to discover those cognitive domains D for which the organism O has an interesting LT(O,D) --- that is, an LT(O,D) that does not merely have the structure of trial-and-error learning, generalization along physically given dimensions, induction (in any well-defined sense of this notion), and so on. We might define the "cognitive capacity" of O as the system of domains D for which there is an interesting learning theory LT(O,D) in this sense.  Chomsky (1975: 21)

つまり認知的な'capacity'とは、試行錯誤や一般化あるいは帰納といった動物にも一般的に見られるような学習を超えた、特別の学習する力であり、それはある特定の生物がある特定の領域に対してもつものであるとチョムスキーは論じている。人間という生物の場合、この領域は言語であり、チョムスキーは、人間は言語学習(獲得)において、他の生物には見られない特有の認知的'capacity'を有していると主張する。

 この'capacity'概念はChomsky(1965)にも見られる。ここでチョムスキーは人間による言語という知識獲得は'intrinsic human capacity in its internal organization'を反映するはずであると主張している(Chomsky 1965: 59)。ここでも'capacity'概念は、単なる一般的な「力」(ability)にとどまらない、特殊な力を意味していると考えられる。

ウィドウソンはWiddowson (1983)で'capacity'を重要概念として論考を進めている。彼は'capacity'という用語をそのままの形で、あるいは'general', 'communicative'といった修飾語と共に用いるが、基本的な考えは、この概念はESP(English for Specific Purposes)に典型的に見られるような「限定された能力」(restricted competence)と対立する概念であり、人間の創造的で自由な対応に見られるような力を意味している。

次の引用は、ESPを、基本的に定められたねらい(aim)を正確に達成するという意味で、訓練(training)的要素が強いとした上で、GPE(General Purpose English)は、現時点では明確には定められないが後に生じてくる言語使用の目標(objective)を潜在的に達成するという意味で教育的(educational)であるであるとESPとGPEを対比している。そういった意味で、'restricted competence'とは訓練で育てる力であり、'capacity'とは教育で育てる力であると規定されている。

(7) In ESP, 'purpose' refers to the eventual practical use to which the language will be put in achieving occupational and academic aims. As generally understood, it is essentially, therefore, a training concept: having established as precisely as possible what learners need the language for, one then designs a course which converges on that need. The course is successful to the extent that it provides the learners with the restricted competence they need to meet their requirements. In GPE it is of course not possible to define purpose in this way. Instead it has to be conceived of in educational terms, as a formulation of objectives which will achieve a potential for later practical use. Here it is not a matter of developing a restricted competence to cope with a specified set of tasks, but of developing a general capacity for language use. (Widdowson 1983: 6)

ウィドウソンも'capacity'を「力」や、ここでいう「(限定された)能力」よりも特殊な概念としてとらえているようである。彼によるなら「(限定された)能力」が規則に従う力だけを示すのに対して、'capacity'は人間が状況の変化に対応して自ら自由に規則を活用(exploit)する力を示している。

(8) What the concept of competence does not appear to account for is the ability to create meanings by exploiting the potential inherent in the language for continual modification in response to change. It is this ability that I refer to in using the term 'capacity'. Whereas 'competence' carries with it the implication that behaviour is determined by rule almost as if humans simply responded to linguistic and sociolinguistic control, 'capacity' carries with it the assumption that human beings are in control of their own destiny and exploit the rules at their disposal for their own ends. (Widdowson 1983: 8)

つまりウィドウソンによれば'capacity'とは予め知られた定式から外れた状況に対応するために知識を活用する力である。

(9) Difficulties will arise if a problem needs to be interpreted and redefined before it can fit a formula, or if a formula itself needs to be modified to account for an unforeseen problem. Such situations, which involve not simply the application but the exploitation of knowledge, call for the engagement of capacity. (Widdowson 1983: 8)

ウィドウソンによれば言語使用者は「(限定された)能力」のみならず'capacity'(次の引用では'communicative capacity')を必要とし、その後者の力によって未知なる状況にも対応できるという意味で言語教授は「教育」的色彩を帯びるのである。

(10) There are occupations (airline pilots and seafarers) and occasions in more general language use (polite greeting formulae, for example) which call for little more than the running through of a routine; but generally speaking, effective language use requires the creative exploitation of the meaning potential inherent in language rules -- requires, in other words, what I have called communicative capacity. It is this ability which enables the language user to negotiate the gap between formula and the problem and which has to be provided for in the formulation of pedagogic objectives. (Widdowson 1983: 13)

