金景錫(NKK)裁判和解成立(^o^)

1.金景錫さんの声明(和解にあたって)

2.金景錫さんの日本鋼管訴訟を支える会の声明

3.和解条項

4.日本鋼管訴訟和解とその意味するもの


04/06 22:05 朝: ◇NKKが韓国人元労働者に410万円の解決金 東京高裁◇

朝日新聞ニュース速報

第2次大戦中、16歳で朝鮮半島から日本の軍需工場に動員され、日本鋼管(NKK)の川崎工場内でリンチを受けて大けがをしたとして、韓国・春川市に住む金景錫(キム・ギョンソク)さん

(72)が1000万円の損害賠償と謝罪を同社に求めた訴訟の控訴審で、会社側が410万円の解決金を支払うことを柱とする和解が6日、東京高裁(鬼頭季郎裁判長)で成立した。和解条項で会社側は「原告の主張を重く受け止め、真摯(しんし)な気持ちを表す」とした。外国人の戦後補償をめぐる裁判で、被害者が生きている間に被告企業側が和解に応じたのは初めて。

この日の和解は、鬼頭裁判長が法廷で和解条項を読み上げる異例の方式がとられた。文面に会社側の直接の謝罪の言葉は盛り込まれなかったが、「互いに日韓の過去の歴史に不幸な一時期があったことを真摯に受け止める」とした。暴行事件をめぐり平行線をたどった双方の主張については、「当時から50年以上経過した今となっては、加害者を特定することは困難」としながらも、会社側は請求額の4割を超える金銭を支払うことを確認した。

金さんは1942年から44年まで、川崎市にあった日本鋼管の製鉄所で働いた。労働争議中に日本人から木刀で殴るなどのリンチを受け、右腕が不自由になったとして91年9月に単独で訴訟を起こした。後に市民団体や弁護士らの支援を得て、強制連行や強制労働が事実だったことの確認や謝罪を求めた。

一審の東京地裁は、同社従業員が暴行に関与した事実は認めたが、動員については「強制連行ではなかった」と判断。民法の除斥期間(20年)が過ぎていることなどを理由に、賠償請求権は消滅したとして、すべての請求を退けていた。

和解成立後に記者会見した金さんは、2週間前にこうとうがんと宣告されたと明かし、「長い道のりだった。8年前、日本語の文法も文字もおぼつかない私が、自分で訴状を書いて出した時の受付の女性の驚いた顔を覚えている。生きている間に和解ができてよかった」と喜んだ。「これで戦後補償問題が解決したとは思っていない。解決の糸口をほぐすためにこれからも頑張りたい」とも話した。

[1999-04-06-22:05]

04/06 20:40 毎: <和解成立>日本に強制連行の金さんと日本鋼管−−東京高裁

毎日新聞ニュース速報

戦時中、日本に強制連行され暴行を受けたとして、韓国在住の金景錫(キムギョンソク)さん(72)が日本鋼管(本社・東京都)に1000万円の損害賠償や謝罪を求めた訴訟の和解が6日、東京高裁(鬼頭季郎裁判長)で成立した。1審で敗訴した金さんに対して、日本鋼管が「暴行事件で負傷したことを重く受け止め」て、410万円の解決金を支払う。戦後補償をめぐる訴訟の和解は、1997年9月に新日本製鉄が元徴用工の韓国人遺族11人に弔慰金計2005万円を支払った裁判外の和解に次いで2件目。

和解条項によると、日本鋼管は「(暴行事件から)50年以上経過し、加害者を特定することは困難だが、障害を持ちながら、永きにわたり苦労したことに真摯(しんし)な気持ちを表する」という理由から解決金を支払う。

和解交渉は昨年9月、日本鋼管が金さんの要請を受け入れて始まった。56年前の暴行事件に和解金を払うこととについて、日本鋼管は「互いの主張には隔たりがあるものの、裁判の長期化に加え、金氏が高齢であるこも考慮し、和解することにした」とコメントした。

東京地裁判決(97年5月)によると、同社川崎製鉄所で働いていた金さんは43年4月、朝鮮人労働者約800人が作業を拒否した際に首謀者として警官や従業員ら数人に長時間天井につるされ、木刀などで殴られ、右肩などに後遺症が残った。判決は、暴行について「日本鋼管が従業員の手を通じて関与した」と認定したが、賠償請求権が消滅する20年の期間(除斥期間)を過ぎていると判断して、金さんの請求を棄却していた。

和解後の6日夕、東京・霞が関の司法記者クラブで会見した金さんは「戦後補償の解決を模索するシャッターが少しだけ開けられた。これが閉められないようにしてほしい」と話した。

[1999-04-06-20:40]

04/06 20:34 共: 強制連行訴訟で和解 NKKが410万円 原告本人へ支払い

共同通信ニュース速報

第二次世界大戦中に日本に強制連行され、就労先の日本鋼管(NKK、本社東京)川崎製鋼所で暴行を受けたなどとして、韓国・春川在住の金景錫(キム・キョンソク)さん(72)がNKKに一千万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟が六日、東京高裁での控訴審で、同社が四百十万円を支払うことで和解が成立した。      

一連の戦後補償をめぐる訴訟で、企業が原告本人に金銭を支払うのは初めて。これまで企業側に賠償を命じた判決はなく、和解成立は新日本製鉄が一九九七年九月、死亡した韓国人徴用工の遺族に慰霊金などを出した例に続き二件目。国内各地での他の訴訟にも影響

を与えそうだ。                       

和解条項で、NKK側は従来通り法的責任は認めず「金さんが障害を持ち長く苦労したことに、会社は真摯(しんし)な気持ちを表す」と表明。また金さん側は「NKKの責任を問うことは法的に困難との認識を前提にするもやむを得ない」とした。       

金さん側は「賠償請求額の四割以上の和解金であり、実質は損害賠償金と受け止めている」と評価している。          

この訴訟は九一年九月に起こされ、私企業に強制連行や強制労働の責任を問う初の裁判としても注目された。          

九七年五月の一審東京地裁判決は、金さんらの動員で朝鮮総督府などの「相当積極的なあっせんがあった」としたが「当局の強制とまではいえない」と強制連行を否定。    

金さんが右肩骨折などの暴行を受けたことは認めたものの、損害賠償の請求権は既に時効などで消滅していると判断、請求を棄却した。 

一審判決によると、金さんは一九四二年十月に日本に連れてこられ、NKK川崎製鋼所でクレーンの運転などに従事。朝鮮人が起こしたストライキの首謀者と疑われ、天井からつり下げられ、木刀で殴られるなどの拷問を受けた。四四年に帰国したが、後遺症がある

。                             

[1999-04-06-20:34]



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