02/23 12:45 毎: <BC級戦犯>解説 旧植民地出身者への国の戦後補償依然進まず
毎日新聞ニュース速報
今回の判決は「韓国人元BC級戦犯訴訟」判決(1998年、東京高裁)など他の旧植民地出身者が国家補償や損害賠償を求めた訴訟と同様に、請求は棄却したが国に救済を急ぐよう意見を付けた。しかし、司法に繰り返し要請されながら、旧植民地出身者への国の抜本的な戦後補償は依然として進んでいない。
第二次大戦中、日本に軍人として採用され従軍した台湾人戦死者の遺族や負傷者が日本に国家補償を求めた訴訟では、東京高裁は85年の判決で法律がないことを理由に請求は棄却しつつ「台湾人元日本兵らが日本人に比べ著しい不利益を受けていることは明らか」として補償立法を求めた。
この東京高裁判決を受け、国は87年に「台湾住民である戦没者遺族等に対する弔慰金等に関する法律」、88年に「特定弔慰金等の支給の実施に関する法律」を制定。日本の軍人・軍属として戦没したり戦傷病者になった台湾住民には、一人200万円の弔慰金が支給されるようになった。
しかし、林さんは戦没者、戦傷病者ではないため対象外。また韓国人元BC級戦犯による損害賠償請求訴訟もこれまでに3件起こされたが、いずれも補償立法がないとして棄却されている。
戦後55年以上が経過し、当事者の高齢化は進む。国の対応の不十分さを指摘した判決の意味は重い。一刻も早い包括的な補償立法が求められている。
【桐山 友一】
[2001-02-23-12:45]
02/23 12:45 毎: <BC級戦犯>国会に早期の補償立法促す、請求は棄却 宮崎
毎日新聞ニュース速報
第二次大戦中に旧日本陸軍の捕虜収容所で監視員(軍属)として勤務し、戦後BC級戦犯として服役した台湾出身の林水木(みき)さん(75)=宮崎県佐土原町=が国を相手に約11年間の拘束に対する2500万円の補償と謝罪などを求めた訴訟の判決が23日、宮崎地裁であった。横山秀憲裁判長は「補償を定める立法が存在しない以上、具体的な救済は困難」として請求を棄却したが「原告の心情は理解でき、適切な立法措置を期待する」と意見を述べ、国会に早期の補償立法を促した。
朝鮮半島出身の元BC級戦犯と遺族が損害賠償などを国に求めた訴訟では、東京高裁が1998年、請求は棄却したものの補償立法を国会に求める意見を付けており、これに準じた判決となった。
林さん側は「植民地支配下で『皇民化』教育を受けた。絶対服従が義務づけられた上官の命令に従って戦犯となり、国の戦争責任を肩代わりさせられた」と主張。(1)服役は台湾が当時植民地だったことによる「特別の犠牲」。公共のために特別の犠牲を受けた場合は憲法29条3項(財産権の補償)に基づき補償請求できる(2)立法がなくても「条理(正義、公平の普遍的な原理)」により国は補償する義務がある――と訴えた。
これに対し国側は「戦争で受けた損害を補償する法律を作るかどうかは国会の裁量」と反論した。
判決で横山裁判長は「戦争による犠牲の補償は憲法の想定外」とし、条理に基づく補償についても「憲法からは導かれない」と退けた。しかし「原告は服役中、筆舌に尽くしがたい辛苦を味わった。遠因は日本の台湾植民地化政策にあることは否定できない」とし「補償立法のらち外に置かれ不満を持った心情は理解できる」と林さんの気持ちを酌んだ。
また、国が補償立法をしなかったことの違法確認請求は「違法確認をしても、立法府に補償立法の義務を課すものではなく、訴えの利益がない」として訴えを却下した。
判決などによると、林さんはボルネオ島(現インドネシア)で、42年7月〜45年6月は旧陸軍の捕虜監視員として、45年6月〜46年1月は軍人として勤務。46年1月、ラブワン島(現マレーシア)での軍事法廷で監視員だった時の行動を問われ「捕虜を虐待した」として禁固15年の判決を受けた。56年8月に仮釈放された後は日本で生活し、72年に日本国籍を取得した。