こういった新しい状況への対応という意味で、単なる規則の適用という力を超えた高次の力を意味するというウィドウソンの'capacity'概念はバックマンにも受け継がれている。

(11) Communicative language ability (CLA) can be described as consisting of both knowledge, or competence, and the capacity for implementing, or executing that competence in appropriate, contextualized communicative language use. (Bachman 1990: 84)

つまりバックマンによれば、「コミュニケーション言語力」とは「能力」(つまり「知識」)とその知識をコンテクストでコミュニケーションにおいて使う'capacity'から構成されているわけである。ここでは「能力」が最も限定された概念であり、'capacity'はそれを使いこなすより高次の概念で、「力」が最も一般的で大きな概念となっている。

 こういった意味合いでの'capacity'には「対応力」といった訳語が考えられる。この訳語は「力」を含む点で、'ability'の関連(下位)概念であることを示し、「対応」という言葉で、特殊な状況に限定された力であることを示している。すなわちチョムスキー的な意味でいえば、「(認知的)対応力」とは、人間がある特殊な領域(典型例として言語学習)において発揮する、一般的力よりも高次の力である。ウィドウソン的な意味では、「(コミュニケーション)対応力」とは、人間が一般的に予知された状況ではない、特殊で一回的なコミュニケーション状況において発揮する、規則を適用する力よりも高次の力である。こういった訳語の区分によって、上のバックマンの規定も「コミュニケーション言語力とは能力(つまり知識)とそれを使う対応力から構成される」と整理することができる。

なおバックマン(1997)においては「才能」という訳語が用いられているが、「才能」とは「生まれつきの能力。また、その働きのすぐれていること」(『小学館スーパーニッポニカ国語大辞典』)と一般に解されている。'Capacity'は取り立てて生得的な概念でもないのでこの訳語はその意味で好ましくない。また「力」の要素を欠くことによって「才能」は他の訳語との関連が見えにくくなるという欠点ももっている。

2.4 Capability

第四に検討する語は'capability'である。Bachman and Palmer (1996)は、McNamara (1996)を参考にしながらと言いつつ、以下の二つを対比する。

(12) Inferences about an individual's capability to perform future tasks or jobs that require the use of language, and

(13) Inferences only about an individual's ability to use language in future tasks or jobs.

前者の'capability'は「強いパフォーマンス仮説」に基づくもので、言語以外の知識や技能あるいはパーソナリティ特性も合わせた概念である。一方、後者の'ability'は「弱いパフォーマンス仮説」に基づくもので、言語にのみ関係した概念である。この比較からすると、'capability'には、諸要因を総合した力といったニュアンスがあるように思われる。

'Competence'を'communicative competence'に大きく拡張するハイムズは

(14) I should take competence as the most general term for the capabilities of a person. (This choice is in the spirit, if at present against the letter, of the concern in linguistic theory for underlying capability.) (Hymes 1972: 282)

という表現で、'capability'をハイムズの意味する'competence'同様、人間の潜在的な広範囲の力を意味する用語として使っている。これはウィドウソンも同様で、

(15) It does not seem to make much sense to rehearse students in particular user roles, much of the subtlety of which is unteachable anyway. It would surely be a more reasonable objective to invest in a more general capability in English for students to exploit as and [sic] the occasion subsequently arises. It is this general capability that needs to be defined as the goal of the subject to be taught, and this then serves as the basis for further learning whereby learners themselves adjust to particular cultural conditions of use, and fine-tune the language so that it is appropriate to particular contexts of use.(Widdowson 2002: 18)

'Capability'を、特定の役割で果たす限られた力ではなく、より一般的で、機会が生じるにつれ活用される力と規定し、この一般的な力が、後々の学習の基礎となり、特定コンテクストへの微調整もこの力をもとになされると規定している。

 こうしてみると'capability'は広範囲に物事を可能にする力であり、「総合力」といった訳語がそのニュアンスを伝えると考えられる。

またこの「総合力」は、これが基になって特殊状況への対応も可能になるという点で「対応力」の概念と類似している。実際、Bachman (1990)は前出の(5)で、Widdowson(1983)に従って'capacity'という用語を使わなければならないところで'capability'を使っている。これはバックマンの単なる勘違いといえるが、逆に言うなら'capacity'と'capability'という概念は勘違いしてしまうほどに類似した概念であるともいえる。その点で両者に「対応力」「総合力」というように似た使用を可能にする訳語を与えることは適切であるといえる。

