09/10 20:44 毎: <戦後補償>処分取り消し控訴審 1審支持、控訴棄却 大阪
毎日新聞ニュース速報
第二次大戦で日本軍軍属として従軍し、障害を負った在日韓国人の鄭商根さん(1996年に死亡)が、戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)に基づく障害年金給付を厚生大臣が却下した処分の取り消しなどを国に求めた訴訟の控訴審判決が10日、大阪高裁であった。井関正裕裁判長は、請求を退けた1審判決を支持し「戸籍条項などを理由に在日韓国人に援護法の適用がないのは立法府の裁量の問題で、法の下の平等に違反するとは言えない」として控訴を棄却した。一方で、「在日韓国人が長年補償対象から除外されているのは由々しき事態で、今後の立法政策で最大限の配慮がなされるべきだ」と政府や国会の対応を強く求めた。鄭さん側は上告の方針。
鄭さんは大戦中、植民地支配をしていた日本の海軍軍属として徴用された。43年12月ごろ、米軍の爆撃を受け、右腕切断などの重傷を負った。戦後は日本に定住。96年2月に死亡し、韓国在住の長男ら2人が訴訟を継承している。
判決は、戦争による国の補償について「国民感情や外交政策などを考慮した立法政策に属する問題」と指摘。「朝鮮半島出身者に対する補償は2国間の外交交渉で解決することになっており、52年に成立した援護法が立法時、戸籍条項を設けて朝鮮半島出身者を援護の対象外にしたことには合理性があった」と述べて憲法には違反しないとした。
そのうえで、日韓請求権協定が65年に結ばれ、韓国内の元日本軍軍属らに一定の補償がされた後も在日韓国人らが救済されていない現状に言及。「植民地支配の下で強制的に徴兵され、戦後一方的に国籍をはく奪されたことや、納税の義務を果たしていることを考えれば、補償についての立法政策は考慮されるべきで、原告の主張は人道的見地からうなずける」と理解を示した。
同訴訟では1審の大阪地裁が95年10月「日本国民との間で重大な差別を生じ違憲の疑いがある」と指摘。別の在日韓国人2人の訴訟で東京高裁が昨年9月、政府、国会に補償措置を取るよう求めた。
【伊藤 正志】
厚生省の菅宜紀・援護課長の話 国側のこれまでの主張が認められたと考えている。今後も援護法の厳正かつ円滑な運用に努めたい。
[1999-09-10-20:44]
09/11 02:16 毎: <戦後補償>大阪高裁判決の指摘 重く受止める必要がある=
毎日新聞ニュース速報
「補償問題は立法政策に属する」として在日韓国人元軍属の補償請求を棄却した10日の大阪高裁判決は、1992年の最高裁判決に沿ったものだ。同判決は、同じ旧植民地出身の台湾人元兵士の訴えに対し、同様の見解を示して、援護法の国籍条項を合憲とした。
しかし、台湾人元兵士に対しては、同訴訟の控訴審で東京高裁が「著しく不平等」と付言したのがきっかけで特別立法ができ、戦死者の遺族らに1人200万円の弔慰金が支払われた。また、韓国在住の軍人・軍属らにも一定の支給があった。
それだけに、「(在日韓国人が)補償対象から除外されているのは由々しき事態であり、立法政策において最大限の配慮がなされるべきだ」とのこの日の大阪高裁判決の指摘は、重く受け止めねばならない。
今回と同様、在日韓国人元軍属2人が補償を求めた訴訟で「援護法の国籍条項などを改廃して在日韓国人にも適用の道を開く立法をするか、行政上の特別措置を取ることが強く望まれる」とした東京高裁判決(昨年9月)、「(補償をしない差別の現状は)違憲の疑い」とした鄭商根さんの1審・大阪地裁判決(95年10月)はともに、政府の姿勢を厳しく指弾した。
いずれも結果的に請求は認めておらず、司法の限界を感じざるを得ないが、別々の裁判所が相次ぎ政府、国会に注文をつけるのは異例だ。下級審は判例に縛られるため踏み込んだ判断はできないが、現実的な解決を促す強い姿勢を示していると言っていいだろう。
鄭さんが1審判決後の96年に無念のうちに亡くなったように、当事者の高齢化は進んでいる。政府や国会は、立法措置による補償を急ぐべきだ。 【伊藤 正志】
[1999-09-11-02:16]
09/11 02:53 毎: <戦後補償>控訴棄却に悔しさをにじませる遺族
毎日新聞ニュース速報
