秋田経済法科大学学報 1992年 No. 53 p. 89

私の学生時代

困ったもんだ

商経科講師 白石 清

 『私の学生時代』というテーマで書いてほしいと依頼があり,その参考にと,前年と今年度の学報をいただいた。皆さんのお書きにになった文章を拝見すると,それぞれものすごい経歴と思想を持っていらっしゃる。これは辞退したものかとも思ったが,『悪い見本』も時々は必要かな,と勝手に思い開き直って私の薄っぺらな過去を振り返ることにする。取りとめもない話なので,御用とお急ぎの方は次ページに進まれることをお勧めする。

 私は小学校のころから,将来は理科系の道に進むものだとぼんやりと思っていた。というよりも国語や社会科などはとても学問に通ずるものとは思っていなかった(実は今でも・・・・・・)。で,大学を選ぶときは,出た後のことなど考えず,まあ手近な理系の学部にでも行くか,などと気楽に構えていた。結局,公立のT大の理学部物理学科に入学した(蛇足:私立W大をけったことをいまだに『過去の栄光』としてひそかに自慢している情けない私)。

 学科を決めたのも,呑気なものであった。高校のときは化学が一番得意科目だったが,物理の成績ではどうしても学年のトップになれなかった。この悔しさから,というか,まだ勉強することがいっぱいあるにちがいない,と思ったからか,とにかく物理学科に入ってしまった(もう一つの理由は,星を見るのが好きだったので天文学に進みたかったのだが,当時は天文関係の学科は<難関以外>殆どなかった)。

 んでもって大学に入ったのはいいのだが,何を思ったか野球をやりたくなった。それで準硬式野球部(B球を使う軟式野球)に入ったのだが,結局ずっと補欠であった(ま,小学校から高校まで体育は5段階の3以上取ったことがないのだからしょうがないか)。

 大学1,2年はそんなわけで全く勉強せず,野球と麻雀ばかりやっていた。しかしそれでも同級の経済学部の連中よりはよっぽどまじめであった。彼らの授業の数はぼくらの半分もなかったと思う。しかも我らが大学では,経済学部の学生は卒論すら書く必要がないのだ!(ここは如何?)。全く経済学部ってのは何を勉強しているのかと思った(実は今でも・・・)。

 3年になって,このままじゃいかんと思って,野球部を休んで勉強に専念した。といってもあまり物理はやらずに工学部の授業とかをたくさん取っていた(結果として卒業時には三百単位近く取っていた−>これも自慢話!)。

 4年の終わりころになっても全く就職何ぞ考えていなかった。私が次男坊であったということもあるが,全く自分でもあきれるほど呑気というか,何も考えていなかった(実は今でも・・・)。私はピーターパン症候群?の先駆的存在である(もちろん,今でも,である。自慢にはならん)。スペースが足りないので後ははしょるが,それでもって大学に残り,定職もなく?年も過ごし,やっと一九九一年九月にここに拾って頂いたわけである。

 とここまであきもせずに(失礼)読まれた方は,お分かりになると思うが,私のこれまでは(今でも)全くいきあたりばったり happy-go-lucky, なのである。であるから,私は,若い頃にええ加減にやっているとこんなしょうもないやつになってしまうという,生きた『見本』なのである。ここの学生諸君はこうならないようにしっかりしてほしい!