2.5 Proficiency

'Proficiency'概念に関しては、中村(2002)は「能力」と訳すものの、テスティング関係の文献で「熟達度」という訳語が定着している(バックマン1997、白畑、他 1999)。この概念は専門的用法としては、

(17) Proficiency equals achievement (functions, content, accuracy) plus functional evidence of internalized strategies for creativity expressed in a single global rating of general language ability over a wide range of functions and topics at any given level. (McNamara 1996: 77)

と、達成の度合いを示す語として定義され、辞書的定義も冒頭で確認したように'A good standard of ability and skill; the quality or state of being proficient'となっており、この語は他の語と違って力の程度を示しているから「熟達度」という訳語は的確だともいえる。だが、

(18) The General Proficiency claim is based on the notion that there is some fundamentally indivisible (even if technically analysable) body of knowledge varying in size from individual to individual such that you can rank individuals on the extent of their knowledge (Spolsky 1985: 186)

のように'proficiency'を一種の実体概念としてとらえたりする場合や、

(19) [W]e can draw a distinction between competence and proficiency, the latter term designating something like 'the ability to make use of competence'. (Taylor 1988: 166)

のように'proficiency'を明らかに「力」概念の一種としてとらえる場合もある。こういったニュアンスを出したい場合はあえて定訳の「熟達度」を避け、「実力」という訳語を用いることも考えられる。「実力」という訳語は'proficiency test'の日常的な訳語としての「実力テスト」でも見られる語である。

2.6 Faculty

検討の最後は'faculty'である。この語はほとんどチョムスキーによって'the language faculty'もしくは'the faculty of language (FL)'という表現で用いられるだけである。(4)の引用でも見たように'language faculty'とは、人間の生得的基盤のうち、特に言語獲得に特化したものを指す。'Universal Grammar (UG)'とは'language faculty'(の初期状態)を理論的に表現したものであり(Chomsky 1986)、'competence'(Chomsky 2000: 60)あるいは'I-language' (Chomsky 2000: 73)とは'language faculty'が成長(grow)して比較的安定したものである。

この'the language faculty'は「言語機能」として訳されることが普通であるが(今井 1986、チョムスキー 1989, 1999、田窪、他 1998、中村、他 2001、大津、他 2002)、「言語機能」という日本語は「言葉の働き」という意味での'language function'の定訳であるので、このあたりに混乱が生じやすい。

また'the language function'が'the faculty of language (FL)'と表現されると

(20) It is hard to avoid the conclusion that a part of the human biological endowment is a specialized "language organ," the faculty of language (FL). Its initial state is an expression of the genes, comparable to the initial state of the human visual system, and it appears to be a common human possession to close approximation. (Chomsky 2002: 85)

といった説明がなされるので、「言語器官」という訳語が用いられることもある。だが「言語器官」という訳語は「言語機能」という訳語同様、「生まれながらにして持つ(言語獲得特有の)力」という生得概念と「何かを可能にする」という力概念の二つをうまく表現しきれていない。これら二つの概念をうまく表現できると考えられる訳語の一つは「才力」である。「生まれつきの資質・能力」(『広辞苑』)を表す「才」が生得概念を、'ability'の訳語である「力」が力概念を示すわけである。したがって'the language faculty'および'the faculty of language'は「言語才力」と表すことができる。「言語機能」は定訳として定着している点で、「言語器官」は生物学的特性をよく表現している点でそれぞれ捨て難いが、'the language faculty'をコミュニケーション能力論の中で語るときなどには「言語才力」という訳語は、この概念のニュアンスをよく伝える点で重宝である。

3 まとめ

以上'competence'(および'competency')を「能力」、'ability'を「力」、'capacity'を「対応力」、'capability'を「総合力」、'proficiency'を「実力」、'the language faculty'を「言語才力」と訳すことを提言した。これらの概念には、「'competence'は'the language faculty'が経験を通じて成長したものであるが、それは'ability'の要素を含む知識ともいえ、それが'capacity'によって活用されると'capability'としての'communicative competence'の表れとなり、それは'proficiency'として測定される」といった関係があるが、もし仮にこれらの概念をすべて「能力」と訳してしまったら、その関係も日本語では「能力は言語能力が経験を通じて成長したものであるが、それは能力の要素を含む知識ともいえ、それが能力によって活用されると能力としてのコミュニケーション能力の表れとなり、それは能力として測定される」といった意味不明の文になってしまう。今までに検討してきたように、これらの英語用語にはある程度の使い分けが成立しているわけであるから、日本語訳においてもそれぞれに適切な訳語が与えられるべきだと考えられる。この論文はそのための提言の一つである。

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