日本人の元BC級戦犯は軍人であれば恩給の対象で、国家補償が認められる。林さんは74年と84年に軍人恩給の支給を国に請求したが、軍人在職年数が満たないため棄却された。「日本のために働き戦犯となったのに何の補償もないのはおかしい」と98年、台湾出身の元BC級戦犯としては初めて国家補償を求め提訴した。 【桐山 友一】
林水木さんの話 判決は国の利益を優先したもので不当だ。当時の悲惨な状況を全く理解していない。控訴したいと思っている。
外務省中国課の話 判決文を見ていないので具体的なコメントは差し控えたいが、これまでの国の主張が認められた判決と思う。
BC級戦犯 戦時の禁止事項などを定めた国際戦争法規違反(B級犯罪)と、戦地での大量殺害や捕虜虐待(C級犯罪)に問われ、第二次大戦の戦勝国が開いた軍事裁判で有罪になった被告。共通部分が多く、いずれかに該当する被告をBC級戦犯と総称する。戦争の計画や開始にかかわったA級戦犯とは区別される。
[2001-02-23-12:45]
02/23 10:58 共: 国家補償請求を棄却 台湾出身元軍属に宮崎地裁
共同通信ニュース速報
第二次世界大戦中、ボルネオ(カリマンタン)で捕虜の監視など旧日本軍の軍属として働いたのにBC級戦犯として処罰され、長期間身柄を拘束されたなどとして、台湾出身の林水木さん(75)=宮崎県佐土原町東上那珂=が国に二千五百万円の補償などを求めた訴訟の判決が二十三日、宮崎地裁で言い渡された。横山秀憲裁判長は、請求を棄却した。
判決理由で横山裁判長は「憲法には、戦争被害者に対する謝罪及び補償などについて、直接言及した規定がない」とした。
林さんは一九七二年に日本国籍を取得したが、台湾出身のBC級戦犯が戦後補償の訴訟を起こしたのは初めて。
訴えによると、林さんは一九四二年九月、ボルネオの捕虜監視員として配属されたが、終戦後、捕虜虐待の責任を問われ旧連合国からBC級戦犯として裁かれ、約十一年間を巣鴨刑務所などで過ごし
た。
原告側は、戦争犯罪人として責任を問われ、日本の公共の福祉のために特別の犠牲を強いられた損失について、正義公平の原則という条理によって国家補償が認められるべきだなどと主張した。
(了)
[2001-02-23-10:58]
02/23 08:26 共: 「日本は罪を認めて」 台湾出身で元軍属の林さん
共同通信ニュース速報
毎年十二月の第一週に国が主催する啓発行事「人権週間」。法務局に掲げてある「差別はやめましょう」などの標語を見るたびに、国に補償などを求めてきた元軍属の林水木さん(75)は「そんなのうそだ」と思い続けてきた。
第二次世界大戦中、上官の命令で捕虜監視をしたらいつの間にか戦犯に。「日本人と同じように巣鴨刑務所に入れられたのに、軍人恩給でも同じ待遇になっていない。それは日本が(戦争の)罪を認めていないことだ」と憤る。
幼いころに受けた日本の徹底した皇民化教育でいまや台湾語はほとんど話せない。一九七二年に日本国籍を取得したのも日本語の方が通じるからだ。しかし、その後、厳しい現実を目の当たりにする。
八四年、旧軍人普通恩給を請求したが、国は「(林さんが)拘束されたのは旧軍人時代ではなく軍属時代の行為が理由」として請求を棄却。異議申し立ても認められなかった。歴代の首相にも嘆願の手紙を書いたが返事は来なかった。
戦犯としての刑期を終え、台湾に戻った仲間が地元で白眼視されていると聞いた。当時は、かつて中国で抗日戦線を張った蒋介石時代。出生地・台湾に愛着はあるが、いまさら帰ることはできないと思ったという。
「台湾に迷惑を掛け、日本に裏切られて私には帰る祖国がない」と林さんは肩を落とす。
これまでの戦後補償訴訟では「立法政策の問題」として政治にげたを預ける判決が多い。林さんは「三権分立なのにこれでは罪のなすり付け合いだ。私の人生は何だったのか。国は私が服役したことをきちんと評価してほしい」と訴えた。
(了)
[2001-02-23-08:26]