12/10 20:06 毎: <花岡事件訴訟>被害者ら全面敗訴 賠償請求を棄却−−東京地裁

毎日新聞ニュース速報

第二次大戦末期、秋田県大館市の花岡鉱山に強制連行された中国人が決起し多数の犠牲者を出した花岡事件(1945年6〜7月)の遺族や被害に遭った生存者計11人が雇用主の鹿島組(現・鹿島)に計6050万円の損害賠償を求めた訴訟で東京地裁は10日、請求を棄却した。園部秀穂裁判長は「最も帰国の遅い原告でも48年に強制連行状態が終了しており、証拠調べをするまでもなく民法上の不法行為に基づく請求は除斥期間(20年)の経過によって排斥される」と述べた。中国の戦争被害者が起こしたの戦後補償訴訟で、全面敗訴となった原告側は11日にも控訴する。

原告側は、鹿島組が労働者の健康維持に必要な食料の支給や伝染病予防の衛生管理などの安全配慮義務に違反したと主張していた。判決は、安全配慮義務の判断に際して「労働者が使用者の指揮監督の下に労務に服すべき明らかな契約関係があることを要する」と厳しい条件をつけ「本件は強制連行、強制労働という支配の事実にすぎず、安全配慮義務を基礎づけるものとは言えない」と、強制労働などに安全配慮義務は及ばないとの見解を示した。

花岡事件では、過酷な労働に耐えかねて蜂起した中国人が3日間で100人余も鹿島組の従業員や警官らに虐殺された。45年9月までに花岡鉱山に強制連行された986人のうち418人が病気などで死亡したとされる。48年に鹿島組従業員3人がBC級戦犯として絞首刑が言い渡された(後に終身刑などに減刑)。

鹿島は90年、被害者との共同発表の中で企業責任を認めて謝罪したが、個人補償を拒否したため被害者らは95年6月に提訴。鹿島側は「戦争賠償請求の放棄を宣言した日中共同声明により原告の請求権も放棄された」などと反論していた。

鹿島広報室の話 花岡のできごとは戦争という特殊、異常な状況で起きた中国の方々にとって不幸なできごとだった。判決に従いたい。

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「歴史的な事実から目をそむけた不当な判決」。花岡事件の判決のために来日した耿諄(ケンツェン)さん(83)ら中国人被害者・遺族5人は判決後の記者会見で怒りを募らせた。弁護団の新美隆弁護士も「重大な歴史的事件が、わずか4枚の判決要旨で片付けられた」と、一方的に審理を打ち切ったうえで請求を退けた裁判所の姿勢を批判した。

耿さんは「人道に反する罪には時効はない。日本の司法は公正、公平な立場を損ない、国際上の信用を失った」と悔しさで言葉を詰まらせながら声明文を読み上げ「東京法院失公道 戦犯鹿島罪不容」(東京地裁は公正を失った。鹿島の罪は許さない)と書いた紙を掲げた。

弁護団によると戦後補償訴訟は全国で28件起きているが、被害者ら本人が法廷で被害体験を陳述せずに判決を言い渡したケースは地裁段階では2件目という。

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[1997-12-10-20:06]



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