主要論文


「純粋さという戦略」 京都大学博士学位論文(2001)

(第二章は「社会学評論」に、第三章は「ソシオロジ」に発表した論文をそれぞれ大幅に書き直したものである)

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「かわいいおばあちゃん―女子大生の「かわいい」の語法に見られる、ライフコース最終期に関する社会の葛藤する価値観の止揚」
『研究紀要 教育・文化・社会』7,25-43 : 2000

本稿では、「かわいい老人」という概念が、若い女性から社会全体に浸透しつつある原因を、その概念が持つ社会的機能から導き出そうと試みている。その機能とは、高齢者に期待される、互いに相容れない社会的役割――例えば「賢者」と「厄介者」――の葛藤の解決である。大学生女子を対象に行った、「かわいい男性」「かわいい中年女性」「かわいい老人」などのイメージ調査により、「かわいい老人」像がひとそれぞれに多様でありながら、しかしそのどれもが上記の葛藤の解決につながっていることを確認した。それは、おだやかでほのぼのとした、周囲に心の安寧をもたらす老人の姿であり、また、「かわいさ」という仮の姿に身を委ねることによって、その秘められた知を伝える老人の姿であり、あるいはまた、年齢というハンディキャップを乗り越え、若さを保ち続ける老人の姿、などである。また彼女らにとり「かわいい」という感情は、対象の年齢性別を問わず、その人間性の発露に出会った時に感じられる思いであり、老化の進行がそうした人間性の発露と結びつく場合にも、やはり上記の葛藤解決と関係していることがわかった。

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真面目さという戦略――授業予復習と受験勉強に見られる性差
『研究紀要 教育・文化・社会』6, 15-30: 1999

(要旨)

本稿はまず言語学の先行研究の結果から次の事を確認する。すなわち、現行の意味での「真面目さ」が語用論的にいって「本気」と「規範的」の意味に分類されることである。本稿で主題として扱う「進学校に通う女子学生の真面目さ」は、後者の「規範的」という意味で用いられていることになる。
さらに、この「規範的」という意味での「真面目さ」は、「誠実さ」という言葉との対において、特定の集団における規範がより普遍的な視点から相対化されているときにもちいられることを確認した。
これにより女子学生の「真面目さ」は、「規範的」対「目的合理的」、「内部価値準拠」対「外部価値準拠」という二つの指標によって、適切かつ客観的に測定することが可能となった。この二つの変数を具体的に表現する項目として、本稿では「授業への打ち込み」と「受験勉強への打ち込み」に関する質問を中心的に取り上げた。なぜなら、学校全体として大学受験合格を勉強の主たる目的とする進学校の生徒にとり、学校で行われる授業はより、「内部価値準拠」で「規範的」な手段であり、学校とは独自に行われる受験勉強はより「外部価値準拠」で「目的合理的」な手段であるといえるからである。
このような理論的準備により、本稿は「進学校女子学生の真面目さ」の実態をケーススタディによって確認している。具体的には、女子は授業にさえ打ち込んでいれば、学校生活を充実したものと感じるのに対し、男子にとっては、受験勉強のほうがより重要であること。また、男子が意識的で実質的な目標がないと勉強に打ち込みづらく、また模擬試験などの外部的指標を、勉強の励みとしているのに対し、女子はそうでないこと、が確認された。ここから進学校女子がより「内部価値準拠」で「規範的」である、すなわちより「真面目である」ことが確認されたことになる。
さらに、女子の「真面目さ」が戦略的意味を持ち、彼/彼女らのその戦略の違いは、男女の地理的/社会的移動量の違いに還元されるであろうことを本稿の結果は示唆している。つまり現在の日本社会において、大学進学する女子の地理的/社会的移動量がたまたま男子よりも小さいため、彼女たちにとって「真面目さ」の無意識的戦略がこの社会においてたまたま有効となり、ヴェブレンの考えるような選択的過程によって伝播・継承されたのであろう、ということである。

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スミス、マルクス、スペンサー、デュルケームによる社会的分業の原因分析―ポジティヴ・フィードバックの発見
『ソシオロジ』132: 3-20 1998

(要旨)

本稿は、デュルケームとスペンサーの理論の比較、マルクスとデュルケームの理論の比較といった先行研究を下敷きに、前者の先行研究が見落とした前期から中期へのデュルケームの分業論の変化や、後者の先行研究が見落としたマルクス、デュルケームの理論の動態的性格に着目している。その結果、スミスの分業論との比較において、この三人の理論が
1)分業の原因と結果の間のポジティヴ・フィードバックを重視していること
2)個人と社会を単純な二項対立的にではなく、そこに媒介項を含めた三項対立構造で捉えていること、
といった共通点があることがわかった。
1)に関しては、いわゆる社会進化論のよってたつ論拠を端的に示している点で重要である。
2)は、通例、経済還元論、個人還元論、社会還元論としてそれぞれ分類される、マルクス、スペンサー、デュルケームの理論が、実は同一の構造をもっていたことを示している。

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マルクス、スペンサー、デュルケームによる社会的分業の分析―否定的結果編
『京都大学教育学部紀要』44, 372-384 :1998

マルクス、スペンサー、デュルケームが、社会的分業がもたらす事態そのものについては、ほぼ共通の認識をしながらも、収斂し得ない別々の立場に立つがゆえに、社会的分業について三者三様の評価と、三者三様の問題解決手段の提示を行ったことを本稿は明らかにする。社会的分業は、相互依存、社会的葛藤と、経済的生産力上昇をもたらす。この点に関し、三者の全てが同意している。しかし彼らは、人間の相互依存、社会的葛藤、個人への社会的コントロールについて、異なる立場と価値観をとり、そうした立場・価値観の違いこそが、彼らの「理論」の違いとなっている。ゆえに、これら異なる価値観に基づく論争は必然的に平行線をたどらざるをえない。このように、本稿は初期パーソンズ(1937)に代表される、マルクス、スペンサーからデュルケームらへというような収斂的社会学史観の限界を示すのである。

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自然状態との対比に基づく、「社会」と「力」の存在論―レヴィ=ストロースとブルデューの理論をケースとして
第61回関西教育社会学研究会 研究報告原稿 1997

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