「裁判所が立法や行政に責任を押しつけるなら、日本は法が死んだ国だ」。在日韓国人元軍属の戦後補償請求訴訟。「立法化に最大限の配慮をすべきだ」と理解を示しながらも控訴を棄却した10日の大阪高裁判決に、鄭商根さん(1996年2月に74歳で死去)の訴訟を継承し、韓国・済州島から駆けつけた長男の鄭商鎮さんは、悔しさをにじませた。
肝臓がんに侵されていた鄭商根さんは、小さな書店を経営するかたわら、痛みをこらえて講演活動をこなしていたが、96年2月、ついに入院。1審の大阪地裁で敗訴し、大阪高裁の第1回弁論期日が決まったころだった。ベッドでも闘志は消えなかったが、まもなくしゃべることが出来なくなった。亡くなる数日前に病院を訪れた弁護士に、紙に大きな文字で「決心」と書いて渡した。「このまま死んだりしない。最後まで闘い続けると決心している」という意味だった。
商根さんは韓国で18歳で結婚し、息子の商鎮さんが生まれてすぐ、日本軍属として徴用された。終戦後、商根さんは日本での生活を選び、大阪で家族を持った。商鎮さんは「1人で私を育てた母の苦労は並大抵ではなかった。海女や農作業をしたが、女性の賃金はひどく安かった」と言う。
20代の時、初めて日本の父を訪ね、その姿と貧しい生活にすべてを悟った。「父が戦争で右手を失ったことは知らなかった。とても韓国の家族の面倒まで見る余裕がなかったのでしょう」
3年前に商根さんが亡くなり、弁護士から訴訟のことを知らされた。「父に対する複雑な思いはあったが、自分がこの世にいるのはやはり父のおかげ。新婚の時に父を戦争にとられ、人生を苦労で塗り固めた母のためにも、この償いを求めるべきと思った」
判決後の記者会見で、商鎮さんは「もし今の事態と逆のことが起こったらどうでしょうか。韓国が日本人を戦争に引っ張り出し、何の補償もしないとしたら……。みなさん一度、考えてください」と語った。
【和泉かよ子】
[1999-09-11-02:53]
09/10 20:22 毎: <戦後補償>在日韓国人への一時弔慰金の支払いを検討 政府
毎日新聞ニュース速報
旧日本軍の軍人・軍属だった在日韓国人への戦後補償問題で大阪高裁は10日、元軍属の請求を棄却する判決を出したが、政府は人道的見地から、特例の一時弔慰金を支払う方向で検討を進めている。「戦後問題の処理」に熱意を燃やす野中広務官房長官の指示で、法的裏付けさえ作られれば行政の取り組みは進む見通しだ。ところが、他の戦後補償や外交方針との整合性から政府が特別法を提案するのは難しく、議員立法の動きは与野党を通じて鈍い。「野中構想」の実現には時間がかかりそうだ。
同種の訴訟では、昨年9月に東京高裁も国の立法政策による「最大限の配慮」を求めたが、国会も政府も反応は今ひとつだった。政府が重い腰を上げたのは今年3月、野中長官が衆院内閣委員会で「内閣でも前向きに対処したい」と答弁したのがきっかけだ。
首相直属の外政審議室が検討を始めたが、外国との戦争被害に関する請求権問題は、1952年のサンフランシスコ平和条約によって当事国間で決める国際ルールが確立し、韓国人への補償については、65年の日韓協定で「完全かつ最終的に解決」している。
一方、日本人の旧軍人・軍属への補償を定めた恩給法や遺族援護法には国籍条項があり、朝鮮半島・台湾出身者には適用が認められない。韓国に戻った旧日本軍関係の戦没韓国人には74年、日韓協定に基づき日本が出した経済援助資金から韓国政府が1人30万ウオン(当時のレートで約19万円)を支給した。在日韓国人は、戦後処理の狭間に落ち込んだ形になっていた。
「野中構想」は、国の補償政策や外交取り決めの体系は変えず、一回きりの特別補償を目指している。これは、日中国交回復によって2国間協議ができなくなった台湾の旧日本軍人・軍属の戦没者遺族と重度戦傷病者に対し、87年に議員立法で、一律200万円の特定弔慰金を支給した前例を踏まえた考え方だ。
時間の経過や日本の経済水準に配慮し、在日韓国人への支給額は200万円をかなり上回る見通し。支給対象者は、2〜3000人と見込まれている。
ところが、政府が特別法を提案すると、従来の政策や外交方針を転換することになり、強制連行や従軍慰安婦、外国人被爆者など他の補償問題への波及が避けられない。政府の本音は議員立法による解決だが、在日韓国人については、台湾のケースのような議員の動きもなく、野中長官が事態を打開するため、水面下で議員立法の可能性を探っているのが実状だ。
【伊藤 智永】
[1999-09-10-20:22]